第5章 知識と言語

1.考えること・思考の科学(2)

 私たちは、よく、「考える」ということを重要なことだと言います。多くのことがマニュアル化されて、マニュアル(指示書)がなければ動けなくなっている人々が増えて、自分で考えて創意工夫することができない現象が生まれていますので、「考える」ということが大変強調されます。

例えば、教育の分野では、「指示されることではなく、自分で考えること」を重要な教育目標に掲げます。大学生や院生でさえもマニュアルがなければレポート一つ書けないし、マニュアルを覚えることを学問だと錯覚している学者もいますから、「自分で考える」ことは、極めて重要なことです。

 しかし、「考える、考える」といっても、いったい何を考えるのでしょうか。考えることの究極は何でしょうか。ただ考えるだけならサルでも考えています。

 この問題に根本的な示唆を与えたのがソクラテスでした。ソクラテスは、すべてのことがらから「普遍的真理に至るように考えること」こそが、思考の究極の目標であることを明瞭に認識したのです。そして、ひとたび普遍的真理を見出したら、その真理に従って歩むべきことを主張しました。

そのために、彼が見出した思考の方法は、まず第一に、すべての誤った観念を排除することでした。あらゆる事柄だけではなく、その事柄の前提になっていることさえ「疑ってみる」ということでした。そして、第二に、よく観察をするということでした。そして、観察したことからすべての人にとって普遍的で疑問の余地のない論拠を見出すという作業をすること。これが「考える」ことの中身だったのです。

 たとえば、卑近な例で申し訳ないのですが、「お金がなければ生きていけない。人が生きるのにお金を必要とする」という考えが合ったとします(事実、ありますが)。まず、本当にそうか、と疑ってみるのです。そして、人の生活や生涯、社会の中でのお金の役割などをよく観察してみるのです。

そうしてみると、「お金」というものが、ただ、人が生きるのに必要なものを購入する社会的道具に過ぎないことがわかってきますので、「お金がなければ」ではなくて、実は、「食べ物や衣類、住むところなどがなければ」ということになってきます。

では、人はなぜ食べ物を必要とするのでしょうか。それをよく考えてみると、それが人の生命活動や行為のために必要だということがわかります。では、人の生命活動とは何でしょうか。行為とは何でしょうか。

こうして次々と考えていくことによって、ついには、「人間が生きるとは何か」ということに到達します。

ソクラテスは、こういうことをしつこいくらいに尋ね、質問し、まわりの人々が言う言説や主張、思想やものの考え方を注意深く検討し、定義を確立する作業にとりかかったのです。そして、その定義に従って、他の原理を打ち立てるという方法をとりました。こうしてソクラテスは、帰納と演繹の論理法を自然に打ち立て、思考過程の道筋をつけたのです。

 近代的思考の祖となったデカルトが、このソクラテスの方法を再登場させて、近代思想の幕開けを作ったのではないかと、僕は思っていますが、ともあれ、ソクラテスは「考えること」を「普遍的真理に至る道」として位置づけました。

 プラトンは、このソクラテスの思考方法を受け継ぎ、独自の認識論を提示しました。認識論というのは、簡単に言えば、ソクラテスの言う「観察と再考」に他なりません。「認識」を意味する英語の「recognition」という言葉は、「再び考えてみる」というほどの意味です。

 プラトンにとっても感覚的な知覚は真の認識をもたらすものではありませんでした。たとえば、私たちは木々の葉の色を「緑」だと知覚します。しかし、色弱の人にとって(色弱と呼ぶのは抵抗がありますが)、その色は「茶」に見えます。では、木々の葉の色は、真実には何でしょうか。光の屈折率が違う他の天体では、また、異なった色に見えるでしょう。従って、木々の葉の色を「緑」だと知覚する感覚は、木々の葉についての真の認識ではないのです。

知覚するものを越えてイデア(本質)に到達しなければ、真の認識には至らない、とプラトンは考えたのです。そして、そのイデアは、さまざまな知覚の経験からもたらされるものでも、経験に依存するものでもないと言います。イデアは「魂」に植えつけられて誕生してくるものだ、と言うのです。

カントの言葉を借りて説明すれば、イデアは「先験的に(ア・プリオリに)」人間の認識の能力の中にあり、人が、そのイデアを思い起こし、その意識の正面を見て再考する時に、真の認識が得られると主張しました。それを「感覚的認識」と異ならせて、「概念的認識」と呼びます。事物の本質の認識は、「感覚的・経験的認識」ではなく、「概念的認識」によってもたらされるというのが、プラトンの主張だったのです。

 プラトンの弟子であり、プラトンとは異なって現実認識を科学的に行ったアリストテレスは、それをさらに発展させました。

 アリストテレスの「思考方法と認識論・論理法」は、近代から現代にも大きな影響を及ぼしていますので、これは次回取り上げることにしましょう。

- A Promenade of Western Thought - K.Wiseman 著

Note

☆先日、動物園に出かけゴリラや象などを見てきました。動物園は、生きることの悲しみが充ちているようで、あまり好きではありませんが、食べて、眠り、繁殖をする存在そのものに大きな価値があることを、大あくびをするライオンを眺めつつ再考させられました。コーヒーショップの日溜まりで、僕も負けずに大あくびをして帰ってきました。

☆最近、図書館から司馬遼太郎の本を借りてきて読みあさっています。文体は剛で、展開も荒いのですが、とにかくおもしろいですね。小説はおもしろいのがなによりです。耽読しています。

☆寒くなってきました。近所では風邪も流行っています。ご自愛のうちにお過ごしください。ではまた。

Index

第一章
宇宙(世界)と人間

第二章
人間とその位置づけ

第三章
人間と社会

第四章
人間と教育

第五章
知識と言語

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