新任教師のための学校の将来と教師の役割
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キリスト教学校教育同盟西南地区夏期学校・新任教師オリエンテーション
南阿蘇グリーンピアホテル 1998.8.3-5
IV.感動する心の教育
感動する心こそはあらゆる知識の源でもあります。「感動」こそがすべての始まりであり、「感動」は人間を救う力を持っています。感動のない人は滅びる、と僕は思っていますし、感動は未来を築きます。「感動」は人間の心のエネルギーです。
たとえば、皆さんは、ふと夜空を見上げて、そこに瞬く月や星、そしてそれを地上で眺めている小さな自分を感じて、何か神秘的な、不思議な感覚を覚えたことはないでしょうか。それは一つの「感動」ですね。
古代の人たちは、今よりももっと鮮明に星々を見ることができたでしょうから、この感覚は強烈であったに違いありません。そして、それだけに「感動」も大きかったのではないでしょうか。
そして、古代の人たちは、見たことの不思議さとその「感動」を何とか人に伝えようとしたに違いありません。
そしてそこに、いろいろな「意味」を読みとり、それを「物語り」として伝えました。「物語り」の方が、人に伝えるときに伝えやすいからですし、様々な感性も伝えられるからです。古代人で感性も知性も豊かな人は、自分が不思議に思い、感動したことを物語りにしました。
たとえば、星たちの物語り、風や雨の物語り、そして花や動物、人間の物語りです。
そこには、人間の世界理解がこめられ、その中で生きている人間の喜怒哀楽が、実に見事に織り込まれていきました。
人間がその宇宙と世界を感じ、ものの不思議を尋ね、それを物語りにして伝えたのです。
「ものの不思議を尋ねる。」これが知性と知識の始まりでした。それが始まったのは、感動する心を生き生きともっていたからでしょう。
私が今でも忘れられないでいる数学の授業は、ある先生が、「1タス1が2になる。これは不思議やねぇ。」といって小学校の算数について講義されたことですし、ドイツ語の授業で、黒板いっぱいにドイツ文を書いて、昨晩はこの意味が分からなくて眠れませんでした、といわれた時の講義でした。
その時、あっ、勉強ってこういうふうにするんだ、ということに気づいたような気がしたのです。
こうした、不思議を訪ねて一つ一つに感動する教師の姿がそこで教えられた知識を本物にするのだろうと思います。
ある大学の老学長が引退前に、「教師は自分が感動したことしか伝えられないのです」と語られた言葉を、今でも思い起こします。そして、私も、教育とは感動の業だと思っています。
みなさんが、これから絶え間のない自己研鑽を積まれ、その感動を伝えられる教師になられるよう願って止みません。
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