前月|BACK|2003.11.21(金)
村松高校の研究授業に行ってきました
村松高校に研究授業の参観に行って来た。村松高校は旧制中学が母胎の高校である。そのため、学校は素晴らしい環境である。煉瓦造りの校門、瀟洒な中庭、年代を感じさせる木々、そして広くてきれいな校舎。教職員がいる棟と教室棟が別になっているのも素晴らしい。大概は職員室のすぐ上が教室になっており、結構うるさいのだ。その点、この村松高校は周囲の環境も相まって、静かであろうなあ。
その歴史ある高校での研究授業は、時代の先端を行くような(しかし、真の意味でオーソドックスな)ものだった。「読むために書く、書くために読む」を研究テーマに掲げた、論説文の授業である。論説文を段落ごとに区切り、そのトピック・センテンスに印を付け、それらをつなげて要約文を作るという内容だ。今日はその要約文を生徒に作らせ、代表作をビデオカメラ経由でテレビに映し出して全員に確認させ、そして段落間の関係を確認した上で要旨を書かせよう、というものだった。生徒はトピック・センテンスをつなげるだけで要約文ができることに気づかず、最初から文章を読み直したりしていた。そのせいで当初の予定より時間がかかってしまい、要旨まで書かせることはできなかった。でも授業の狙いも、今日までの流れも、素晴らしいものだ。
この授業は、実は私こそがやりたかったものだ。文章の要約をさせることで生徒に主体的に文章を読ませる授業をしたいと考えていた。今年から始まった12年研の夏の研修で示唆したことを、よくも汲んで実体化してくれたものだ。これを参考に、私もぜひ実践してみたい。
2003.11.20(木)
『おいしいコーヒーの入れ方』の小説版とドラマ版
最近凝っているものに、ある小説がある。村山由佳の『おいしいコーヒーの入れ方』シリーズである。新書判の小説で、現在、第7巻まで発行されている。同時に文庫判もあり、そちらは5巻まで発行されている。私が読んでいるのはこの文庫判のほうだ。というよりは、当初はこの文庫判のほうしか知らなかったので、こちらを買ったまで。新書判の方にはイラストもついている。
これは、(当初は)高校生の和泉勝利とそのいとこの花村かれんの恋物語である。しかし、かれんの方は勝利より5歳年上で、しかも勝利の高校の美術教師として赴任することになったわけだ。まあ、この設定は勝利が高校を卒業してしまうので、生徒と教師という関係はすぐに終わるのだけれど。実はこのかれんは本当のいとこではない。血のつながりはまったくない。そこで二人の恋は成就し、進展していくことになる。だが、5年という年の差はいつまでも埋まるわけがないので、勝利は自分がかれんにふさわしい男になるよう成長しなければならないのだが、なかなか成長しないことに焦る。またかれんも、自分の進む道が果たしてふさわしいのかどうか迷う。なんだかんだで二人の恋はなかなか進展しないのである。小説が始まってからもう何年も過ぎようというのに、いまだに勝利は大学2年生くらいだ。
私がこの小説に凝り出したのは、小説自体の魅力ももちろんだが、NHKFMのオーデイオドラマを聴いているからである。この小説はオーディオドラマになっており、すでに新書判と同じ第7巻目までの放送が行われている。現在、このドラマを集中して再放送+新作放送している。私はこのオーディをドラマを時々聴いており、前からこの小説をこのドラマで知っていた。でも、以前はあまり関心がなかったので、今回も第1回と2回の途中まで聞き逃している。しかし、ずっと聴き続けていると、次第にこの良さがわかってきて、それではまったのだ。
このドラマの出演者たちが良い。特にかれんの声が良い。かれんは年上の割にはのんびりした性格なのだが、そののんびり加減をよく演じている。イメージに大変よく合った声だ。ほかの出演者たちもおおむね満足できる。かれんの声は長谷川真弓という女優さんである。
こうしてラジオでドラマを聴き、小説を読んでいると、どちらも映像の情報がなく、それがまたこちらのイマジネーションを刺激していることに気づく。それが良いのだろう。新書判の方にはイラストが入っており、それはそれで良いのだけれど、せっかくのイマジネーションを損ないかねない。新書判の方が話が先に進んでいるので、早くそちらも読みたいのだけれど。
2003.11.10(月)
対象には常に触れ続けるべきである
