新任教師のための学校の将来と教師の役割
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キリスト教学校教育同盟西南地区夏期学校・新任教師オリエンテーション
南阿蘇グリーンピアホテル 1998.8.3-5
II.第一級の学校であること
これまで多くの場合、教育機関としての学校の形成に関して、教育理念の掘り下げと展開から理念的あるいは抽象的考察がなされてきました。
どうしても私たちの思考は、たとえば「教育とは何か」とか、「学校とは何か」といった原理的な事柄へと向かいがちになります。
それはそれで極めて大切なことがらですし、そうした原理的な事柄はしっかりと踏まえられる必要がありますが、しかしそれによって、現実的な学校形成上の目標において明言を避けられてきた点が一つあるように思われてなりません。
それは、私たちが奉職している「学校」は、その精神を持たない他の学校とくらべるなら、学術的にも教育的にも第一級の学校でなければならないということです。
多くの学校は、当然のことながら、その教育理念に基づいて「人格教育」や「全人的育成」などを第一の教育目標に掲げ、それなりの課題を負い、成果をあげてきましたが、あえて苦言を呈しますなら、その愛の精神の故に、教育目標に「第一級の学校であること」を置くことを避けてきたのではないかと思えてなりません。
このことを明言し、謳っている学校は、知りうる限り、国際キリスト教大学(ICU)だけです。
卑近な例で申し訳ないのですが、例えば2年前に設立されたばかりの私どもの大学では、その教育理念が次のように謳われています。
すなわち、「九州ルーテル学院大学は、学校法人九州女学院の建学の精神『感恩奉仕』に沿った全人教育の伝統を受け継ぎ、キリスト教精神に基づく文化的伝統を、豊かな国際的感覚をもって生かし、教養と実際に役立つ人間教育を基盤とし、専門学芸の理念および技能を教育研究することを目的とする。」と述べられ、その後に具体的な教育内容が語られて、「グローバルな人間形成」をその目標に置いていると書かれています。
どこの学校でも同じような言葉が並んでいるかと思いますが、この『本学の教育理念』には、「人格教育」とか「人間形成」といった教育学の教科書に出てくるような言葉が語られてはいますが、「第一級の教育」、「第一級の人間」、「第一級の学校」といったような視点は伺うことができません。
それはもちろん、暗黙の了解事項なのかも知れませんし、人間を比較して考えることを徹底的にしないということは大事なことですし、「一級」というのは、あくまでも比較の出来事に他なりませんので、「理念」としてはふさわしくないことでしょう。
しかしそのことがかえって、現実的には、私たちの学校とその教育を安価な安っぽいものにしているのではないかと思えてならないのです。
この「第一級」が何を意味するかが大切なことですが、とりあえず、「学校はあらゆる面において第一級でなければならない」というテーゼを掲げ、その「第一級」の意味を考えることによって、「教育機関としての学校がめざすもの」を考えて見たいと思います。
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