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☆ソクラテスが「わたしという人間」をその思考の始まりと終わりにおいたということは、彼の提示するものが極めて実践的であった、ということをも意味しています。
☆それは、当時の学問の中心であった修辞学(いかに表現するか)ではなく、実際の生きた言葉を語る、というソクラテスの姿勢を生みました。
☆もっとも、ソクラテスはその表現を自由にしているとは言え、当時の弁論の作法や法廷の作法を無視したのではなく、これらに則りつつ自由に語っています。それが、ソクラテスのソクラテスたるゆえんではないかと思います。
☆いずれにしても、礼儀や作法は必要でしょうね。それに捕らわれるのは愚かではありますが。
☆ソクラテスが問題にした「知の方向づけ」は、諸科学が発達し、細分化されて個々の専門知識だけがもとめられる現代では、いっそう必要なことではないかと思います。
☆「あなたの知の目的は何か」、「あなたはどこに向かおうとしているのか」人生が地図のない旅をしているものであるとしても、目的地を明瞭にすることこそが迷わない第一の条件になります。
☆とは言え、僕自身はいつも迷いの連続の中にあります。「道、未だ遠し」なのです。そして、「人生が二度あれば」ですが、「いっさいのことは、常に、今から始まる」とも思います。
☆「哲学を学び始めると、どうでもよいことと大切なことが見えてきますね」と、ある方のメールにありましたが、まさに、ソクラテスの主張は、「人生で何が大切であるかをよく考えよ」ということでしょう。
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