世界の思想 vol.1_No.69-90

- キルケゴールのソクラテス理解(2) -

親愛なるWiseman 様:

新しい年があけましたが、いかがお過ごしでしょうか。

前回のメールでキルケゴールの『イロニーの概念』の背景を少し述べ、彼が唯一「師」として尊敬したコペンハーゲン大学の哲学教授ポール・マルティン・メーラーを1838年に失ったことを見てみました。

キルケゴールにとって「師」を失うことは「支え」を失うことだったでしょうね。

彼は、師を失い、やがて父を失い、全くの孤独の中に立たされました。そして、その孤独が彼の実存感に染みついたのかもしれません。

ともあれ彼は「師」を失い、結果的に彼の後ろ盾として残るのは、彼がその呪縛から逃れたいと願っていた老いた父だけとなりました。

そして、恐らく、残ったのが父だけであるというこの認識が、ある種の「やり直しの情熱」を彼に与えたようです。

彼は、老いた父が自分に望んでいる牧師への道を再び歩き始め、5月には「神学国家試験を受けて牧師となることが自分の運命である」と自覚しています。

彼は父親が自分に期待したことを自分の運命として受け容れようとするのです。ここには、「一人の迷える青年」の姿があるような気がします。

しかし、運命のいたずらは真に皮肉であり、8月に、今度は彼の唯一の庇護者であり、牧師になることを何よりも望んだ父ミカエルが帰らぬ人となったのです。

9月に、アンデルセン批判である『今なお生ける者の手記より』を出版し、文学やジャーナリズムの世界への憧れをもちつつも、彼は牧師への道を歩み続けます。

そして、恐らくこの頃に、彼は運命の人レギーネ・オルセンと出会ったのではないかと思われます。

1839年2月の日記には、「わが心の女王、レギーナ、わたしの胸の最も奥深くに秘められて」と恋する男の心情を露吐しています。

彼はレギーネに恋することによって、希望に満ち、喜びに満ちて生き始め、神学最終試験に向けて勉学を続けています。そして、1840年7月、彼はコペンハーゲン大学神学部の最終試験を受験し、「優」でパスしました。およそ10年に渡る長い歳月をかけて、彼はそこを卒業したのです。

愛の力は、真に偉大ですね。人を迷いから脱却させ、人生に区切りをつけさせ、新しい道へと踏み出す勇気を与えてくれます。

もっとも、わたしは愛には愛の迷路があり、これに迷い込むとなかなか抜け出せないとも思いますが。

愛の力によって、キルケゴールの人生の船は沖へと進み出、同年9月にレギーネ・オルセンに結婚を申し込み、承諾を得ています。

そして、いよいよ牧師になるために、11月に王立牧師神学校に入学し、1841年1月にはホルメンス教会で説教の実習を行っています。

マギスター学位論文(修士論文)『イロニーの概念』が執筆されたのは、この時期です。

「牧師になる」という人生の再決断をし、レギーネと婚約をするという満帆の人生がある中での論文の執筆のように見えます。

しかし、この論文は、そうしたキルケゴールの実人生の充実感の響きを少しも響かせません。

むしろ、その表題が示すように、真理のアイロニー、真理がこの世で受苦しなければならないことを明らかにしようとするものです。主体性が背負わなければならない苦悩の姿を響かせます。

彼は、表面上うまくいっているように見える順風満帆の人生の内奥で、真理がこの世で苦しまなければならない姿を見つめているのです。

それは、先に触れた1835年のギーレライでの実存宣言に代表されるような「わたしにとっての真理の追求」の一つの克明な姿でしょう。

彼は論文上で、ひたすらソクラテスと格闘することによって真理を追究する道を進もうとしたのではないでしょうか。

しかし、この道を進むことは、紆余曲折の文学ジャーナリズムの世界で生きることを意味しています。彼は、論文執筆中の1840年10月に、アンデルセンの戯曲『野外の喜劇』についてのエッセイ『アンデルセンさん、ちょっと待ってください!』を執筆しています。

つまり、表面上は、牧師となり、レギーネと結婚するという実に安定した「世間的な幸い」への道を歩みつつも、文学と哲学を中心にする著作家への道をなお捨てがたくもっており、この二律背反の中に彼はあったのではないかと思います。

だが、著作家への道は遠いのです。それは、今日でも変わらないでしょうね。そして、この道を追求することは、同時に、牧師への道の、いわゆる「安定した生活」を断念することでもあることを、キルケゴールは直感していたように思えてなりません。

