K's Community 現代倫理学概説

その3


<西洋的倫理構造 - キリスト教>

 ヘレニズム世界で発生したキリスト教の信仰思想は、その影響領域の社会的拡大とともに古代ギリシャの哲学思想との融合を意識的に試みました。
その原理的な姿は、すでに新約聖書のパウロの書簡の中にある「倫理的勧告」と呼ばれる部分や福音書記者ルカが書きました『使徒言行録』の中の「アレオパゴスの説教」と言われるものの中に見られますが、最も顕著で積極的な姿は初期キリスト教弁証家たちの神学思想に現われています。
彼らは、聖書の神がギリシャ哲学の説く超越の神とは別の神ではなく、むしろそれに優る最高の神であることを主張することによってキリスト教の弁証を開始したのです。
アテナゴラスやテオフィロスやユスティノスといった弁証家たちは、当時のストア哲学やプラトン哲学、あるいはネオプラトニズムの形而上学的超越概念でキリスト教の神の概念を説明しようとしましたし、アレキサンドリア学派の教父たちと呼ばれる人々は、プラトン的な神理解をキリスト教信仰の内容を形成する尺度としてさえ採用しました。
 そして、聖書の神がプラトン的な形而上学的超越概念と同じものとみなされることによって、倫理的な事柄は、その神理解から自動的に導き出される理性の実践的な行為となり、道徳的なことは、すべてを超越している最高善としての神によって基礎づけられた自然の道徳法則の概念から必然的に出てくる要求や理想として理解されました。
ここで、倫理的な事柄に関するギリシャ思想的な伝統とキリスト教信仰の構造的一致が行われたのです。  それゆえ、倫理的な事柄が最高善の神から自動的に導き出される事柄となるのですから、倫理学に対する原理的な注意は、せいぜい教会内部における建徳的な魂の訓練か教会共同体の秩序の維持以外には、ほとんど払われませんでした。
しかし、初代教会の神学思想が倫理学的原理に対して熟慮しなかったことは、直ちに、それが倫理的事柄に対して無関心であったことを意味しているのではありません。
むしろ、本質的に道徳的エートスをもつキリスト教信仰から、彼らは積極的にこの世界における人間の理想的な姿を問い、個々の倫理的諸問題に対して、国家と兵役問題、奴隷性、教育、家庭、富の問題などに重要な見解を示しています。(*5)
ただ、彼らは、ユダヤ・ヘレニズム的道徳観と自然法的倫理観との無原則の混同の中で、原理的に形而上学的最高存在としての神を根拠にして形而下の一切の存在を秩序づけることができると考えたのでした。 そして、それが中世の倫理思想へと継承されたのです。
 キリスト教的な文化統一が一応の安定を見せた中世では、その文化全体を支配する価値観と個人の魂の建徳的訓練を結合させるような倫理学が必要とされるようになり、神学はギリシャ哲学との関係をいっそう濃密にしていきました。
そして、道徳的自然法をアリストテレスの倫理学と同一視し、その解釈に基づいてすべての倫理的目的を教会の目的に従属させようとしたのです。
つまり、アリストテレスの「究極の目的因」を「神の教会」と同一視することによって、一切を教会の秩序の序列の中に位置づけ、その教会の秩序からあらゆる倫理的判断を行うようにしたのです。
こうして、自然法を正しく解釈して具体的事例をキリスト教的調停へと導くための司祭の指導が制度化され、家庭生活や国家、経済、科学、芸術といった世俗的な事柄についての倫理的な事柄は、一種の宗教的功利主義の枠組みの中で位置づけられていきました。
 西欧中世の約千年の長い年月に渡って、この影響が巨大な力を持って人々に焼きついていく中で、教会の権威を基礎づけるための宗教功利主義に基づく倫理観は、一方では、聖と俗、修道院内での宗教倫理と世俗社会での世俗倫理を明瞭に区別し、上下関係と階級を形成し、他方では、それに従った個人の魂の建徳のみを主張するという二重の倫理構造を生み出しました。
 M.ルターの宗教改革は、そのような宗教的功利主義の枠組みに入れられていた倫理を解放することから始まりました。
罪をゆるす恵みの神の下での自由において、信仰に基づく愛をもって互いに仕えるという「愛の倫理」の形成が志されたのです。
神と隣人への愛という動機によって、社会的、政治的、法的実践が基礎づけられ、聖書の福音理解に基づく人間の倫理的要請が再解釈されたのでした。
