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理性的生物である人間は、また、同時に、本質的に関係存在であり、人間としての特性の中に、本質的に他のものと関係する「関係性」を内包させて生きています。
つまり、人間は単独で、孤独に存在しているのではなく、その生存のために「他者」を必要としているということです。
古来から、人間が「群れ」を形成するとか、社会を形成するとかいった人間の集団形成性は、よく自覚され、人間が形成する社会がどうあるべきかということは、人間の精神の体系的営みとしての思想の最大の課題でした。
プラトンは「国家論」を著し、アウグスティヌスは「神の国」を思索し、K.マルクス(Marx)は「共産主義社会」を夢見てきました。
日本においては、西欧社会のような明確な国家論というものは、あまり見ることはできませんが、それでも大化の改新や明治維新を初めとする歴史上の大きな変革は、「あるべき社会」や「国のかたち」を追求したものに他なりませんでした。
「群れ」や社会を形成するのは人間だけではなく、他の動植物も同じですが、人間はその形成する社会のあり方を考察し、変革し、社会の中の構成員であることをもって、自己教育を行い、さらにその社会の発達を促してきたのです。
そして、人間の存在はその形成した社会によって規定され、構造づけられ、多くの場合、社会内存在としてしか生きることができないが故に、人間は、その形成する社会によって、立ちもし倒れもしますし、生き生きと生きたり、自らを破滅させたりもします。
その意味では、人間が形成する社会のあり方を模索することは、人間の現実の生存をかけた最大の課題と言えます。
しかし、人間が本質的に関係存在であることは、単に、生物学や社会学、あるいは政治学的な問題ではなく、より根本的には、人間の存在論的な問題であることを意味しています。
つまり、人間が存在することそのものの問題であり、人間の存在が「他との関係性」によって成立していることを意味しているのです。
人間は何か他のものとの関係においてのみ、人間として存在することができるのであり、他の何かの存在なしには存在しえないのです。
しかし、このことを深い反省を持って自覚したのは、人類史上でもごく最近のことでした。
20世紀になって、全人類を巻き込むような巨大な戦争による殺戮や環境破壊に見られるような「近代的自我意識」や自分勝手なエゴイズムを増長させてきたことの悲惨な結果を踏まえて、人類は、今、地球規模で、この人間の「本質的関係性」についての明瞭な認識と反省に基づいた人間のあり方を模索しなければならない状況に直面しています。
交通網と情報通信手段の発達によって、地球上の隅々の出来事を瞬時に知ることができるようになったことも一因していますが、かつての独善的で唯我独尊的な存在論を振り回すのではなく、他の、あらゆる相違性をもつものについての広い知識と深い認識をもって、すべてのものとの「共生」を志向しなければ生き延びることができない状況に直面しているのです。
その意味で、20世紀が積み残し、21世紀に解決されなければならない人間の最大で具体的な課題は「共生」であると言っても過言ではありません。
そして、この人類の最大の課題である「共生」のための根本原理を提供するのが、人間が本質的な関係存在であるという認識に他ならないのです。
この原理によって「共生」を志向する際、少なくとも、種として次の2つの事柄が考えられる必要があるように思われます。
1)自然との共生 2)他の人間との共生
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