人間とは、ほんとうに、いったい何なのでしょうか。
この問いは、地球上に人類が誕生し、「自意識」というものを持ち始めてから今日まで、常に問い続けられた問題だ、と言っても良いかもしれません。
恐らく最初は、周りの環境、他の動植物と異なっていることを知覚し、他の人間との共通性を見いだし、自分たちが何者かの自覚を持ち始めたのでしょう。
そして、この自己意識を持ち始めるやいなや、自分とはいったい何か、自分はいったいどういう人間か、人間とは何か、と問い始めたのです。
かつて古代ギリシャの詩人は「人間ほど不思議なものがあろうか」と歌いましたが、人間はいつも人間にとって常に「開かれた謎」として存在するのです。
あの人や、彼の人がわからないし、自分自身がわからないのです。だから、自己意識はこれをわかろうとします。自分の存在を見いだそうとします。
しかし、この謎を解くことは、あるいは、詩人ソポクレスが表わしたギリシャ悲劇の主人公オイディプス王のように自ら悲運を招くことになるかもしれません。
通行人の誰もが解けずに食い殺されていたスフィンクスの謎、「小さな時は4本足、大きくなって2本足、やがて3本足になるものは何か」の謎を、「それは人間だ」と答えることができたほどの自己意識をもったオイディプスは、自分が何者かを探究しました。
自分が何者で、どこから来たのかを尋ね求めたのです。そして、その結果、自分が父親を殺した人間であることを知り、自分に今の愛する妻が自分の母親であることの真実を知り、破滅していかざるをえませんでした。
デルフォイのアポロ神殿に掲げられた「汝自身を知れ」という言葉に独自の意味を読み取り、イオニアの自然学者たちに対して問題提起をしたソクラテスは、自ら毒杯を仰いで死ななければなりませんでした。
それは、単に、彼自身の中に、まったく新しい思考転換と同時にポリス的な道徳的保守性が混在していたからであると言う以上に、人間探究の悲劇的結末を示唆しているような気もします。
また、旧約聖書のアダムとイブは、「知恵」を身につけた後、自らが裸であることを知り、これを恥じ、神から隠れ、エデンの園を追われます。
生きることの喜びは隠れ、額に汗して働き、痛みをもって子を産まなければならない存在となるのです。
このように、人間が自ら「人間とは何か」を問い、人間を探究し、自己自身を知ろうとすることは、必ずしも人間自身にとって幸福な結果にはならないかもしれません。
何も考えなければ、気楽でいいだろうな、とも思います。それにもかかわらず、人間は「人間とは何か」を問わざるを得ない存在なのです。
なぜなら、人間は、常に、自己自身と自己の環境を開発しなければならない存在だからです。
人間はこの世界に誕生するやいなや、「自分自身とその環境を開発しなければならない存在」として生存しているのです。人間の精神と体の営為は、この目的のために活動を開始し、行動します。
僕はこれを「人間論的宿命」と呼んでいますが、それは、地球上に生息してきた生物としての人間が、本質的に自分自身とその環境を開発することによって初めて存在しうる生物であることを意味しています。
たとえば、この自己と環境の開発を「文化(Culture)」と呼ぶとすれば、人間はその本質として文化的な存在であるということもできるでしょう。
ローマの雄弁家キケロは人間を「文化的動物」として定義しましたたが、もともと「文化」を示す欧米語の語源となったラテン語の cultura は「耕作」や「土地の世話」を意味する言葉であり、人間をさす「ホモ(homo)」は「大地(humus)」という語根をもっています。
アダム(人間)はアダマー(地)から来ています。従って、文化はこの大地(人間)を耕すことであり、自己とその環境の開発を意味しているのです。
人は、この宿命を負って生きています。だから、人生について悩みますし、生きることに悲しみを覚えるのです。
ここでの人間論を、僕は、この「宿命」から始めたいと思っています。それが人間理解の基礎となると思えるからです。
(続)
![]()
☆ここでは、しばらくは僕自身が考えている人間論の序文のようなものが続くかもしれませんが、それは、常に出発点を見据えておきたいと思う僕の思考パターンのようなものです。ご理解下さると嬉しく思います。
☆人間を考えることは、当然、自分自身を切ることでもあります。そして、切り口の鋭さは「痛み」と相関的です。
☆そして、この「人間についての考察」が終わる頃、僕は僕自身に対して、もっと素直であるようになれたらと願います。考えることや思想の本質は、そのような姿をとると思います。
☆ここでは「宿命」という言葉を「運命」という言葉とは違った語感を持つものとして使っています。「宿命」は、どちらかと言えば、逃れがたい定め、というほどの意味です。
☆ご意見やご感想をいただければ幸いです。いつも、僕なりのお答えしかできませんが、できる限り、なんでもお答えしたいと思っています。
第一章
宇宙(世界)と人間
第二章
人間とその位置づけ
第三章
人間と社会
第四章
人間と教育
第五章
知識と言語