言い換えれば、信仰によって神から与えられた良心に基づいて行為する自由な人間、そしてその行為の責任を負う責任主体としての人間の形成が説かれ、その自由と責任の根源としての神の愛についての教説の中で、あらゆる倫理的な事柄が新たに理解されようとしました。
そしてここで改めて、国家、法、戦争、教育、哲学を含めた芸術や科学、この世の財、身分、職業などに対してどのような態度をとるべきかといった問題が問われたのです。
こうして、人は、個人として与えられた境遇の中で、信仰深く、まじめで、誠実な服従心をもって、神の召命に基づいて、自然法的諸要求、国家組織や経済組織の要求に従うことを最善のこととするプロテスタントの倫理観が形成されていったのです。
このプロテスタントの倫理観が、やがては西欧市民社会と資本主義を生み出したことは、社会学者M.ウェーバー(M. Weber)が指摘するとうりです。(*6)
 しかし、宗教改革的「愛の倫理」が前提としてもっていた神の創造の秩序への確信が、社会変動と世俗化の中での近代市民社会における個人の権利と自由意識の高揚によって崩壊していく中で、科学者や哲学者や法学者がそれ自体の学問的追求によって導き出す客観的事実と自然法的な諸要求が先行するようになり、世界は神なしに考察されるようになりました。
そして、宗教的な事柄は次第に個人的な私生活の領域に限定されていくようになったのです。
近代諸科学の合理的認識による理性と認識における形而上学的超越からの解放というコペルニクス的転回は、国家、経済、社会構造を含めた人間のすべての行為を、それ自体に内在する合目的性から理解するようになり、人間の経験的知識によって取り扱われる諸現象として部分化したのでした。
かってそれらを統合していた宗教的な事柄もその現象の一つとなり、それは、I.カントの「わたしは信仰に席を与えるために、知識を廃棄しなければならなかった」(*7) という言葉によく現われています。
信仰と知識、あるいは理性的認識は、完全に別のものとして位置づけられたのです。それはまた、倫理的な事柄と科学的なことががら完全に分離されたことを意味しています。
近代科学の創始者たちの意図とは別に、宗教と科学は分離され、合理的な数式による世界理解が始まると同時に、「神の領域」は狭められていきました。
 こうして、倫理学は、西欧近代社会において、それまでの基礎づけ、もしくは究極的な目標として前提されていた形而上学的超越、あるいは「神」といった枠組みから離れて、独自に哲学的倫理学へと向かったのでした。
一般的な傾向として、人は、理性によって到達することができる経験的な現象世界に思惟を傾け、客観的事実が明瞭に現われる数理学的な思考が中心になり、たとえば、人間と世界を数値による比較が可能な経済原理によって理解するようになったのです。
その代表的な姿の一つとして、英国では、J.ロックの経験主義的な流れの中で、神学的な前提なしに、社会と文化生活の行為と目的を人間の理性的理解に基づくそれ自体の道徳性から追求し、自然法にかなう自然の状態としての自由と平等が主張され、フランス革命やアメリカ独立戦争を導く要因が生み出されていきました。  このようにして倫理学は、世界あるいは社会と人間に内在する目的の追求、「人間性の追求の学」となり、人間と社会の哲学的・心理学的分析成果を前提にして、存在現象の個々の事柄を個別に取り扱うようになったのです。
しかし、ある特定の歴史と状況下における個別の事柄が個別に考察されたために、その個別の領域から全体性が志向されることはあっても、それはただ部分的になされるだけに過ぎなくなり、それらを統合する普遍性を失って、無数の倫理基準が存在するという、いわば倫理学的分裂状況に至ったのです。
「価値観の多様化」といわれる現象は、そうした状況の反映に他なりなせん。
価値観が多様になり、一つの事柄に多くの価値が見い出されるようになることは素晴しいことに違いありませんが、そのことによって、何が本当に正しいことなのかも解らなくなるという混迷が続いたのです。
 しかし、もう一方では、こうした分裂状況に対する思想的な抵抗が引き起こされていきました。その抵抗は、初めはカントの道徳哲学の影響下で行われました。