それはまた、レギーネとの生活を断念することでもあるからです。生活の基盤なくして結婚はあり得ないと考えていたでしょうし、恐らく、究極的には、レギーネを取るか思想を取るかの悩みの中にあったのではないでしょうか。

「自分にとっての真理を見いだすこと」で生活をするのがいかに困難であるかは、今も昔も変わらないのかもしれませんね。

そして彼は、レギーネとの関係の他の要因もあったでしょうが、結局は、真理追究の道を選択します。事実、1841年10月、この論文を9月に提出した後に、レギーネとの婚約を、非難を覚悟の上で自ら解消しました。

従って、『イロニーの概念』には、キルケゴールの内的二律背反が背景として横たわっているように思えてなりません。

これまで述べてきましたように、その一つは、亡くなった父が望み、自分が再決断して進み始めた「牧師への道」をこのまま進み、レギーネとの安定した生活を望むことです。

そしてもう一つは、「わたしにとっての真理」を追求し、文学ジャーナリズムの世界で生きることです。

恩師メーラーの後のコペンハーゲン大学の哲学・神学教授の席は、この両者を可能にする道でもありました。だが、彼は、この論文完成のすぐ後で、レギーネとの生活の道を断念し、「牧師への道」を断念し、同時に、哲学教授の席を断念しました。

表面の順調と内面の葛藤、そして、レギーネを愛すれば愛するほど感じざるを得ない孤独。このアイロニカルな実人生。

キルケゴールは、『イロニーの概念』を書くことによってこの孤独を深く掘り下げ、その主体性と自己意識の故にアイロニカルに生きたソクラテスと格闘することによって、自らの二律背反する内的葛藤を主体的に追求しようとしたのではないでしょうか。

『イロニーの概念』には、こうした外的・内的な背景があり、ここから彼の思想が展開されたのではないかと思います。

今回も、どうしてもひとまとめにしたかったものですから、とても長くなってしまいましたことをお許し下さい。

いつもお時間を取って下さることを感謝しています。風邪など引かれませんよう気をつけられ、お元気でお過ごし下さい。

−読者のMaiより−

O. Mai 様:

キルケゴールの『イロニーの概念』の背景についての長いメール、ありがとうございました。

キルケゴールが、実際に、あらゆることを断念して著作活動へと向かうには、彼は、レギーネとの婚約破棄と彼女が他の男性と結婚するという出来事を経験しなければなりませんでしたが、『イロニーの概念』に彼の内的葛藤が映し出されているのは間違いないことでしょう。

彼自身の内的葛藤の正体を探ることは、主体的に真理を目指して生きることの姿を見いだすためにも、また、真理をもって生きるということがどういうことかを考えるためにも必要なことでしょうね。

そこに彼のソクラテス理解の鍵もあるようです。そのためには、彼の『イロニーの概念』が彼の思想全体の中でどのような位置づけをもっているのかを見てみるといいのかもしれません。

これからますます寒さが厳しくなるでしょうが、ご健闘を祈念しています。
取り急ぎ。ではまた。

−K. Wiseman−

親愛なるWiseman 様:

お忙しい中、メールを下さり、また、わたしの研究の方向を示唆してくださり、ありがとうございます。

ところで、前回のメールで、キルケゴールがレギーネとの結婚を断念したことを「世俗的幸せの断念」というふうに書きましたが、それについてどうお考えでしょうか。

真理を追うことは世俗的幸せを断念しなければならないのでしょうか。

変な質問ですが、どうしても、ここでそれが引っかかりました。お返事はお時間のあられるときで結構ですが、お考えをお聞かせ願えれば、と思っています。変なメールになりましたが、お許し下さい。

−読者のMaiより−

O. Mai 様:

メール、拝見いたしました。キルケゴールは、確かにレギーネとの結婚生活を「世俗的幸せ」として位置づけているようにも思われます。彼の決断後の最初の作品である『あれか−これか』のも、市民的で倫理的道徳家の判事はそのような、ある意味では世俗的幸福感をもつ家庭人の姿で描かれています。

