第一章 宇宙(世界)と人間

2.(1) 自然の合理的理解のはじまり−思想の原初的形態は合理主義

自分がわからないことがたくさんあることを知って、これを何とか納得がいく形でわかろうとし、「ものの不思議」を尋ね、そして、それを「神話」という物語りにして伝えた人々の感性には、本当に驚かされます。

「神話」を読みますと、そこには、とてつもない想像力が働いており、現代作家の優れた作品以上の大きな世界が広がっています。

「神話」を生みだした人間の知恵と感性は、やがて、三つの方向を取っていきました。

一つは、物語りそのものを具体的に表現する芸術です。物語の想像力が駆使されて「劇」として演じられ、踊りが舞われ、それを書き留める書物、絵画、音楽も発達していきました。やがて、神話とは別の、人間の運命や哀しみを描いた物語も創作されました。

優れた作品が次々と生み出され、たとえば、ソポクレスの『ギリシャ悲劇』は、今でも大きな感動と問題を提起してくれます。

もう一つは宗教です。今日の宗教の形態とはだいぶ異なっていますが、「神話」の「神」の部分は宗教化されました。宗教と芸術は、原初的形態では不可分で、宗教の教えが芸術を促し、芸術が宗教の形態をさらに整える、相互作用的な機能を果たしました。

古代の芸術作品のほとんどは、極めて宗教的ですね。もちろん、人々は宗教を「宗教」として理解したわけではありません。むしろ、一般的には、他の人々との社会生活を円滑にするための「教え」、あるいは「礼儀」や「作法」、自分を越えた力を持つものへの「恐れ」や「祈り・祈願」の表現の仕方、として理解していただろうと思います。

人々は宗教的儀式を行うことによって、安全で豊かな生活を祈り求めました。宗教の本質は「御利益」にあるのです。こうして、宗教は社会構造を整え、社会倫理として働きました。ですから、時の政治的・社会的権力者は、宗教の最高位者でもありましたし、宗教は権力者によって、人々の支配原理として用いれました。

こうしたことは、今日でも度々起こっていることですね。権力者と宗教家が合体すると、とてつもなく醜悪で、恐ろしいものが生まれたりします。ヒットラーがユダヤ人虐殺の理論としてキリスト教を用いたことは、良く知られていることです。

宗教の社会的な機能とは別に、宗教は世界と人間についての説明もしました。「不思議」を合理化させ、それを神秘の領域に押し上げ、ある程度の納得を与えたのです。

「不思議」の感動は、こうして満たされ、また埋没させられました。何の疑問も抱かず、感動もせず、自分の欲求を満たすことだけを考え、日々の楽しみだけを追求し、安っぽい納得を得て、生活が織りなされていきました。

人間は「安定した豊かな生活」を求めますが、「安定した豊かな生活」だけを求めると、人間は無感動になるのかもしれません。

ともあれ、この二つは、世界中のどの民族、どの種族でも、またどの地域でも生まれてきた形態です。人間の精神的行為の原型なのかもしれません。

ところが、感性の鋭い人で、自分が受けた感動を失わず、「不思議」を「不思議」として持ち続けた人が現れるのです。

ギリシャのミレトスという町に住んでいたタレスという人です。紀元前6世紀頃の人だと言われています。この人について、もちろん詳しい資料が残っているわけではありませんが、エジプトのピラミッドの高さを正確に知る方法を見つけだした最初の人だと言われています。

四角錐であるピラミッドの高さは、どうしたらわかるのでしょう。そびえ立つ木は、何mあるでしょう。物差しで測ることはできませんね。昔の人々は、ものの長さを測るときに、腕や足といった人間の体を使って測っていましたが、まさか人間の体を切り取って並べるわけにはいきません。

タレスは、太陽が作る影を利用したのです。ある時間にImの棒の影がxで、その時のピラミッドの影がyであれば、ピラミッドの高さはy/xmとなりますね。今で言えば、数学の「相似形」を利用することができます。

「相似」や「合同」は、中学校の数学で、今、習います。あれの基になる考えを示した人が、紀元前6世紀のタレスなのです。

日本人は、恐らく、まだ、竪穴式住居に住んでいた頃でしょうから、驚きますね。そして、現代、中学校の数学で、タレスの発想を学んでいるわけです。

中学校でも、数学で「相似」や「合同」を習うときに、先生が「あの木の高さは何mあるか、調べてきなさい。それが今度の期末試験の問題です」なんて、教えてくれたら、数学もおもしろかったでしょうね。

理論的なことをわかった振りをして教える先生は「死んでしまえ」と言いたいですね。数学の先生はタレスやピタゴラスになってみるべきですね。古代ギリシャの衣装をつけて、数学の先生が教壇に立たれると、本当におもしろかろうと思うのです。数学、好きになりますよ。

ともあれ、タレスという人は、「不思議なこと」に疑問を持ち、安っぽい宗教で納得するのではなく、自分の回りの世界を「よく観察」し、これを解き明かす方法をさぐりました。

もちろん、彼は神や神々を否定したわけではありません。むしろ、神々が作ったこの世界は、いろいろな現象を生み出すが、いったいその「根源」は何だろうかと考えたのです。

これが、哲学の始まりだと言われています。哲学、あるいは思想の始まりは、自然(世界と宇宙)の合理的な理解を求めることだったのです。今で言えば自然科学なのです。

学問が今のように細かく細分化されたのは、近代になってからですが、どんな学問にしろ、ものごとを考えるときに、最初に必要なのは、合理的な道筋なのですね。宗教を専門的に考える神学も、「飛躍」や「弁証法」も、それを考えるときには「合理的な道筋」が不可欠です。

そして、大事なことは、その「道筋」(これを論理という人もいます。)なのです。タレスが最初の哲学者といわれるのは、彼がその方法を採ったからです。

今の時代は、「結果」がとても重要視されます。お金をいくら稼いだ、本を何冊出した、読者を何人得た、家を建てた、車を買った、高級品をいくつ持っている、結婚した、離婚した、死んだ。すべてが「結果」で、それでものごとを判断しようとします。

でも、本当は「結果」なんか、あまり意味がないかもしれませんね。そもそも、人生に「結果」なんか意味がないし、「結果」なんか出せないのではないでしょうか。今、生きている途上にあって、意味があるのは、「どうしたのか」、「どんな風に過ごしたのか」、「どうしているのか」だけかもしれません。

タレスが、世界の「根源」を尋ねて、得た結果は「世界の根源は水である」というものでした。

これにはまた、意味のあることだと思いますが、次回にすることにしましょう。

- A Promenade of Western Thought - K.Wiseman, O.Mai 著
Note

☆今回は、最初の哲学者といわれるタレスという人について触れ、「合理的な道筋」という思想の始まりを見てみました。

☆途中で、少し道草をしましたが、道草もまた楽しいと思っています。子どもの頃、いつまで経っても家に帰り着かないで、途中の川や山で遊んでいました。よく怒られたものですが、僕の性癖です。

☆このメルマガを発行して3回目にしかならないのですが、本当にたくさんのメールをいただきました。心から感謝しています。ありがとうございました。根が単純なので、嬉しくなります。

☆1回に書く分量、少し多いのではないかと心配しています。パソコンの容量の問題もあります。分量についてのご意見をお聞かせ下さい。

Index

第一章
宇宙(世界)と人間

第二章
人間とその位置づけ

第三章
人間と社会

第四章
人間と教育

第五章
知識と言語

Home | Mail Magazine | K's Community