人間が生物として「宿命」を負っているということ、つまり、人間が自己とその環境を開発することによって初めて存在しうる生物であるということは、人間を考える上では、さらに深められた認識をもたらしてくれます。
たとえば、現代の生物学の研究成果を受け入れて総合的人間科学へと踏み出したアーノルド・ゲーレン(Arnold Gehlen)は、1940年に出版した『人間ーその本性と世界における人間の地位』で、人間を、その生理学欠陥を文化的行動によって補うべき存在として、「サルの胎児が文化的に訓育されたもの」と定義しています。
つまり、人間はサルの胎児が、未熟児の状態で、そのまま安定した状態で生存しているようなものだと言うのです。
彼のこの定義は、単なる文化論者が人間の歴史を文化の進化の歴史として捕えるような皮相的なことを意味しているのではなく、生物としての人間の本質構造そのものを意味しています。
ゲーレンは、生物学者のルイス・ボルク(Louis Bolk)やアドルフ・ポルトマン(Adolf Portmann)らの生物学的研究成果から、人間が形態学的にサルの胎児の進化が停滞した「欠陥動物」であり、生理学的に正常化された早産児であり、生きていくための器質的手段を欠いているために、直立歩行、言語、技術的行動などの文化的手段を講じて、その欠陥の負担を軽減しなければならないように定められている、との結論を得たのです。
そしてこのことは、人間の遺伝子の進化の過程の分析からも言われ得ることです。
人間の遺伝子は、その進化の過程で、環境との適合のために、単に自己自身の遺伝子構造を新しく変化させるだけではなく、自分自身に適合する環境を作り出すようにプログラムされていることが明らかになってきています。
生物学者であるテオドシウス・ドブザンスキー(Theodosius Dobzhansky)はそれを「遺伝子の適応の柔軟性」と呼んでいます。
もちろん、自ら適合する環境を作り出そうとするプログラムは、他の動物にもみられますが、人間の遺伝子の学習能力は群を抜いて大きいのです。
これらのことは、要するに、生物としての人間そのものが、自己を文化的に訓育し、適合する環境を自ら作り出さなければならない存在であるということを示しています。
人間とは、まさに宿命づけられた存在なのです。
もっとも、ゲーレンの人間科学は、これまで人が「精神の領域」として考えてきたあらゆる形而上学的概念を排除し、人間のすべての行動を生物学的自己保存の衝動として位置づけようとします。そのため、人間の精神性を全面的に否定する傾向をもってしまっています。
人間が歴史的に考察を積み重ねてきた宗教的超越概念や形而上学的概念は、現代においては再考を迫られているとはいえ、これを全面的に無視することは人間の一つの面、特に人格と精神の問題を捕え損なうことになりかねません。
人間の実践的行為を自己保存の生物学的衝動としてのみ捉えると、人間の行動の自由は見失われ、必然的に決定論(determinism)に陥ってしまうことになります。
すべてはその宿命の為せる業ですむことになり、人間は遺伝子と環境のあやつり人形になってしまいます。
従ってそのことによって、人間が本質的に抱え、第二次世界大戦とその後に危機的なまでに顕著になった人間の深い罪性の問題を見過ごしてしまうことにもなるのです。
決定論と自由の問題は、単に倫理学的問題であるという以上に、人間の本質構造の理解のための重要な問題として論じられなければならない課題ですが、その考察は別の機会に譲ることにします。
しかし、ゲーレンが現代の生物学的研究成果から得た「訓育の生物であり、文化的創造の生物」という人間についての結論は、人間の本質構造として、人間学の出発点に置かれるべきテーゼであることに変わりはありません。
この点では、ゲーレンの定義は真に鋭いものを持っているように思います。
(続く)
☆A.ゲーレンの師は、現代における新しい人間学の必要性を訴えたマックス・シェーラーでした。シェーラーは、「状況倫理」や「価値倫理」を唱えた倫理学者として著名ですが、ゲーレンはその師の持つ形而上学的・宗教的匂いを全面的に消し去ろうとしたのです。
☆そこで、彼は人間を生物学的観察の結果から見ることを徹底したのですが、その結果、これまでの全哲学で考えられてきた人間の「精神性」や「自由」を生物的生存の必然性にすり替えることになってしまいました。
☆すべてを「必然」にすり替えると、人間の精神は「楽」になるのかもしれません。僕自身も、一時期、そのように考えたいと思ったこともありました。
☆しかし、それではどうしても「自由」や「罪」や「過ち」が曖昧になってしまいます。ゲーレン自身の思考に西欧特有の合理主義的傾向があるように感じるのは、僕の偏見かもしれませんが、人間の精神の柔軟性を認めることは必要なことではないかと思ったりします。
☆次回は、この節の小さなまとめです。