しかし、真理が、本来はすべてを内包するものであるとしたら、真理は、その「世俗的幸せ」も内包するはずですから、これは対立するものではないでしょう。

その意味では、キルケゴールはいささか自己撞着的なものがあったのかもしれません。彼の断念は、彼が望んだことではなく、そうせざるを得ない心情があったのでしょう。

レギーネ・オルセンは、キルケゴールから一方的に婚約を破棄されたのですから、悲劇のヒロイン的な印象がありますが、実際には、この婚約の破棄には、レギーネの側にもいくつかの要因があっただろうと思います。

レギーネが結婚をした相手は、彼女の以前からの知り合いで、今の言葉で言えば、キルケゴールとの関係には「ふたまた」的なところがあったのかもしれないと思わせるところがあります。

キルケゴールはそれを気にしていたところがあり、レギーネはコケティッシュにこれを使ってキルケゴールを悩ませたのではないだろうかと、これは僕の勝手な推測です。

だから、婚約破棄後すぐに、レギーネがその古い男友だちと結婚したことを知った時のショックは、二重三重のものだったのではないかと思います。

真理を追うことが世俗的幸せと無縁であるかどうかは、もちろん、一般的に言えることではありませんが、様々な事情の中で、キルケゴールはその道を選んだのでしょうね。

しかし、だからといってキルケゴールの人生が暗い孤独の中にあったかどうかは言えないでしょうね。

F.ベーコンの言葉になぞらえて言えば、「哲学を少しばかりかじると、人は暗くなりますが、哲学を極めると計り知れない明るさの中にある」と思うからです。

僕自身にしても、僕が真実に真理を追っているかどうかは解らないのですが、僕もまた、多分、人がもし世俗的な幸せを携えてやってきてくれたとしても、僕とはついに無縁に終わるだろうという予感の中でしか見ることができない傾向をもっているなぁ、と自らを省みることがあります。

人の幸せは「平凡さ」の中にこそあると僕は思いますが、それが共有できないときは、その関係は断念した方がよいと思うからでしょうね。

そうしたことを考えてみると、真理が世俗的幸せを断念させるかどうかは、思想の問題よりも、その人の気質のようなものかもしれません。

あまり的確なお答えではないのですが、とりあえず、というところです。

−K. Wiseman−

親愛なるWiseman様:

「真理と世俗的幸せ」のメール、ありがとうございました。拝見していて、そういう気質をもった男性と関係をもとうとすることは、なるほど、女性にとっても不幸なのかもしれないと思ったりしました。

さて、『イロニーの概念』の思想的位置づけですが、これについては、次回書くことにしました。取り急ぎ、メールのお礼を、と思い書きました。

Wiseman様は、本当にお忙しそうです。あまり無理をされませんように、ご自愛下さい。

−読者のMaiより−

☆「思想」を基盤にした著作で生活をする、というのは今日でも難しいことです。本を出すにしても、出版社は肩書きや権威で出版したがりますから、市井の思想家は自分の思想を発表することさえ困難を覚えます。

☆インターネットは、その意味では発表の可能性は広げましたが、市井の思想家の生活の可能性を広げてくれたわけではありません。

☆仕方がないので、哲学者は大学などの教育機関で養われようとします。大学で哲学を講じている人が哲学者ではありませんが、今の日本の大学は、「コネ」と派閥で職が決まりますから、必然的に独自の思想展開ができにくくなっていきます。

☆キルケゴールが、もし、コペンハーゲン大学の教員になっていたら、あるいはデンマーク国教会の牧師(公務員です)になっていたら、あるいは、レギーネと結婚していたら、今日残されている彼の思想は形成されなかったでしょうね。

☆キルケゴールにとってレギーネという女性は「世俗的幸せ」のシンボルだったでしょうね。彼はそれを断念します。

☆キルケゴールとレギーネの関係は、まだ解らないことが多いのですし、これはついに解ることができないものだろうと思います。

☆ただ、本文でも触れましたように真理の追究が世俗的幸せを断念することかどうかは、人の気質や状況によって異なるでしょうが、そのような決断の時が訪れることがあるのも事実でしょう。

☆そして、どちらかと言えば真理の追究には苦難が伴うような気がしますが、世俗的幸せを追うにしても苦労が伴うのです。どちらにしても、生きることはなかなか「しんどいこと」です。

☆問題なのは、自分の人生ですから、自分で納得していきるということかもしれません。

☆次回は、彼の思想全体の中での『イロニーの概念』の位置づけ、つまり、ソクラテスの位置づけですが、ある人を自分にとってどのように位置づけるかは、その人の思想や人生全体のあり方の問題でもありますね。