Via Dolorosaへの旅

鬼の子物語り

K.Wiseman

「この村で一番心の優しい人はだあれ」とたずねたら、村中の人が「それは、村はずれのがんちゃんさ」と答えるに決まっています。

 がんちゃんの本当の名前は岩男といいますが、だれも本当の名前で呼ぶ人はいません。みんな、がんちゃん、がんちゃん、と呼びます。

 がんちゃんは、村はずれの小さな家にひとりで住んで、普段は畑を耕して、ときどき野菜を村の市場にもってきます。
がんちゃんが村の市場に来るときは、いつもゆっくりあるいて村の子どもたちとジャンケン遊びをしたり、かくれんぼをしたりして、遊びながらやってきます。だから、普通の大人だと30分ぐらいしかかからない道でも、がんちゃんには2時間ぐらいかかります。重い荷物を抱えたおばあさんがいれば、その荷物を持ってあげて家まで送り届けるので、もっと時間がかかります。でも、がんちゃんは、いつもゆっくり歩きます。

 村の大人たちは、がんちゃんが歩いているのに出会うと深々とおじぎをします。それはがんちゃんが、野菜を作る仕事の他に、ときどき、大人たちにいろいろなことを教えてあげるからです。困ったことやいやなことがあると、大人たちはがんちゃんの家をたずねます。そして、しばらくすると晴れ晴れとした顔で帰ってきます。
ふだんはがんちゃんは何もおしゃべりをしないのですが、村の集まりなどがあって、おとなたちが「ああでもない、こうでもない」と言っているとき、がんちゃんが何か言えば、みんなにこにこなっとくして、話し合いは終わります。

 ですから、子どもたちは、がんちゃんのことをがんちゃんと言いますが、村のおじいさんやおばあさんは、「がんちゃん先生」と呼んだりします。がんちゃんは不思議な人です。

 がんちゃんの家に遊びにいくと、いつも、がんちゃんは畑で野菜を作っているか、パソコンで何か書いているかのどちらかですが、きまって私たちとしばらく遊んでくれます。がんちゃんの家には本がたくさんあるので、私たちはたいくつしませんし、いろいろな不思議なお話をしてくれます。それに、がんちゃんの家にはお菓子がたくさんあります。がんちゃんの家を訪ねてくる人たちがもってくるのだそうです。ときどきは、大好きなアイスクリームやケーキもあります。だから、がんちゃんの家に行くのは、みんな大好きです。

 でも、がんちゃんの家に遊びにいくのは、毎水曜日だけです。お客さまも多いし、私たちが知らないお仕事もたくさんあるようなので、みんなでそう決めたのです。がんちゃんは、「いつでもおいで」と言ってくれますが、そうそう迷惑はかけられませんよね。

 あるときの水曜日、いつものように、省吾君と春奈ちゃんと私の仲良し三人組は、学校が終わってがんちゃんの家に遊びにいくと、がんちゃんは私たちにキャンディーをくばりながら、細い目をいっそう細くして、にこにこしながら、「僕はね。みんなと同じぐらいの時は、人間じゃぁ、なかったんだよ」と言いました。

 「人間じゃなかったんなら、なあに?」と、いつもおしゃべりな春奈ちゃんがキャンディーの包み紙をむきながら、さっそく聞きました。

 「わかった、宇宙人でしょう」といったのは、最近、ウルトラマンにはまっている省吾君です。
 「バルタン星人・・・、じゃないよね。はさみがないもの。」

 みんながどっと笑うと、
 「だって、おとうさんが、がんちゃんは不思議な人だって言ってたもん」と言い返しました。省吾君にとって、不思議な人はみんな宇宙人らしいのです。

 「いやいや、僕は残念ながら宇宙人ではなかったよ。でもね、省吾君は間違ってはいないよ。だって、大きな大きな宇宙の全体から見たら、僕たちが生きているこの地球も宇宙の一つなのだから、みんな宇宙人やね。」とがんちゃんが言いました。

 がんちゃんは、私たちが言うことを一度も間違っていると言ったことがありません。それに、がんちゃんが「大きな大きな宇宙」というと、みんなの中に理科で習った星座や銀河がパアーっと広がるから不思議です。

