17世紀の天才パスカルは「人間は考える葦である」と『パンセ』の中で語りましたが、まことに人間は考えるサルです。多くの動物は(時にはある種の植物も)見たり、聞いたり、感じたりし、自分の周りの環境から感覚的刺激を受け、その感覚に従って行動します。その感覚的刺激から行動に移るまでに、動植物に「思考」というものがあるのかどうかは興味のあることですが、人間は感覚と行動の間に「思考」というものを働かせます。
それだけではなく、その感覚さえも「思考」に影響されます。同じものを見ても、それを美しいと感じる人もおれば、何も感じない人もいますし、反対に汚いと感じる人もいます。その感覚はその人の世界観(考え)に基づくからです。
人間は、なぜ、考えるのでしょうか。人間の『思考」はどこからもたらされるのでしょうか。
脳科学や生化学は、この問題についての科学的な分析を試みていますが、この問題は、科学的な問題であると同時に、いや、それ以上に、極めて哲学的な課題です。なぜなら、科学は現象の分析をしますが、現象の存在の根拠を問うのは哲学だからです。
古代ギリシャの哲学者たちは、この人間の「思考」、人間が「考える」ということの本質を「イデア」という言葉で表しましたが、彼らは、この「イデア」という言葉を使うことによって、「人間が考える」ということの謎に一つの解答を見出しました。
彼らは、イデアは人間を取り囲んでいる神や神々の本質からもたらされるもので、神や神々が人間には「善のイデア」を与え、邪悪なものには「悪のイデア」を与え、そのように人間の思考は、すべてを統制している神や神々の力から来たものであると考えたのです。思考は聖なる行為だったのです。
ヘラクレイトスは、理性(考える力)は、感覚の知覚作用よりもはるかに確実な知識の源泉であり、理的生活こそが、もっとも神々に近い最高の生活である、と考えていたようです。彼にとって理性とは、人間の中で神性がほとばしったもので、理性を欠いている人間には与えられない方法で真実を見る力となるものでした。
このような「考えること」や「思考」についてのイデアとしての思想は、その後長く近代に至るまで西洋思想の中で支配的でした。
初期ギリシャ哲学者たちの中で、「思考」や「認識」に関して特筆すべき思想をもっていたのは、エンペドクレスでしょう。
エンペドクレスは、「愛」についても興味ある考察をしていますが、彼は、人間が世界(宇宙)を構成している元素についての知識を持っているということは、人間の中にも世界(宇宙)を構成している元素と同じものがあるということに違いないと考えていました。人間が「水」を知っているのは、水の粒子が水から飛び出て目に届き、目の中に備わっている「水」の粒子に出会うからだというのです。水の粒子と水の粒子の接触によって人間は「水」を認識することができる、という論理を展開したのです。世界(宇宙)を認識することができるのは、水と同じように、世界を構成する粒子を人間があらかじめもっているからです。
このエンペドクレスの認識論は、後に、18世紀の終わりにI.カントが、認識の「先験性(ア・プリオリ)」という概念で展開しますが、「人間は知っているものを知る」のであり、知らないものは知覚も認識もしないのです。
原子論を展開したデモクリトスにとって感覚的な体験は曖昧な認識に過ぎませんでした。真の認識は感覚的な知覚を超越したところにあり、感覚的な知覚が終わったところから始まると考えていました。彼の認識論は、「禅の悟り」を彷彿させます。
いずれにしても、初期ギリシャ哲学者たちは、人間は本質的に思考のイデアをもち、それによってまわりの世界を認識するという能力をもつ、と考えていたのです。
極めて個人主義的で実存的な思考パターンをもっていたソフィストたちは、人間の認識力の普遍性ではなく、認識が全く個人に立脚するものであることを主張しました。つまり、物事を認識することができる人とできない人がおり、その人のイデアはその人の真理であり、別の人のイデアは別の人にとっての真理であり、すべての人に通用する客観的な絶対の真理などありえないと考えました。すべての尺度は、あくまでも個人に属することがらなのです。
彼らはそれによって普遍的な知識の可能性を否定しましたが、個人が物事を認識し、思考することを注意深く検証する必要を唱え、「思考の科学」を発達させたのです。
この「思考の科学」の必要性をもっとも深く感じ、しかも、ソフィストたちと異なって、普遍的真理の到達を試みたのがソクラテスでした。
次回、そのソクラテスの認識論と思考の科学について少し触れてみたいと思います。
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☆今号は、その序文を9月に書き始めたのですが、所用が重なって、書き終わったのが10月の半ばになってしまい、発行がずいぶん間延びしてしまいました。どうしたのかと心配してくださるメールもたくさんいただきましたが、例によって、ぼちぼちと散歩をしている次第です。
☆秋は何かと気ぜわしいのですが、庭の大銀杏が少し黄色くなり、夕暮れの茜空に慰められますね。来年の4月に転居の話があり、どうしようかな、と思ったりしています。
☆先日、幼稚園の運動会に招かれて出かけてきました。にこにこして走る小さな子どもたちを見て、こちらも本当に嬉しくなりました。「競うのではなく自分の力を出す運動会」でした。
☆大好きなコスモスが咲き始めました。いい季節です。秋を楽しんで、よい日々を。ではまた。
第一章
宇宙(世界)と人間
第二章
人間とその位置づけ
第三章
人間と社会
第四章
人間と教育
第五章
知識と言語
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