 ドイツ敬虔主義と啓蒙主義、および近代自然科学の客観的認識の主張の中で育ったI.カントは、ルソー(J. Rousseau)のヒューマニズムとの出会いによって、その偉大な天才的思考力を用いて人間の理性を認識論的に分析し、人間理性の先験性(ア・プリオリ)に基づく倫理学を哲学の総体として形成しようとしました。
彼は、人間の道徳性の原理が、人間の「人格性」に基づく「自律(自己立法 - Autonomie)」にあることを明白にし、「善」なるものとしての人間の理性的意志に基づく倫理の根本原理として、「人間の行為が普遍的な法則になるような行為であるべき」であると主張したのです。
つまり、ある人間の主観的な行為の善悪は、その行為がどれくらい普遍性を持つがどうかにかかっているというのです。
カントの場合、その「普遍性」の究極は、まだ「神」でしたが、カント以後のヘーゲル(Hegel)は、それを「歴史精神」と呼びました。
ヘーゲルを批判し、実存哲学を形成したS.キルケゴール(S. Kierkegaard)にとっては、それは「単独者としての実存」であるし、今日の民主主義的ヒューマニストにとっては「最大多数」ということになるのかもしれません。
いずれにしても、それらはカントの批判哲学のG線上の延長であるように思われますし、その「普遍性」とは何か、が倫理学の構造上の最大の問題であることに変わりはありません。
 カントがその「普遍性」を求めて、実践理性の要請として神を必要としたことはキリスト教的「神」を弁証するキリスト教神学にひとつの道筋をつけました。
たとえばシュライエルマッハー(F. E. D. Schleiermacher)などは、絶対的に聖なる神を知覚し、この「普遍性」を提示するものを人間に内在する「宗教感情」あるいは「宗教意識」に置き、そこから倫理を人間の行為の実質的価値へと向かうものとして規定したりしました。
しかし、シュライエルマッハーが人間に先験的(ア・プリオリ)に備わっているとした「宗教感情」そのものが曖昧な概念であることは否めませんでした。
トレルチ(E. Troeltsch)は、キリスト教の終末思想に基づいて、「普遍的な事柄」を、人間に内在するものではなく、人間の外にあり、しかも世界に内在して世界そのものの方向を決定する「歴史」に見い出そうとしました。
彼にとっての「歴史」とは、終末の完成に向けて発展していく世界の生成運動そのものを意味しており、その歴史の終末的完成の過程から倫理的行為の規範を見い出そうとしたのです。
それは、トレルチ自身は否定するかも知れませんが、ヘーゲルの「歴史精神」の神学化と言うことが可能かも知れませんし、「歴史」概念を神学的に考察したアウグスティヌス以来のキリスト教思想に基づく西洋思想の伝統的な底流の一つでもありました。
終末思想は西洋思想の根底に背骨のように横たわっています。
 しかし、現実の歴史の悲惨さは、その歴史の未来への信頼を粉々にするには十分過ぎるほどでした。
戦争に示されたような人間の残虐性と罪性の深さは、人間の未来に対する信頼を絶望的なものにしました。
アウシュビッツと南京大虐殺、ヒロシマとナガサキの原子爆弾は、多くの人間を殺しただけではなく、人類の未来そのものも絶望に陥し込んだのです。
そこでは、「神も仏もない悲惨な現実」が展開されただけでした。人間は徹底的に神の不在を体験しなければならなかったのです。
そして、安易に神を持ち出すことも、歴史の終末的完成をユートピアとするような単純な楽観主義も、それこそが未来を最も危険な状態にしてしまうことを明白にしたのです。
また、なんらかの歴史的価値を絶対視することによってイデオロギーが形成されてきましたが、そのイデオロギーに立脚することの危険性と限界を、私たちは身をもって知ったのです。
「歴史」は、常に、相対的であり、変化し、そこに多くの蓋然性があっても、普遍的な倫理の価値基準となるような絶対的な「普遍性」を見い出すことは不可能なのです。
 20世紀になって、現代の弁証法神学者と呼ばれる人たちが、新約聖書の福音理解に基づく倫理的要請という観点から倫理学を神学的に再構築しようとしましたが、悲惨な現実の中で徹底的に神の不在を経験し、それと同時に、超越概念や神という概念が意味を失った世俗化された社会で、どこまでそれが有効であるかが問われることになりました。