ホームページの作成は相変わらずうまくいかない。作成ソフトも動作に問題があるようだ。そのため、日記の更新もできないでいる。しばらくこのページに日記を書きためておく。
この間に名古屋市へ聖書のお話をしに行って来た。福音を語るのが1回、聖書の学びをするのが1回である。準備が不十分で、あまりうまくいかなかった(特に学びの方は)。予想外に大勢の聴衆がいたので、舞い上がってしまった。
一緒に話をされたのは韓国のクリスチャンである。韓国は人口の30%がクリスチャンなのだそうだ。約2,000万人。日本はその1/10の200万人だそうだ。しかし、人口比を考えてみれば韓国の様子が見て取れる。その中で、この方は聖書に示されているとおりの集会の集まり方をしたいと熱心に戦っておられる。そういう方が聖書に基づいて語る話だから、非常にわかりやすかった。メッセージに対する集中度が違う。私の話は、一般論から今ひとつ抜け出せず、焦点がぼやけてしまった。
メッセージの集中度を高めるためにはどうしたらよいのだろうか。今の私に思い当たることは、ひたすら考え抜くことだけである。自分の話そうとしていることをよく検証し、そのテーマを十分に確認する必要があると思う。つまりは時間が必要なのだ。しかし、今回の場合、話すテーマを決めるのに数ヶ月かかり、内容を詰めるのに1ヶ月程度しか時間がなかった。
思うに、対象について常に触れているべきなのだと思う。常に触れて常に考えていると、知りたいこと・考えたいテーマも湧き出てくる。この場合ならば、もっと真剣に聖書を毎日読むべきなのである。
2003.10.28(火)
コンピュータが言うことを聞かないのは疲れる
相変わらずホームページのアップロードがうまくいかない。NICEのサーバに送るのだが、indexが文字化けしてしまう。他のファイルは大丈夫なのに。
そこで、実験としてgiocitiesに場所を確保して、このホームページをアップロードしてみた。いや、一度にファイルを転送できず、手間がかかったよ。その結果は、ちゃんと文字化けせずに表示される。うーむ。いったい何が原因なんだろう。
それはそうとして、この日記を更新しようとしたら、今度はDreamweaverが言うことを聞かない。結局再起動する必要があった。この前のClassic環境での問題がまだ尾を引いているのかな。
2003.10.27(月)
日記を再開しよう
この日記を再開しよう。毎日毎日の行動を記録しておくことは、たといそれを公開する当てがないとしても、必要なことだ。自らの1日の歩みを振り返るのは、何かしらの意味を持つことだろう。
今日は朝の読書メーリングリストを再開させた。eGroupsのサービスを使い、再開を宣言した。NICEには本当にお世話になった。ありがたいことだ。今度はeGroupsで今までと同じように運営できるだろうか。メンバーのメールアドレスを入手し、そこに移転通知のメールを発送したのだが、10通以上が配信されなかった。まあ、現在87名のメンバーがいる。私には過ぎる数字であろう。その中の大半に通知されれば、それで十分である。残りのメンバー全員が移転するとは限らない。ここで、本当の再スタートである。
さて、名古屋に行く日が近づいている。今週土曜日の午前中に出発するので、残り5日間だ。幸い、聖書の学びの方の準備は十分できていると思う。問題は福音の証の方。未だに話す内容が定まらない。考えてみると、ここ数ヶ月はあまり福音を語ってこなかったなぁと思う。福音集会で話すことはあったが、その内容は学び的な色彩が強かった。本当に初めて聞く方を対象に福音を語るということが、あまりに久しぶりのこととなってしまった。そのために、何を話したらよいのか感覚がつかめない。
現在のところは、イエス・キリストご自身について話そうと思う。たった1回しか機会はないのだし、その間でイエス・キリストについて知らされなければ、集会に来た意味がなかろう。そうすると、語る内容は十字架だ。何のためにイエス様は十字架にかかられたのか、それを私自身の言葉で語るのだ。私の信じていることを。私のこの体を通して。そのきっかけとして、何を選んだらよいのだろう。残り時間はわずかだが、もう一度考えてみよう。
2003.7.11(金)
ずーーーっと、このホームページを更新できないでいた。更新しなかったのではありません。できなかったのです。何故かというと、我が愛機PowerBookを壊してしまったのだ。