唯物的世界観をもち、「人生をいかに楽しく生きるか」ということについての処世術を説いたエピクロスは、人間の生の目的を「快楽」においたことからも解るとおり、物事を考える基準に「感覚」を置きました。「自分の感覚を信頼しなければならない」というのが、彼の主張でした。
あらゆる認識は感覚を通してもたらされます。しかし、もし、その感覚を間違って解釈したり、判断を間違えると、誤りを犯し、真の認識がえられないのですから、自分の感覚を正しく働かせることに充分注意しなければならない、と考えました。
エピクロスは紀元前3世紀の人で、人間のすべての行動の目標は快楽である、と主張し、快楽の判断基準として「感覚」を置いたのです。しかし、この快楽の結果を予測して、破滅ではなく自ら高めるような快楽を求めなければならないし、精神的快楽の方が肉体的快楽よりも遥かに優れていると述べています。
このエピクロスの主張は、極めて古くて新しい考え方であり、たとえば、善悪の倫理基準が相対化されてしまった現代においても、功利主義や実用主義、あるいは、状況倫理といった考え方の根本にあるのは「快の追求」に他なりません。「幸福」は「快」であり、善悪の基準は「快−不快」にあるというのが、現代人の大まかな感覚です。
現代人は、科学的知識の進歩によって理性的であると同時に、「快」を人生の基準におく快楽主義者でもあるのです。
知り、考えることの基礎となるものは感覚を通して与えられるという、このエピクロスの主張は、経験主義的であり、現実主義的な刹那感をもっていたストア派の人々も同じように考えました。
ストア派の人々は、人間の魂は、生まれた時には何も書かれていない白紙の状態であり、その後、事物から印象を受け取り、その印象が持続して記憶されるイメージとなり、そのイメージからイデアが創られると考えました。そして、人間の精神とは、受け取った印象を一般的イデアへと組織化する働きであると考えたのです。認識は感覚的な印象に由来し、印象の組織化によってもたらされると言うのです。
人間の精神は「感覚」という窓を通して世界を見渡し、感覚は外界の刺激を受けて、経験を精神の上に印象づけ、次々とそれをイデア化するのだから、イデアに相当するものは現実に存在するものである、というのが彼らの存在論でした。つまり、あるから感じるのではなく、感じるものがある、のです。
社会的地位や身分ということからすれば、多くの場合、寄留民として常に生き抜くことを強いられていたストア派の人々が、処世術(How to)を駆使し、現実主義的に経験と感覚を基本にして物事を考えざるをえなかったことは、わかるような気もします。
思考の基礎を理性におくか感覚におくかは、経験がイデアを生むのか、それともイデアが経験を生むのか、ということでもあり、その後長く哲学の二大見解として問題にされてきたものですが、「ニワトリとたまご」の論争に似たものの感があります。
この問題は中世の哲学における唯名論と実在論の対立でもありました。実在論者は、プラトンのイデア論をさらに推し進めて、イデアは一般的な概念や経験、事物から完全に独立した普遍的存在であるし、実在する、と主張しましたが、唯名論者は、イデアは経験の結果であり、固有の経験から生み出されるものであると主張したのです。
そして、この問題を神学的に決着づけたのがアウグスティヌスでした。アウグスティヌスは、経験からえられる一般のイデアと神から与えられる啓示を区別することによって、経験主義と理性主義を両立させ、さらに、神的な信仰の領域を確立したのです。
人間は、まわりの世界については感覚や経験やその他のもので認識することができるし、その認識に応じて行動することができるので、日常生活の必要性に対しては、その認識で充分である、と彼は言います。しかし、より高度な認識がもうひとつあり、自然を経験することからでも自然(経験世界)からもたらされるのでもなく、神の啓示として信仰によってもたらされる啓示の認識がある、と考えたのです。
このアウグスティヌスの認識論は、プラトンの「究極のイデア」からの認識を神の啓示という姿で示し、経験によって自然世界からもたらされる認識の限界を示すものでした。この姿勢は、やがて、カントが『純粋理性批判』によって示した認識の限界と呼応していくものですが、それ以前に、中世キリスト教神学と哲学では、護教的に働き、神に関するすべての教えを守るものとして用いられました。
中世キリスト教は、この論によって、神に関する思考を停止させてしまいましたし、あらゆる反論を封じてしまったのです。
次回このことを少し見てみましょう。
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☆早いもので、こちらでは、もう、大好きな梅のつぼみが大きく膨らんでいますし、2〜3輪の花が咲き始めました。春遠からじ、です。しかし、北風もまだ頑張っています。
☆転居の準備もしなければならないのですが、予定日までスケジュールがつまり、書類一つ整理できない日々になってしまいました。肉体勝負の感がありますし、冬季オリンピックにはまってしまいましたので、いやはや、というところです。
☆元々、この時季は、僕は冬眠の季節で、身体がうまく機能しないことを感じることが多いのですが、「眠いなぁ」と思いつつ日々の暮らしに精を出しているような次第です。
☆まだまだ寒い日が続きます。健康に留意してお過ごしください。
では、また。
第一章
宇宙(世界)と人間
第二章
人間とその位置づけ
第三章
人間と社会
第四章
人間と教育
第五章
知識と言語
●小副川幸孝先生の著書
『説教集−日々の糧を与えたまえ』(リトン社 定価 2,500円)
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