世界の思想 vol.1_No.69-90

- 序 -

親愛なるWiseman様:

初めまして。

大学の講義でキルケゴールについて習い、関心を持ち、ネットで検索をして、このメルマガのことを知りました。

毎回、序文と後書きを含め楽しく読んでいます。そこで、キルケゴールについてもう少し深く知りたいと思いました。

そのためには、彼の思想の「鍵」となるものを理解するのが先決と思い、このメールを書くことにしました。

以下のものは、一応、これまでのメルマガを読んで私が理解しているキルケゴールです。お時間の取れます時で結構ですから、ご一読下されば幸いです。

いきなり、ぶしつけにこのようなものを送る非礼は重々承知していますが、よろしくお願いいたします。

秋も深まる時節、健康に気をつけて過ごされますようお祈り申し上げます。


−読者のMaiより−


『私のキルケゴール像』   -O. Mai-

 

  1. 20世紀に最も大きな影響を与えた思想家の一人でありながら、その名前といくつかの言葉だけが用いられ、幾ばくかの専門家を除いてはその著作が本棚を飾るだけの難解な思想家。
  2. これほど浅くも深くも理解される、あるいは誤解される思想家は、他にはいないかもしれないと思われるほどの独自性を放ち、その独自の光によって、彼の思想を知る者の魂を奥底からゆり動かす思想家。
  3. 生涯において、ついに哲学の教授となることはなかったが、真の哲学を模索し、時代の嵐の中でただ一人の「単独者」たらんとすることによって、現代の哲学の道筋を開いた実存思想の哲学者。
  4. 溢れるほどの文学的才能と感性を自らの思想の故に封じ込め、ただひたすら、周到な計画の下にすべての思想と表現を配置し、「救い」を求めた宗教哲学者。
  5. デンマークのコペンハーゲンという小さな国の小さな首都で、人間が生きることの悲しみと苦悩と不安と絶望に深く沈潜し、「世界で最も多くのインクを使った」といわれるほど、自らの魂のほとばしりを記すことによって普遍的な世界を指し示した苦しみの人。

    キルケゴールを短く紹介するだけでも無数の言葉が必要である。
  6. そのキルケゴールの思想の最終的な到達点、彼が自らの精神的行為の最終目標としたのは、キリスト教の救いの真理の獲得であった。しかし、そのキリスト教は、同時代のもう一人の巨人アンデルセンをして、「新しい神のキリストを立てる」と言わしめるほどの深みのあるものであった。
  7. その深みの故に、晩年、コペンハーゲンのキリスト教界を相手に熾烈な戦いを展開しなければならなかったほどの遥かに高いキリスト教であった。
  8. しかし、彼自身は、自分がその高みには到達できないことを知る者でもあった。彼が彼の著作の中で重要と思われる書物の著者名として使った「クリマクス(梯子・頂点)」のように、彼は梯子を一段一段昇り、その高みを目指して血の涙を流したが、彼はついにその頂点に立つことはなかった。
  9. それは、彼があくまでも「人間の地平」に立つこと、現実に生きている人間の実存に立ち続けたからである。それだけに、彼は、似非宗教家のような安直な見てきたような嘘ではなく、真実に立つことに固着したのであり、彼の思想は、「生きようとする者」の魂を揺さぶるのである。

O. Mai 様:

メールと『私のキルケゴール像』の一文、嬉しく拝見し、また、キルケゴールについてよくまとめてあると思いました。

このメールの返事は、次回致します。
それまでお元気で。
ではまた。

−K. Wiseman−

親愛なるWiseman様:

秋の柔らかい日差しが嬉しい日々になりましたが、お元気でしょうか。

『私のキルケゴール像』を読んで下さり、ありがとうございました。こういうキルケゴール像の下で、彼の思想の「鍵」を理解したいと思いますが、そのためにはいくつかのキーワードがあるように思います。

