|
|||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||
☆その人が用いた概念や思想が、その人の全体の中でどのように位置づけられているのかを見るのは重要な視点の一つでしょう。
☆特に、現代のように「断片」ばかりの時代ではなおさらです。そして、表面や現象として現れるのは、いつもこの断片ですから、断片を見る視座が必要ですね。
☆また、表された断片をつなぎ合わせても全体は見えません。ちょうどモザイク画のようで、遠くから眺めてみたり、近くで分析してみたりしないと全体像もその繋がりも解りません。
☆人はよく「思想の一貫性」を求めたがりますが、思想の一貫性は、その思想が乗り越えられて、何らかの客観的視座が与えられた時にしか見えてこないのかもしれません。
☆たとえば具体的なあれこれの人の場合、死や別離によって、その人やその人との直接的な繋がりがなくなった場合かもしれません。もっともそれも取り上げるに価する場合に限りますが。
☆『哲学的断片』や『結びとしての非学問的後書き』については、このメルマガのバックナンバーを公開していますので、そちらをご覧いただければ幸いです。
☆時代の精神的風潮というものは、思想家なり哲学者には色濃く影響します。哲学は普遍的問題を取り扱うので、時代や状況とは無関係であると考えられがちですが、優れた独創的な哲学者ほど「時代精神」を感じ、また考えます。
☆問題は、それに流されないことです。私たちが「普通」に考えたり感じたりしてることは、多くの場合には、単に時代の風潮に流されただけのものが多いからです。
☆「時代・状況を見分ける」というのは、それがどんな時代であり、どんな状況なのかをよく見ることですが、そこで、時代にあったものを考えることではなく、そこで真実に進むべき道を探すということで、ある場合には時代精神と逆行する道を歩むこともありますね。
☆「今の時代はこういう時代だから、こうしなければ」と良く耳にしますが、こういう意見で聞くに価する意見に出会うことは少ないような気もします。
☆今、これまで進んできた合理的楽観主義に、社会状況的に陰りが見え始めています。これを打ち壊すのは、「主体性の思想」かもしれないと改めて思うことがありますね。
☆次回から、この往復メールの形で進めてきたことの「本論」です。一気に書け、また、読めないのが残念ですが。