世界の思想 vol.1_No.69-90

- キルケゴールのソクラテス理解(1) -

O. Mai 様:

先日、こちらでも初雪が降るなどの寒い日が続いていますが、お変わりありませんか。

ソクラテス、その人への一応の考察も終わり、いよいよ、キルケゴールがそのソクラテスをどのように理解したかを見ることになりましたね。

1843年の『あれか−これか』から始まるS.キルケゴールの一連の著作は、彼一流の綿密な計画に基づいて複雑に構成されていますし、その複雑さと思想は、彼の実人生と密接に関連しています。

そして、ソクラテスを直接取り扱った修士論文『イロニーの概念』は、その著作年代からして、『あれか−これか』より以前に書かれていますから、一見、彼の著作計画の外にあるように見えます。

しかし、その内容を良く検討すれば、この著作こそが、彼の綿密な計画に基づく思想展開の伏線であることが分かるのではないでしょうか。

キルケゴールのすべての著作と思想は、ソクラテスから出発していると言っても過言ではないかもしれませんね。

その意味でも、『イロニーの概念』は、極めて意味を持つ論文ですね。キルケゴールを理解することは、「主体的に生きること」を理解することに繋がりますので、そこでのソクラテス理解をご覧になるのは、意味のあることでしょう。

クリスマスも近くになり、どことなく「にぎやか」な感じもするこの頃ですが、良いクリスマスを迎えられますよう。
ではまた。

−K. Wiseman−

親愛なるWiseman様:

良いクリスマスを迎えておられるでしょうか。わたしもこのところずっとクリスマスの讃美歌を聴いたりして、静かなクリスマスを迎えそうです。

さて、『イロニーの概念』についてですが、わたしは、キルケゴールの全思想の出発点ともなり、また彼の実存弁証法の最初の対局として位置づけられるソクラテスについての理解とその位置づけを、キルケゴールはここで確立したのではないかと思っています。

この著作は、読めば読むほど、後のキルケゴールの思想が凝縮されているような気がします。

キルケゴールは、ここで自分の思想の出発点をソクラテス理解の形を借りて語ろうとしているようですし、それと同時に、歴史的に伝承され、また解釈されてきたソクラテス像を明瞭に統一しようとしていますね。

そして、その統一のための視座や焦点、あるいは判断の基準の中でもまた、キルケゴールは自らの思想を展開しています。

キルケゴールという思想家は、ある意味では不思議な思想家で、たとえば、人が、キルケゴールを語る場合に自己自身を語らざるを得ないような思想家だと私は思います。

それは、彼が常に「私」というものを問題にするからですし、人間の精神の内奥を問題にするからでしょうが、ソクラテスを語る場合にも、人は自己自身を語らなければなりません。彼が問題にした真理というのが、常に「わたしにとっての真理」だからでしょうね。

真の思想家や哲学者とは、そうした存在ですね。

ですから、キルケゴールもまた、ソクラテスを語りつつ自己自身を語っているのだとおもいますし、また、語らざるを得なかったのでしょうね。

でも、キルケゴールは『イロニーの概念』を、その後の彼の他の著作とは異なって学位論文として書いています。

それはこの書物が始めから終わりまで学位論文の形式に従って書かれているということですし、その形式では彼の本領は十分に発揮できなかったのかもしれません。

彼の本領は、論文よりもむしろ、自由な詩的・文学的叙述にあるようです。

まぁ、それはともかく、ここでは、キルケゴールは学術論文の形式を踏襲し、ソクラテスの思想的意義を明確にし、それを「イロニー」という概念で定式化しようとしています。

「イロニー」、あるいは「アイロニー」は、日常言語では「皮肉」と訳されることも多い言葉ですが、むしろ、「逆説」とでも訳した方が良いのかもしれませんね。

真理の逆説、あるいは、生きることの逆説。キルケゴールは、人が真実に生きることの姿を「逆説」ということの中に見、その最高の姿をソクラテスに見いだした、と言えるような気もします。