 「みんな、宇宙人だ。」省吾君が元気を取り戻しました。
 「じゃあね、がんちゃん、がんちゃんは人間でもないし、宇宙人でもない。じゃあ、がんちゃんは変な人?」とほおばったキャンディーで口をもぐもぐさせながら春奈ちゃんが聞き返しました。
 「そうだねぇ、変な人と言えば、僕は変な人やね。でもね、変な人でも人間でしょう。」
 「あっ、そうか。変な人も人だもんね。変な人が大切な人だって、お母さんが言ってた。」
 「春奈ちゃんのお母さんは偉いねぇ。どんな人が大切な人か、ちゃんと教えてくれるんだ。」
 「うふ。」

 春奈ちゃんはお母さんをがんちゃんにほめられて、うれしそうに笑いました。

 「じゃあ、さあ、がんちゃんが子どものころって、いったい何だったの?」省吾君が真剣になって聞きました。
 「うん。僕はね、みんなと同じくらいのころは、じつは鬼の子だったんだよ。」

 がんちゃんがそう言うと、みんなはいっせいに「うそっ!」と若いお姉さんたちのようなことを言ってしまいました。「うそっ!」っていうのには、別に意味はないのです。ただ、驚いた、というぐらいのことです。

 お父さんやお母さんは私がこの言葉を使うと、「人に『うそっ』なんて言ってはいけません」としかります。私も普段はそうだな、って思っています。でもこの時は、おもわずこの言葉がでてしまったのです。

 だって、鬼っていえば、赤鬼とか青鬼とか、節分の豆まきのときのお面のような顔をしている恐ろしいものでしょう。がんちゃんは、いつもにこにこしているし、つのもないし牙もない。第一、がんちゃんの目は、あんなにぎょろぎょろしてないのです。がんちゃんは村で一番優しい人です。みんなが「うそっ」ておどろいたのはあたりまえです。鬼のように怖いのは担任の野口先生の方です。いつもどなってしかるばかりなのですから。

 「僕のお父さんとお母さんはね、本当に優しい人だったんだよ。」

 がんちゃんは、そう言ってみんなを優しい目で見回してから、いつものようににこにこしながら静かに話し始めました。

 「僕のお父さんとお母さんは、ここからだいぶ遠いところの町はずれに住んでいたのだけれど、とても仲のいい夫婦だったんだよ。お父さんはお母さんをとても大事にしていたし、僕は一度も、お父さんとお母さんがけんかをしているのをみたことがないよ。いつも二人でいっしょにいたねぇ。」

 「私のパパとママはしょちゅうけんかしてる。でもすぐなかよくなるけどね。」

 春奈ちゃんが、がんちゃんの話をすぐまぜかえしました。春奈ちゃんは勉強はよくできるのだけれど、なかなか人の話を静か聞けません。それは、私も同じだけれど、いつも私と春奈ちゃんは、野口先生から「静かにせんか」としかられます。

 「春奈ちゃん、がんちゃんの話を聞こうよ」と省吾君が注意してくれました。
 「いや、いや、けんかをして仲良くなるのはいいことだよ。仲良くなるためのけんかというのもあるからねぇ。僕のお父さんとお母さんは、けんかはしないけど、とても仲がよかったんだ。でもね、なかなか子どもが生まれなかったんだ。」

 がんちゃんは、そう言って、また話し始めました。
 「それでね、子どもを与えてくださいって、神さまに毎日お祈りをしていたそうだよ。」
 「へえ、それでがんちゃんが生まれたの?」

 今度は省吾君が聞き返しました。
 「う〜ん。そうなんだけどね。でも、なかなか子どもができなかったらしいよ。それで、お父さんが、もうどんな子どもでもいいから与えてくださいって祈ったらしい。そして、ようやく僕ができたそうだよ。」

 「じゃあ、さあ、がんちゃんは人間の子じゃない。何で鬼の子なの?」

 わたしは、がんちゃんが最初にいった「鬼の子」というのがどうにも不思議で、だまって聞こうと思っていたのに、思わず聞いてしまいました。

 「うん。僕のお父さんとお母さんは、僕が生まれたときはとても喜んだらしい。コスモスがいっぱい咲く秋だったらしい。お祝いをいっぱいしたそうだ。でもね、しばらくすると、僕が段々大きくなるにつれて、僕のお母さんは、毎日泣くようになったんだって。僕の頭につのが生えてきて、歯がだんだん牙のように尖ってきたから。」

