ところで、皆さんは、ふと夜空を見上げて、そこに瞬く月や星、そしてそれを地上で眺めている小さな自分を感じて、何か神秘的な、不思議な感覚を覚えたことはないでしょうか。「感動」と言ってもいいかもしれません。
古代の人たちは、今よりももっと鮮明に星々を見ることができたでしょうから、この感覚は強烈であったに違いありません。そして、それだけに「感動」も大きかったのではないでしょうか。
今夜、夜空を見上げてみませんか。たとえ星が瞬かない空でも、じっと見上げていると、いい知れない「感動」に包まれますよね。
「感動」こそがすべての始まりであり、「感動」は人間を救う力を持っています。感動のない人は滅びる、と僕は思っていますし、感動は未来を築きます。「感動」は人間の心のエネルギーです。
古代の人たちが、「ねぇ、聞いて、聞いて!」と言って話したかどうかは分かりませんが、見たことの不思議さとその「感動」を何とか人に伝えようとしたに違いありません。
そしてそこに、いろいろな「意味」を読みとり、それを「物語り」として伝えました。「物語り」の方が、人に伝えるときに伝えやすいからですし、様々な感性も伝えられるからです。
子どもの教育で、物語りを読み聞かせるというのは、とても大きな意味を持っています。両親がいろいろなお話をしてあげた子どもは、感性も想像力も、思考力も、そして表現力も豊かですね。
最近、僕の若い友人は単語しか話さなくなりました。いろいろ聞きたいと思って話しかけると、「うるさいねぇ」と答えます。沈黙して別れるしかないのですが、どんな親になるのだろうと心配です。現代人は物語りをすることができなくなっているのかもしれません。
それはともかくとして、古代人で感性も知性も豊かな人は、自分が不思議に思い、感動したことを物語りにしました。
たとえば、星たちの物語り、風や雨の物語り、そして花や動物、人間の物語りです。今、ここでは雨が降っていますので、こういう会話を考えてみました。
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「ねぇ、お母様、どうして雨が降るの?雨はどこからくるの?どうして嵐があったり、優しく降ったり、雷が鳴ったりするの?」
「それはね、天には神様がいらして、優しい雨が降るのは、悲しいことがあって、神様が泣いておられるのよ。悲しいと涙がでるでしょう。優しい雨は神様の涙なのよ。嵐のときは、神様が怒っているの。雷は、神様の大声よ。とても怖いでしょう。」
「神様も怒るの?」
「神様はね、人間が自分勝手なことをしたとき怒るのよ。嵐になって雷が鳴るのは、とっても怒っておられるのよ。」
「ふぅん。じゃ、神様が怒っておられる姿って、お母様がお父様にいろいろ言われているときみたいなんだ。」
「………」
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もちろん、自然科学の知識を手に入れた現代人は、雨も風も科学的に説明できますが、こうした物語りには、物語り独自の意味と感性がありますね。
ともあれ、こうして古代の人々は『神話』を作っていきました。現代フランスの解釈学者であるP.リクールは、神話は象徴と意味の言語である、と言っていますが、神話の中には、人間の世界理解がこめられ、その中で生きている人間の喜怒哀楽が、実に見事に織り込まれています。
人間がその宇宙と世界を感じ、ものの不思議を尋ね、それを物語りにして伝えた。「神話」は人間の世界理解の始まりなのです。そして、神話によって、人間は知性と感性を高め、精神的営為を営んできたのです。
ですから、精神的な動物である人間が住んでいるとことには、どこでも「神話」があります。アフリカの小さな種族も、独自の神話を持っています。
その内、特に有名なのは『ギリシャ神話』と『旧約聖書の天地創造神話』でしょう。日本にも『古事記』と『日本書紀』に創造神話がありますが、それについては別の機会に触れることにします。
『ギリシャ神話』は、ギリシャのオリンポスの山々に住む神々の物語です。ゼウス(ちなみにギリシャ語で「神」という意味です)や美しい女神たち、アポロやポセイドンなど、数限りなく有名な神々の名が登場してきますね。
これらは、世界がどうして今あるようになったのかを説明する「原因譚」です。たとえば、ゲーナ(ギリシャ語で「大地」)が次々と子供を産みます。ポセイドン(海)もゲーナの子どもです。
地上の世界のすべては「大地」から生まれました。古代ギリシャ人は、そう思ったのでしょうね。草や木は大地から生えてきますし、水も大地から湧き出ます。それは素朴な、自然に対する実感でしょうね。
『旧約聖書の天地創造神話』は、『ギリシャ神話』より人為的です。今日でも、思想的にも、大きな影響を与えていますので、注意して読む必要があります。
そこでは、神が6日で混沌(カオス)から世界を「神の言葉によって」創造し、その中に、アダムとイヴを創造し、エデンの園に置いたが、人間の罪により、二人はそこから追放された、というのが記されています。
これは、古代バビロニアの創造神話をもとにして紀元前6世紀頃に書かれたものですが、聖書には聖書独自の思想がもりこまれています。
ただ、注意しなければならないのは、これは「神話」であり、「神話」は「神話」として読まれなければならないと言うことです。神が創造した「6日」というのも、神話の時間で、単なる時間的な意味ではなく、創造された順番、つまり、世界秩序の意味を伝えるものですね。
『ギリシャ神話』や旧約聖書の『創世記』を解説するだけで、恐らく、数千ページになってしまいますから、ここではこれ以上触れないことにして、人間が宇宙、世界、あるいは人間自身を語るときに、「神」というものを用いて語り、またそうしなければならなかったほど、人々は「不思議」の思いに満たされて世界を見つめたということに止めておきましょう。
「ものの不思議を尋ねる。」これが知性と知識の始まりでした。そして、それが哲学や思想の始まりだったのです。「尋ねる」のは、わからないからですね。つまり、「わからない」ということ、これがすべての始まりなのです。
「わからないこと」がたくさんあるのは、素敵なことだと思います。ただ、わかろうと努力することは大切ですね。わかった振りをする人、わかろうとしない人、そんな無感動な人とは、バイバイして、わかろうと努力して、たくさんの感動を得たいですね。
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☆今回は、「宇宙(世界)と人間」の最初の部分、宇宙観のはじまりについて考えてみました。すべてのはじまりが「わからないこと。そしてそれをわかろうとすること。感動すること」にあった、というのは、僕にとっては意味のあることのように思うのですが、いかがでしょうか。
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☆ちなみに、星を見るのは夏と冬がいいのですが、秋の夜空も哀しみがあっていのではないでしょうか。僕の住む山里では、まだ、星がよく見えます。
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