こういうわけで、わたしは『イロニーの概念』におけるソクラテス理解を考えてきていたのですが、今夜は、もう遅いので、続きはまた明日書くことにします。

良い夜をお過ごしください。

−読者のMaiより−

親愛なるWiseman様:

良い朝をお迎えでしょうか。昨夜、『イロニーの概念』についてどうしても書き足りなかったことを書きます。

『イロニーの概念』は、1841年、キルケゴール26歳の時にマギスター学位(修士)論文としてコペンハーゲン大学に提出されたキルケゴールの最初の論文です。

彼は、前年の7月からこの論文の執筆にかかり、6月2日づけで提出していますので、本書の執筆にかけられた時間はわずかに11ヶ月であったのでしょう。そのわずかな時間にこれだけのもの(日本語訳で2巻)を書き上げたことに、彼の並々ならぬ集中力と文筆力がうかがわれます。

彼はこの論文を吐血しながら書いたと言われています。本書には「たえずソクラテスを顧みつつ」という副題がつけられていますが、言ってみれば、ソクラテスと命を賭けた格闘をしながら、書き続けたような気がします。

ただ、他の多くの彼の著作同様、この論文にも彼の実人生上のいくつかの動機と背景がありますね。

この動機と背景について、少し調べてみましたので、次回のメールにでも書こうと思っています。

メール、続けて出しましたが、ご迷惑ではありませんでしたか。わたしはわたしの思いで勝手に書いていますので、ご返事はお暇なときでもいただければ嬉しく思います。

お元気でお過ごしください。Merru Christmas to you.

−読者のMaiより−

親愛なるWiseman様:

今年も残りわずかとなりましたが、お変わりありませんか。大学は冬休みに入り、学内の図書館も明日までしか使えなくなりました。

わたしのキルケゴールにおけるソクラテス理解の研究も、何とかこの冬休みの間には目鼻を付けて、一応の顔として見ることができるようにはしたいと思っているのですが、やはり、年末の細々したことに時間を割かれてしまいます。

さて、『イロニーの概念』の直接の動機についてですが、わたしは、キルケゴールが唯一尊敬して止まなかったコペンハーゲン大学の哲学教授ポール・マルティン・メーラー教授が1838年に亡くなり、哲学教授の席が空白のままに置かれていたことではないかと思います。

つまり、キルケゴールは、この学位論文の提出による学位の取得によってその席を獲得したいと願っていたのではないでしょうか。

1831年、18歳でコペンハーゲン大学の神学部に入学した彼は、神学と文学の学びを続ける中で、これまで自分を育んでくれた伝統的キリスト教が揺らいでいることを実感し、それと同時に、「真の自己」を発見しようともがき始めましたね。

神学の諸講義を受講する傍ら、学生の文学サークルのメンバーとなり、そこでアンデルセンとも知り合っています。

しかし、次第に神学への情熱を失い、1835年8月1日、ギーレライエで、今では彼の「実存宣言」として有名になった、次のような言葉を日記に書き残しています。

     「私に本当に欠けているものは、私は何をなすべきか、ということについて、私自身、はっきりわかっていないということだ。・・・つまり、私自身の使命が何であるかを理解することこそが重要なのだ。
    すなわち神は、私が何をなすべきことを本当に欲しておられるのか。これを知ることが重要なのだ。私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生きそして死ぬことを心から願うようなイデーを見い出すことが必要なのだ。・・・
     さあサイコロは投げられた。私はルビコン河を渡るのだ!きっとこの道は私を闘争へと導くだろう。しかし私はそれを拒絶はしないだろう。」

これが、彼が日記に書き残した言葉ですが、伝統的な教えや観念、思想にあぐらをかいて座り込み、他の人々がしているのと同じことをして納得したり、他の人の賛同を得て安心したりするのではなく、「私にとって真理であるような真理」を発見し、それに従って生きることを、彼はここで語ります。