 その弁証法神学を代表するK.バルト(K. Barth)の影響を受けたD.ボンヘッファー(D. Bonhoeffer)は、世俗化社会における新しい倫理学を「成人した世界」というイメージで再構築しようとしましたが、志し半ばでナチス・ドイツの手で惨殺されてしまいました。
ボンヘッファーのいう「成人した世界」とは、各自がそれぞれの罪責を背負う覚悟の下で責任を負う行為を自覚する世界のことで、その模範は、いうまでもなく人々の罪を背負いつつ黙々と十字架への道を歩まれたイエス・キリストに他なりませんでした。
彼は倫理的普遍の概念を、「歴史」や「社会」、あるいはイデアに求めたのではなく、あくまでも「人となった神・キリスト」に求め、そこから「神なき世界」の倫理学を考察しようとしたのです。しかし、それは、先に述べたように中断されてしまいました。
 一方、20世紀を代表する哲学者の一人であるM.シェーラー(M. Scheler)は、その「普遍性」を「価値の体系」に基づいて考察し、価値倫理学を提唱しました。
つまり、私たちが何を大切にし、何を最も意味あるものと見なすかによってできる価値の序列に従って人間の倫理的行為を位置づけようとしたのです。
彼は「価値」を、上位のものから、精神的価値、生命価値、快適価値、有用価値といった4段階に区分し、それを「普遍的」なものとして提示し、より低い価値から高い価値へと向かう行動を「善」としたのです。
その価値の序列は、ちょうどアリストテレスがすべての存在するものを「神」に向かう階段に配置して世界秩序を位置づけたものに似ていると言えます。
確かに、私たち人間は、ちょうどバベルの塔を築き上げるように、何につけても「より高いもの」目指していく性向をもっています。
まして私たちの理性は、私たちが「理性の本質的向上性」と呼ぶようなものをもち、それによってあらゆるものを「価値」によって認識しようとします。
 しかし、価値の高低や強弱は、状況や適応性に大きく依存し、ある条件の下では価値あるものと認められることも、他の条件下ではまったく認められないことが起こり、シェーラーが倫理の基礎づけとして求めた価値の序列体系そのものが相対的でしかありえないために、それがどこまで「普遍性」を保証するかは疑問のあるところです。
つまり、この価値の体系を普遍的なものにするためには、どこかに、世界の絶対的外側の無時間的・無空間的なところに価値を基礎づける「何か」、あるいは「何者か」を必要とし、それ以外では常に相対化の危機を脱却することができないのです。
その意味では、シェーラーの価値倫理学は、結局は、プラトン以来の西欧の思想的伝統である形而上学的超越に絶対的価値を見い出すことができる時にのみ有為に働くと言えます。
 こうして倫理学を再構築しようとした努力は、結局、ソクラテス以来の倫理の「普遍性」という究極的な問題へと帰っていかざるを得ないのです。
つまり、たとえ実際にどのように悲惨な神なき現実が展開されようと、神なき世俗社会にあっても、また人が「神」というものを意識しようとしまいと、神なしには普遍性をもつ善悪の判断体系を形成することができないということです。
 例えば、私たちは固体Aとその複製であるクローンA'との区別をどのようにつけることができるでしょうか。固体Aの部分が損失した時、クローンA'の部分を用いて修復することの是非をどう判断するでしょうか。
技術的に可能なことでも、それを行わないという科学と技術の限界をどこで定めたら良いでしょうか。遺伝子操作の限界をどこで、どのように定めることができるでしょうか。
 結論的に言えば、これまで、私たちは、日本と西欧における「倫理」の概念とその歴史的展開を概観することによって、その課題を明瞭にしようとしてきましたが、日本的な調停倫理をきちんと体系化し、普遍的な倫理体系を再構築するためには、その「普遍性」をどこに置くかということに対しての十分な配慮が必要となると言えます。
もちろんここでその「普遍性」や「神」について直接的に考察する訳ではないのですが、これから私たちが取り上げようとする個々の人間の行為についての倫理的考察においてこそ、その考察の根底で、そのことを明瞭に認識しておく必要があると言うことです。
 ここではそれをわきまえつつ、具体的な倫理学の最も根本であり、最大の課題である「人間」についての考察から始めたいと思います。

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