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☆学校の哲学の講義のように、だれか他の人の説を鸚鵡返しに語る人を、あるいは重箱の隅をつつくような批判を展開する人を、僕は「思想家」と呼ぶことはできません。哲学者は自らを語る、のです。
☆「天才は天才を知る」という言葉がありますが、思想家や哲学者の独自性は、その思想や哲学がどんなに普遍性を持ち、人々に広く理解されたとしても、やはり、独自性によってしか理解されないのかもしれません。
☆最近、「呼応」や「感応」ということを考えます。そして、呼応できる人は真に希有な存在ですね。もし、生涯においてそのような人と出会うことができれば、これ以上の幸いはないのかもしれません。
☆ただ、その「呼応」は独自性の響き合いによってしか生まれないかもしれませんね。自らを持たない人には無関係のことでしょう。
☆矮小化もせず、神格化もせず、ありのままをありのままに、しかも深く理解するというのは難しいことですね。
☆プラトンにとってソクラテスは最高に敬愛すべき師でしたので、幾分の神格化はやむを得ないところでしょうね。ただ、彼のソクラテス絶賛ぶりは並はずれているところもあり、キルケゴールのようにキリストの存在を視野にいれれば、その神格化を差し引くことができますので、案外、リアルな姿が浮かんでくるのかもしれません。
☆人間や思想の理解には、学問の手順としても客観的観察が必要不可欠ですが、ただ、僕は正しい理解にはその人物や思想を愛するということも不可欠ではないかと思ったりします。
☆その意味で、ソクラテスという人をどのように位置づけるかという問題は別にしても、プラトンのソクラテスへの傾倒ぶりは、僕は好きではあります。
☆「イデアを内在させる者。」これは、いつも宇宙の広大さを内在させたいと願う僕の理想ではあります。