青年キルケゴールは、そう決断し、人生を彷徨して行きました。彼のそれまでの目標は、父ミカエルが望み、優秀な兄ペーターが歩いたように、神学国家試験に合格し、牧師になることでした。

しかし、既存のキリスト教を批判的に研究するようになり、文学へとのめり込むようになります。

ゲーテの『ファースト』を読み、『ドン・ジュアンニ』を研究し、アンデルセンの『徒歩旅行』から知った『彷徨えるユダヤ人アハスヴェルス』について考えていきます。

そして、ついに、彼は神学国家試験の勉強を中断し、牧師への道を自ら閉ざしていきました。

人生の具体的な目標であった神学研究によって牧師となる道を閉ざし、哲学と文学にのめり込み、「自分にとって真理となるような真理」、つまり、主体的真理を追究し、自己を追求していきましたが、現実的には、心を閉ざして浮き草のような生活を繰り返し、3年近くの日々を無為に過ごしてしまうのです。

1838年までの学生生活で、製本屋、喫茶店、レストラン、たばこ屋、書店、洋服屋からの借金総額は1262リークスダーラーにまでふくれあがっていました。

この金額は、当時の大学教授の2年分の年俸に当たる額ですね。彼はこの借金を1835年1月に父親に支払ってもらっています。

そして、1838年3月、コペンハーゲン大学神学部に入学して7年後、キルケゴールの才能を唯一認め、彼を指導し、支持してきたメーラー教授が死去し、彼は唯一の師を失います。

メーラー教授は、放蕩生活を続けるキルケゴールを心配し、何度か注意を与えると同時に、才能と血気にはやるキルケゴールに客観的思考の方法を教えた人でした。

キルケゴールは、学問上にも、人生においても、彼を師と仰ぎ、信頼を寄せていたと思います。そして彼は、この師を失うのです。

たった一人でいいから「師」と呼べる信頼できる人があるということは、人生にとって極めて意義のあることです。

大学は「出会いの場」と言われますが、「師」との出会いは学問研究のみならず、思想性や生き方そのものへ大きな影響を与えますね。

ただ、今日の日本の大学ではこのような深い出会いは奇異のことになったような気もします。

あっ、今回はわたしのメールがとても長くなりました。これはもう少し続くのですが、続きはこの次に書くことにいたしましょう。お返事は、この続きを書いた後でけっこうです。

年末年始、少しゆっくりできますか。健康に注意してお過ごし下さい。
ではまた。

−読者のMaiより−

☆キルケゴールは、この『イロニーの概念』を吐血しながら書いたという説があります。いささか大げさなことかもしれませんが、彼がこの論文に自らを賭け、心血を注いだのは事実のような気がします。

☆人は真理を求めるが、真理が現れるやいなや、人はその真理に耐えられず、この真理を打ち殺す。キルケゴールの小さな論文の主題に『人は真理を打ち殺す権利があるか』というのがありますが、キルケゴールの中にはソクラテスの死とキリストの十字架の姿が、絶えずあったのかもしれません。

☆この両者は、共に、真理の逆説を示すからですね。

☆そういえば、キリストの誕生の時に東方から来た博士たちがささげた物のの中に「没薬」というのがありましたね。「没薬」は、死の直前の臨終の際に用いられた薬です。

☆誕生は死を意味し、死は誕生を意味する。これがアイロニーでしょう。

☆僕は学生時代、残念ながら「師」と呼ぶべき人と出会うことはできませんでした。現代は、人間関係が希薄化していますので、ますます、「師」を見いだすことが難しいのかもしれません。

☆学生も求めないし、教員も面倒になり、ゼミでも議論さえ起こらない風景があるように思います。

☆むしろ、社会人の方や年輩の方々が真摯に問題と取り組まれているような気がします。真実の「師」を持つことがどんなに大切なことかは、経験を積むとよくわかるような気がします。

☆自分の人生の「師」、あなたにはそんな方がおられるでしょうか。