 「あっ。鬼の子になったんだ。」
 「鬼の子になったんじゃなくて、初めから鬼の子だったんだよ。」
 「へぇ。そんなことってあるのかなぁ。」

 省吾君は、腕組みをして考える振りをして言いました。省吾君はいつも振りだけで、本当は何も考えていないのだけれど、このときばかりは、みんながそう思いました。

 「僕も、今から思えば、不思議だねぇ。でもね、僕は鬼の子としてだんだん成長して、それにつれて鬼の本性が現れてきて、ずいぶんひどいことをしたらしい。」

 「本性ってなに?」
 また、省吾君が聞きました。

 がんちゃんはにこにこ笑いながら、
 「本性ってのはね、生まれたときからもっている性質のことだよ。」
 と言いました。

 こういうことを教えてくれるときのがんちゃんは、学校の先生のように、子どもを馬鹿にしたように教えたりしないから、とても好きです。だから、つい、どんなことでも聞いてしまいます。省吾君もそう思っているから、国語の意味調べのようなことまで聞いたのだと思います。

 「それで、どうなったの?」

 わたしは話の続きが早く聞きたかったので、まだ何か聞きたそうにしている省吾君の顔を無視して、がんちゃんに続きをさいそくしました。

 「うん。だんだん体も大きくなってきたし、角も口の牙ものびてきて、とても恐ろしい顔になったそうだ。」

 「がんちゃんは、そのころのこと覚えてる?」
 春奈ちゃんが聞きました。

 「いや、不思議なことにあまり覚えてないんだ。これは後から僕のお父さんが話してくれたんだよ。」

 「へぇ、そうなの。それでどうなったの?」

 「それでね、性格も悪いし、顔も恐ろしいし、けんかはするし、泥棒はする。でも、みんな恐ろしくて近寄れない。だからますます暴れ回る。毎日そんなふうにしていたんだって。でね、あるとき、僕のお母さんが見るに見かねて注意したらしい。それで僕は、そのお母さんに『くそばばぁ』とかなんとか言って、お母さんの首に噛みついたらしい。ほら、僕の歯は鬼の牙だったでしょう。だから、その牙がお母さんの首に深く刺さって、血がどんどん噴き出していたんだ。さすがに僕も何だか怖くなって、その場を逃げ出して、それっきり家には帰らなくなったんだ。」

 「それで、がんちゃんのお母さんはどうなったの?死んじゃったの?」

 春奈ちゃんも、話の先が聞きたいのか、どんどん、がんちゃんに質問しました。

 がんちゃんは、相変わらず、にこにこ笑いながら話を続けました。

 これは、ほんとうは、ずいぶんひどくて怖い話です。だって、いくら鬼の子といっても、子どもが親をかみ殺すお話なんですから。

 「うん、すぐに救急車で病院に運ばれたらしいけど、結局死んでしまったらしい。僕はそのことを後で他の人から聞いたけど、その時は自分が悪いことをしたなんて、ちっとも思わなかった。だって、鬼の心だったのだからね。」

 「鬼の子って、ずいぶんひどいことするのね。お母さん、かわいそう。」

 春奈ちゃんは、もう、涙ぐんでいました。春奈ちゃんは男の子とけんかをしても絶対に泣かないのに、こういう話には弱いのです。

 「そうだね。僕はずいぶんひどいことをする鬼の子だったんだよ。僕は、自分がお母さんを死なせたことをちっとも悪いことだとも思わないで、それから家にも帰らずに、人をおどかしたり、けんかしたりして、お金を取ることもして、泥棒になったんだよ。」

 「えぇっ。がんちゃんは泥棒だったの?」

「うん、お腹がすいたら泥棒してた。人のお家に入って、お金や食べ物を取って、見つかっても、僕が大きな目でぎょろりとにらむと、みんな怖がってどうすることもできなかったらしい。」

 今のがんちゃんの目はぎょろりとしていませんし、つのも牙もありません。わたしには、がんちゃんには悪いけど、このがんちゃんお話が信じられませんでした。がんちゃんは、決してうそを言わない人です。ですから、わたしはこのがんちゃんのお話をどう考えたらいいか、少し混乱してきました。

 がんちゃんは私の気持ちが分かったのか、

 「信じられないよね。でも、そうだったんだよ。」
 「じゃあ、その鬼の子が、今のがんちゃんになったの?」
 わたしは、がんちゃんに聞き返しました。
 「そうだよ。今の僕になったんだよ。」
 「どうしてそうなったの?」

