学校の将来と教師の役割

世俗化社会におけるキリスト教教育の課題

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日本カトリック教育学会 1999.9.11

IV.まとめ

 現代の近代的人間中心主義、合理主義に基づく世俗化された、あるいは世俗化されつつある社会における「学校教育」は、ともすればその実学的風潮から世俗主義に陥りがちになり、学問や教育・研究の全体的方向性を見失う傾向を持ってきている。

キリスト教学校は、その根本に持つ精神性の故に、この世俗主義から脱却し、世俗化を人間の「成人性」(11) への過程として位置づけ、それによって教育を教育たらしめ、学問と研究の全体を正しく方向づけることができる可能性を持っている。

その具体的な姿がチャペルにおける礼拝を含めた「キリスト教教育」である。

 それだけに、現代におけるキリスト教教育の使命は極めて大きいし、抱えている問題も深い。その課題は、結局は次の2点に要約されるように思われる。

 第一にキリスト教自身の問題としての聖書のメッセージのリアリティーの問題であり、第二に現代社会と人間の問題の明瞭な自覚とそれへの聖書のメッセージに基づく方向性の提示である。

これらの問題を担うために、現在、新設された九州ルーテル学院大学でとっている方法は、礼拝の内容と形式の模索であり、キリスト教関連科目では、聖書本文をできるだけ客観的に解釈しつつも、そこからさらに、そのメッセージを実存論的に解釈して提示すること。現代社会と人間の問題を、政治、経済、医学、文学、芸術などの様々なジャンルを用いて提起し、問題へのアプローチを聖書のメッセージに基づいて指し示すことである。

これらの試みの結果はまだ出ていない。

  1. F. Tenis, Gemeinshaft und Gesellshaft, (1887), 杉之原寿訳『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』,岩波文庫,1926,参照。
  2. M. Heidegger, Nolzwege, Vittorie Klostermann, Frankfurt, main, 1952, S. 199.
  3. M. Weber, Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus, 1947, 梶山・大塚共訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』,岩波文庫,1989,参照。
  4. E. Toreltsch, Aufkl較ung, Gesammelte Schriften, Bd. 4, hrsg. v. Hans Baron, 1925, 388ff.
    ここで、トレルチは、近代の出発をルネッサンスや宗教改革にではなく、啓蒙主義においている。
  5. P. Tillich, Perspective on 19th and 20th Century, Protestant Theology, ed. by C. E. Braaten, New York, 1967, 佐藤敏夫訳,『ティリッヒ著作集別巻3』,白水社,39頁以下。
  6. M. Weber, 大場・生松共訳『宗教社会学論集』,みすず房,101頁。また、内田芳明訳『古代ユダヤ教(下)』,みすず書房、参照。
  7. F. Gogarten, Der Mensch zwischen Gott und Welt, Heidelberg, 1952,.25ff. 71. 参照。F.ゴーガルテンは、社会が正当に「大人」として成長し、自立していく過程を「世俗化」と呼び、その過程で、成長と自立を促してきた「神」を見失ってしまい、社会全体が自己中心的にその方向を見失っていくことを「世俗主義」と呼んで、これを批難し、「世俗化」と厳密に区別されることを主張する。
  8. 1999年7月に97年度と98年度に入学した学生362名を対象に行い、回収率96%。
  9. 九州女学院「55年の歩み],九州女学院,1981。
  10. 古屋安雄『日本のキリスト教大学は存続か絶滅か』,キリスト教学校教育同盟第43回大学部会研究集会講演,『キリスト教学校教育』第435号,1999。
  11. D.Bonhoeffer, 森・倉松共訳『ボンヘッファー選集第5巻 抵抗と信従』,新教出版社,171,187,233,253,260頁参照。