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☆知識という点では、現代の知の状況は、すごく膨大であると同時に比較的整然と体系化され、整理されています。これは、ソクラテスの時代のソフィストたちが乱立した状況とは異なっています。
☆しかし、知性を持つ人間のあり方という点では、昔も今も変わらないのかもしれません。知識が生き生きと命をもつ「知」なのか、それとも、死んだ知識として累積されているだけなのか、これが問題なのかもしれません。
☆知の統合ということを、僕はずっと考えてきて、これを倫理学を含めた人間学の中で行いたいと思っているのですが、取り扱うべき分野が拡大して、肝心の統合がぼやけていくのを感じたりもします。
☆大切なことを見失わない、これはここでも言えることですね。僕が思考のペースをあえてゆっくりさせたいと自戒しているのは、そのためでもありますが、少しゆっくり過ぎるのかもしれませんね。
☆ソクラテスの対話は、真理を導き出すための対話で、無数のおしゃべりやチャットとは根本的に異なるものでした。
☆対話を対話たらしむるためには、いくつかの基本的なルールが必要です。第一には、ソクラテスが採っているように、対話によって追求されたものに誠実であろうとする姿勢です。
☆そして、対話には対話をするだけの内容を双方がもっているということも不可欠な要素になりますね。
☆第三に、共通に理解される言葉を使うということもあるでしょう。同じ言葉でもそれぞれに意味合いの違う概念で話すと、対話は空回りします。
☆その他にも、いくつかのルールがあるでしょうが、「対話」こそが人の人格というものを形成していくものであるに違いありません。
☆その意味で、対話は人間を生み出す「産婆」なのでしょうね。「対話」ができる人でありたいですね。