 「うん。ある時ね、前から泥棒に入ろうと思っていたある大きな家に忍び込んだんだ。
ところが、その家に行ってみると、どうもようすが変なんだ。どうしたんだろう、と思って、庭に隠れてじっと見ていると、その家で赤ちゃんが産まれるらしい。みんなは病院で生まれたでしょう。今はみんな病院で生まれるけど、僕が子どものころは、それぞれの家で生まれるのが普通だったんだよ。」

 「僕は病院で生まれたよ。お母さんがそう言ったもん。」

 「そうだね、省吾君が生まれるときは病院だったよ。お父さんやお母さんだけじゃなくて、村中の人が省吾君が生まれてくるのを喜んだから、よく知ってるよ。」

 「わたしも病院よ。」

 春奈ちゃんが少し誇らしそうに言いました。
 「そうだね、春奈ちゃんも下川病院だったよ。春奈ちゃんが生まれるときも村中の人が喜んでくれたよ。」

 この村では、がんちゃんのおかげで、どこの家でもインターネットが使えるようになって、村のニュースは全部『おらが村』っていうホームページで知ることができます。ホームページのニュースを書いてくれるのは、村でただ一人の新聞記者のシゲさんですが、はじめはがんちゃんが一人で作っていたそうです。がんちゃんはこの仕事をシゲさんと村役場のトシさんにゆずって、『おらが村』は、今は二人で作っています。

 シゲさんは町からこの村に奥さんと二人でやってきて、町の新聞社にニュースを流すのが仕事だそうですが、たいていは村役場にいます。まだ子どもはいません。

 シゲさんはがんちゃんのところにくるお客さまの一人です。わたしがお母さんのお使いでがんちゃんの家に「夕ご飯」を届けるとき、よくがんちゃんとシゲさんがワインを飲みながら楽しそうに話しているのに出会います。シゲさんもがんちゃんのことを「先生」と呼んでいます。

 わたしががんちゃんに夕ご飯を届けるのは、お母さんが何か美味しいものを作ったときに、お父さんが「がんちゃん先生にも届けてやれ」と言うからですが、わたしはがんちゃんの家に行くのが大好きだから、たのまれなくても毎日でも行きたいのです。

 シゲさんは村中の出来事をよく知っていて、それで、どこかの家に赤ちゃんが生まれるとすぐに、ホームページ『おらが村』の『世界へようこそ』のページで知らせます。そして、村中の人がこれにお祝いの言葉を書いてくれます。

 わたしが生まれたときも、そうだったみたいで、その時のページがプリントアウトされてアルバムにはってあります。

「ねぇ、それでどうなったの。どろぼうに入った家であかちゃんがうまれたんでしょう。がんちゃん、話の続きをしてよ。」
 と省吾君がせかしました。

 「そうだね。その家で赤ちゃんが産まれたんだ。でもね。じっとようすを見ていると、なんか変なんだよね。本当は赤ちゃんが産まれると、みんなとても喜ぶでしょう。生まれたときは、その家でも、みんなとても喜んだんだ。でもね、しばらくすると、その赤ちゃんのお母さんはしくしく泣くようになったし、お父さんは何だか怒っているようだったんだ。」

 「どうして?」

 わたしは、また、思わず聞いてしまいました。
 「実はね、その家で生まれた赤ちゃんも、鬼の子だったんだよ。僕もおどろいた。そして、急に嬉しくなったんだ。」

 「どうして?」
 今度は春奈ちゃんが聞きました。

 「だって、世界中で鬼の子は僕一人だと思っていた。ひとりぽっちだと思ってた。でもね、仲間ができたんだよ。まだ赤ちゃんだけど、確かに僕の仲間だ、そう思うと嬉しくなったんだよ。それで、その家にじっとひそんで、しばらくようすをみることにしたんだ。だれもいないときに近づいたりしたんだけど、ほら、僕は鬼の顔でしょう。だから、僕が近づくと、赤ちゃんは怖くなって大声で泣いたりしたよ。でもね、僕は、本当に嬉しかったんだよ。」

