K's Community 現代倫理学概説

その13


<自然との共生>

 自然は人間に生きるための多くの恵みを与えるものであると同時に、時に、人間を越える猛威を発揮し、人間を苦しめ、殺す、脅威そのものでした。人間は自然の恵みを甘受して受け取って生きると同時に、その自然に脅え続けたのです。
そのために、人間は、なんとかこの自然のメカニズムを発見し、この脅威から身を守る努力を重ねてきました。そこで人間は、自らがその中に存在するにもかかわらず、自然を対象として取り扱う能力を獲得してきました。
人間にとって自然は、これを利用し、自分に都合のいいように改良し、克服すべき「対象」となり、人間は、それを「対象」として利用する「自然の主」であることを願って、多くの研究と学問を生み出てきたのです。
そして、この自然の利用と克服の方法を「文明」と呼び、「文明化」されることを「善」とし、これを押し進め、現代社会を築き上げてきました。
しかし、「自然の主」たらんとした人間の身勝手な行動は、自然のメカニズムを破壊し、再生不可能な状態にまで追い詰め、こうして様々に破壊され変質した環境によって、今度は、人間自身の生存が危機にさらされるという自然からの手痛い反撃を受けるに至っています。
いまや地球上には、人間の手によって造り出されたあらゆる汚染物質が満ちあふれ、遺伝子操作によって人工的に造り出された変種の動植物が誕生し、生態系が壊され、それらが、所詮は自然の一部にしか過ぎない人間の生命活動の危機的状況を生み出しています。
緑が失われ砂漠化が進行し、水俣病などの水質汚染によって多くの人間の生命が失われ、オゾン層の破壊によって直接降り注ぐ太陽光線は、癌という異質物を作り出し、製造された放射性物質による変質や破壊、気候と地形の異変など、数限り無い生命の危機をもたらし、人間は、その本来的に属している自然を対象化することによって、いわば、自分の手で自分の首を締め続けてきたのです。
世界の各地において、自然環境がどのように破壊され、現在どのような状況にあるかが、詳細に渡って報告されていますし、その報告は、環境の破壊がほとんど絶望的に進行していることを告げています。
「人類は地表をわたって進み、その足跡に荒野を残した」と言われるとおりです。
 それ故、今、人間はその獲得のために握りしめた掌の指を一本一本解き、自らを解放しなければならなくなりました。
先進国における消費の抑制、世界的な規模での緑の再生、急激に人口が増加したアジア・アフリカでの人口増加の抑制、馬鹿げた戦争の停止と核兵器の廃絶、水と空気の浄化、散布された化学物質の除去、ゴミや廃棄物の処理方法の検討と資源のリサイクル、食料品の安全確保、など多くの課題が山積みされています。
そして、現在、地球規模で環境問題がクローズアップされ、多くの取り組みが志向され始めました。
世界環境会議が日本でも開催され、車の排気ガスの規制が施行され、ゴミ問題を初めとする環境保全への取り組みが地域や家庭で行われるよう訴えられています。
自然環境の保全は、人類全体がその存亡をかけて早急に、しかも、それを破壊してきた以上の時間をかけて取り組まなければならない巨大な課題に他なりません。
 しかし、それらの取り組みの多くの場合、その根本的な発想の中に、なお、自然をあくまでも「対象」として位置づけ、人間がこれを管理し、統治するものであるという「人間−自然」の構造がしばしば見られます。
そこでは、人間は自然の上位に立ち、人間が「自然の主」として自然環境を管理し、保存しようとします。
自然は人間の所有物として扱われ、人間に都合のいい部分だけが保存されるようになり、やがては、厄介なことに、環境保護の美名の下で自然の改変が行われることになり、再び、自然が変質されていくことは必至となります。
従って、環境問題の解決は、人間が「自然の主」としてこれを管理保全しようとすることによってではなく、人間と自然との関係をきちんと捉え直して、人間が自然のすべてのものと共に生きることを志向し、それが人間自身の自己解放の行為であることを明瞭に認識することによって、初めて可能になるのです。
自然環境の保全は、単に人間が生き延びるために自然の環境を保持しようとすることではなく、もっと根本的には、人間が自らを解放していく人間の自己解放の行為に他ならないのです。
 それは、人間自身が、自分は自然の一部であり、他の動植物や自然環境なしには存在しえないものであることを明瞭に自覚し、自然は「対象」ではなく、共に生きるパートナーであることを認識することから始まります。
自然に関する知恵と知識を持つ人間は、自然の生態系とライフサイクル、再生のサイクルをよく認識し、そのサイクルを共にするように人間自らの生活の形態を変革しなければならないのです。
そして、20世紀末にその最高の科学技術力で宇宙に飛び出すことが可能になった人類が発見したものが、自らが居住する地球という美しい惑星の全体像と惑星地球の規模で物事を全体的に見る視点であるとしたら、人間の生活全体と自然環境をその地球規模で、グローバルな視点で考察し、社会構造全体を「共生の構造」へと変えていく必要があるのです。
環境問題こそグローバルな倫理学を必要とするのです。

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