学校の将来と教師の役割

世俗化社会におけるキリスト教教育の課題

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日本カトリック教育学会 1999.9.11

 現代日本社会は、宗教的・神学的観点から見れば、まぎれもなく、あらゆる「聖なるもの」が失われていく「世俗化」現象として理解することが可能であるように思われる。

その世俗化社会の中で、学校教育そのものが混沌とし、キリスト教学校(ミッション・スクール)もその存立の根本を問い直さなければならない状況に置かれてきた。

従来の「ミッション教育」や「宗教教育」の概念理解そのものが変容を迫られている。こうした中で1996年に新設された九州ルーテル学院大学では、世界と人間の全体的理解の基礎づけとして「キリスト教関連科目」を位置づけ、実践してきた。

本稿は、そこでの課題と問題点を明らかにし、今後の宗教教育のあり方を探るものである。

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I.現代社会が提示する「世俗化」の問題と意味

(1)「世俗化」概念を用いることについて

 複雑な構造と機能をもって絶えざる急激な変化を遂げ続ける現代社会とそこでの現象を分析し、これを総体的に概念化する作業は、教育に代表されるような思想の実践分野においては必要不可欠な行為である。

その作業は、現代社会の構造的な複雑さに相関するある種の困難性と概念化に伴う形骸化の危険性があるとはいえ、教育実践の有効性を確認する意味においても、重要な意味をもっている。

行為の実践は状況認識を基底として行われ、その認識の正確さに応じて行為の有効性を発揮する。つまり、社会と状況の明確な認識によって、初めて、社会に生きる人間への教育を有効になし得るのである。

その意味で、われわれが生きているこの現代社会をどのように認識するのかという、ある意味での社会学的課題は教育の実践的行為の重要な課題として立ち現われてくる。

 そこで、われわれは、社会学や社会心理学、社会経済学などの分析結果から生み出された諸概念のいくつか、たとえば、もはや定式化されてしまったF.テニエスの「利益社会(Gesellshaft)」(1) といった概念「一時的社会(Temporary Society)」、「修正資本主義社会」、あるいは一般的な「物質文明社会」や「競争原理支配社会」、「情報社会」といった概念を、慎重にではあるが、用いることがゆるされるであろう。

しかし、神学的・宗教的観点から見るならば、現代社会を総体的に把握する概念として「世俗化(secularization)」という概念を用いる方が有効であるように思われる。

なぜなら、「世俗化」は、単に社会現象だけではなく、その変化の歴史的過程を意味する概念であると同時に、人間の精神の方向性をも意味する概念だからである。