 「友だちって、いいよねぇ。」真吾君はそういってみんなの顔をうれしそうにみまわしました。真吾君はがんちゃんや私たちを「友だち」と感じたのです。

 「そうだね。友だちはいいもんだねぇ。僕はその赤ちゃんが本当に友だちだとおもえたんだ。それでしばらくようすを見ていると、変なことが起こったんだよ。」

 「なにがあったの?」

 今度はみんなが声をそろえて聞きました。

 「うん、あれは月がきれいな夜だったなぁ。お母さんがしくしく泣きながら赤ちゃんを毛布にくるんで、そっと家を出たのさ。」
 「・・・・・・・。」

 「僕は、どうしたんだろう、こんな夜更けに。どこにいくんだろう、と思ってそっとあとをつけたんだ。お母さんは赤ちゃんを抱きかかえて急ぎ足で山の方へむかって行ったよ。そして、山の上に大きな松の木が一本あったんだけど、そこについたんだ。僕は、見つかってはいけないと思って、下のやぶの中に隠れて見ていたんだよ。お母さんは大きな涙を流しながら、赤ちゃんをその松の木の根本にそっとおいた。そして、しばらくじっと赤ちゃんの顔を見ていたんだけど、赤ちゃんをそこにおいたまま、くるりと背を向けて、走って山を下りていってしまったんだ。」

 「わたし、わかったわ。赤ちゃんを捨てたのよ。鬼の子だから。」

 春奈ちゃんがそう言ったとき、わたしと省吾君もそうだと思いました。

 「そうだね。鬼の子だから、その赤ちゃんは捨てられたんだよ。僕もそう思った。そして、やぶの中から出て、そっと赤ちゃんおそばによってみたんだ。赤ちゃんはすやすやと眠っていたよ。僕は、よし、この子は僕が育てよう。何しろ、世界中でたった一人の仲間だから。僕がそう思って赤ちゃんを抱きかかえようとしたら、赤ちゃんが目を覚まして、僕の顔を見て火がついたように泣き出したんだ。僕は困ったねぇ。どんなによしよしと言っても泣きやまないんだ。何しろ、子どもを育てたことがないからよくわからない。僕はおろおろしていたんだ。すると、山の下の方から人が走ってくる足音が聞こえてきた。僕はあわてて赤ちゃんを松の木の根のところにおいて、またやぶに隠れて見ていたんだ。足音はお母さんがもどってきた足音だった。」

 「へぇ、お母さんもどってきたんだ。」

 「そうだよ、省吾君。もどってきたんだ。お母さんは泣きながらもどってきて、泣いている赤ちゃんを抱きかかえると、『おまえが鬼に子でも、やっぱり捨てられない。』そう言って、赤ちゃんを抱えてもどっていったんだ。僕はがっかりしたねぇ。せっかく、仲間になる赤ちゃんを育てようと思っていたのに、お母さんがもどってきたしまった。僕は、だれもいない山の上の松の木の根元でぺたんと座って、思わず月を見上げたよ。青い青いきれいな月だった。」

 「また、ひとりぽっちになったんでしょう。」

 春奈ちゃんが何だか慰めるようにして言いました。

 「ああ、そうだね。でも、その月を見ていると、なんだかずっと昔、僕にも同じようなことがあったような気がしてきたんだ。もしかしたら、僕のお母さんも、あの赤ちゃんのお母さんと同じように、僕が鬼の子だから捨てようとして、それでも、『やっぱり、捨てられない』と言って、僕を連れ戻して育ててくれたんじゃぁないだろうか。きっとそうだ。ああ、それなのに、僕はそのお母さんに噛みついてひどいことをして、『お母さん、ごめんなさい。』僕はそう言って、その場所で大声で泣きだしたんだ。生まれて初めて涙が出てきたよ。ぽろぽろ、ぽろぽろ、あとからあとから涙が出てくるんだ。そして、その時、ぽろぽろ落ちる涙といっしょに、僕のつのがぽろりと落ちて、きばもぽろりと落ちたんだ。」

 みんな目が真っ赤になりました。話をしているがんちゃんも、何だか泣いているようでした。
 「そう、僕はそのとき、はじめて、人間になったんだよ。」

 がんちゃんのお話はこれで終わりました。
 がんちゃんは村で一番賢くて、村で一番優しい人です。わたしたちはがんちゃんが大好きです。大人たちは「がんちゃん先生」と呼びます。がんちゃんは、今日も、ゆっくり道を歩いています。


                                 (おしまい)