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親愛なるWiseman 様:
新しい年があけましたが、いかがお過ごしでしょうか。
前回のメールでキルケゴールの『イロニーの概念』の背景を少し述べ、彼が唯一「師」として尊敬したコペンハーゲン大学の哲学教授ポール・マルティン・メーラーを1838年に失ったことを見てみました。
キルケゴールにとって「師」を失うことは「支え」を失うことだったでしょうね。
彼は、師を失い、やがて父を失い、全くの孤独の中に立たされました。そして、その孤独が彼の実存感に染みついたのかもしれません。
ともあれ彼は「師」を失い、結果的に彼の後ろ盾として残るのは、彼がその呪縛から逃れたいと願っていた老いた父だけとなりました。
そして、恐らく、残ったのが父だけであるというこの認識が、ある種の「やり直しの情熱」を彼に与えたようです。
彼は、老いた父が自分に望んでいる牧師への道を再び歩き始め、5月には「神学国家試験を受けて牧師となることが自分の運命である」と自覚しています。
彼は父親が自分に期待したことを自分の運命として受け容れようとするのです。ここには、「一人の迷える青年」の姿があるような気がします。
しかし、運命のいたずらは真に皮肉であり、8月に、今度は彼の唯一の庇護者であり、牧師になることを何よりも望んだ父ミカエルが帰らぬ人となったのです。
9月に、アンデルセン批判である『今なお生ける者の手記より』を出版し、文学やジャーナリズムの世界への憧れをもちつつも、彼は牧師への道を歩み続けます。
そして、恐らくこの頃に、彼は運命の人レギーネ・オルセンと出会ったのではないかと思われます。
1839年2月の日記には、「わが心の女王、レギーナ、わたしの胸の最も奥深くに秘められて」と恋する男の心情を露吐しています。
彼はレギーネに恋することによって、希望に満ち、喜びに満ちて生き始め、神学最終試験に向けて勉学を続けています。そして、1840年7月、彼はコペンハーゲン大学神学部の最終試験を受験し、「優」でパスしました。およそ10年に渡る長い歳月をかけて、彼はそこを卒業したのです。
愛の力は、真に偉大ですね。人を迷いから脱却させ、人生に区切りをつけさせ、新しい道へと踏み出す勇気を与えてくれます。
もっとも、わたしは愛には愛の迷路があり、これに迷い込むとなかなか抜け出せないとも思いますが。
愛の力によって、キルケゴールの人生の船は沖へと進み出、同年9月にレギーネ・オルセンに結婚を申し込み、承諾を得ています。
そして、いよいよ牧師になるために、11月に王立牧師神学校に入学し、1841年1月にはホルメンス教会で説教の実習を行っています。
マギスター学位論文(修士論文)『イロニーの概念』が執筆されたのは、この時期です。
「牧師になる」という人生の再決断をし、レギーネと婚約をするという満帆の人生がある中での論文の執筆のように見えます。
しかし、この論文は、そうしたキルケゴールの実人生の充実感の響きを少しも響かせません。
むしろ、その表題が示すように、真理のアイロニー、真理がこの世で受苦しなければならないことを明らかにしようとするものです。主体性が背負わなければならない苦悩の姿を響かせます。
彼は、表面上うまくいっているように見える順風満帆の人生の内奥で、真理がこの世で苦しまなければならない姿を見つめているのです。
それは、先に触れた1835年のギーレライでの実存宣言に代表されるような「わたしにとっての真理の追求」の一つの克明な姿でしょう。
彼は論文上で、ひたすらソクラテスと格闘することによって真理を追究する道を進もうとしたのではないでしょうか。
しかし、この道を進むことは、紆余曲折の文学ジャーナリズムの世界で生きることを意味しています。彼は、論文執筆中の1840年10月に、アンデルセンの戯曲『野外の喜劇』についてのエッセイ『アンデルセンさん、ちょっと待ってください!』を執筆しています。
つまり、表面上は、牧師となり、レギーネと結婚するという実に安定した「世間的な幸い」への道を歩みつつも、文学と哲学を中心にする著作家への道をなお捨てがたくもっており、この二律背反の中に彼はあったのではないかと思います。
だが、著作家への道は遠いのです。それは、今日でも変わらないでしょうね。そして、この道を追求することは、同時に、牧師への道の、いわゆる「安定した生活」を断念することでもあることを、キルケゴールは直感していたように思えてなりません。
それはまた、レギーネとの生活を断念することでもあるからです。生活の基盤なくして結婚はあり得ないと考えていたでしょうし、恐らく、究極的には、レギーネを取るか思想を取るかの悩みの中にあったのではないでしょうか。
「自分にとっての真理を見いだすこと」で生活をするのがいかに困難であるかは、今も昔も変わらないのかもしれませんね。
そして彼は、レギーネとの関係の他の要因もあったでしょうが、結局は、真理追究の道を選択します。事実、1841年10月、この論文を9月に提出した後に、レギーネとの婚約を、非難を覚悟の上で自ら解消しました。
従って、『イロニーの概念』には、キルケゴールの内的二律背反が背景として横たわっているように思えてなりません。
これまで述べてきましたように、その一つは、亡くなった父が望み、自分が再決断して進み始めた「牧師への道」をこのまま進み、レギーネとの安定した生活を望むことです。
そしてもう一つは、「わたしにとっての真理」を追求し、文学ジャーナリズムの世界で生きることです。
恩師メーラーの後のコペンハーゲン大学の哲学・神学教授の席は、この両者を可能にする道でもありました。だが、彼は、この論文完成のすぐ後で、レギーネとの生活の道を断念し、「牧師への道」を断念し、同時に、哲学教授の席を断念しました。
表面の順調と内面の葛藤、そして、レギーネを愛すれば愛するほど感じざるを得ない孤独。このアイロニカルな実人生。
キルケゴールは、『イロニーの概念』を書くことによってこの孤独を深く掘り下げ、その主体性と自己意識の故にアイロニカルに生きたソクラテスと格闘することによって、自らの二律背反する内的葛藤を主体的に追求しようとしたのではないでしょうか。
『イロニーの概念』には、こうした外的・内的な背景があり、ここから彼の思想が展開されたのではないかと思います。
今回も、どうしてもひとまとめにしたかったものですから、とても長くなってしまいましたことをお許し下さい。
いつもお時間を取って下さることを感謝しています。風邪など引かれませんよう気をつけられ、お元気でお過ごし下さい。
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