たとえば、「アイロニー」とか「主体的実存」とか、「単独者」とかです。それぞれが独自の意味を持つ言葉でしょうが、キルケゴール自身の中では一貫した流れがあるのではないでしょうか。

わたしは、その流れの根底の一つが、彼が自分の思想の師と呼んだソクラテス理解にあるように思えます。

このことについて、どのように思われますか。

お忙しいとは思いますが、お返事をいただければ嬉しく思います。

−読者のMaiより−

O. Mai 様:

メールを拝見いたしました。元気でいます。

キルケゴールの思想は体系的ではありませんので、彼の思想に一貫性を求めることができるかどうかは疑問のあるところですが、彼の、いわゆる実存思想と呼ばれる思想の根底に、ソクラテス理解があるところは疑い得ないところだと僕も思います。

彼自身、自分の思想的な出発がソクラテスであることを明言していますし、彼の最初のまとまった修士論文は、ソクラテスについて書かれた『イロニーの概念』(1841年28歳の時にコペンハーゲン大学哲学科に提出)でした。

また、彼は、いつでもどこでもソクラテスに遡及しています。そして、彼はソクラテスを「キリスト以前の最大の教師である」と位置づけています。

ただし、ここで言う「以前の」という意味は、単なる歴史年代的な「以前」を言うのではありません。思想的な「以前」という意味でもあり、立脚点としての「以前」であり、「キリスト=神」には至らない「以前としての人間」を意味していると言えるかもしれません。

その意味で、キルケゴールもまた一人のソクラテスたらんとしたのではないでしょうか。後代の人々は、キルケゴールのことを「コペンハーゲンのソクラテス」と呼んだりしています。

その呼び方は、彼の思想の位置づけと目的にかなったものであると僕は思います。キルケゴールは近代のソクラテスであると言えるような気もします。

ですから、貴女が予感されているように、キルケゴールの思想の「鍵」は、そのソクラテス理解にある、といっても良いのかもしれません。

そして、それはまた、「主体的に生きること」や「自分の人生を自分の足で歩くこと」の鍵であもあるでしょうね。

一応、ご質問について僕なりにお答えしましたが、いかがでしょうか。

深まり行く秋の中を健やかにお過ごし下さい。ではまた。

−K. Wiseman−

親愛なるWiseman 様:

メールによるお答え、ありがとうございました。お元気とのことですが、ご無理をされていないか、私のメールがご迷惑でないか、少し躊躇いたします。

キルケゴールの思想について、そのソクラテス理解が一つの「鍵」であるとのお考え、私なりに理解いたしました。

では、彼は、ソクラテスをどのように理解したのでしょうか。

これは、大変大きな質問とは思いますが、どのように考えればよいかだけでも次回にでもご指示いただければと、願っています。

私自身、世の中や回りに流されやすい人間ですから、「主体的であること」をいつも考えたり致します。キルケゴールを考えるのも、そのためではないかと自分で思っています。

お忙しいでしょうし、ぶしつけな質問とは思いますが、お暇な折りにでもお考えをお聞きできればと思います。

お元気でお過ごし下さい。

−読者のMaiより−

☆以上のような往復メールの形式で、これから論を進めていきたいと思っているのですが、どうでしょうか。

☆ここに書かれたキルケゴール像は、前回までの『逍遙の人』で述べられたものです。バックナンバーがありますので、それぞれの配信機関からダウンロードできるようにしてます。

☆ここで目指しているのは、キルケゴールの思想の鍵を探りながら、最終的には新しい主体的実存の思想形成ですが、これがまだほんの一部に過ぎないことをはじめにご了承いただければ幸いです。

☆キルケゴールの最初のまとまった書物は、アンデルセンを痛烈に批判したものですが、思想的な論文としては、ここで言及しました修士論文『イロニーの概念』です。

☆彼の初期のソクラテス理解は、ほとんどこの書物に集約されています。その他の代表的な著作は、『哲学的断片』と『哲学的断片への結びとしての非学問的後書き』です。

☆キルケゴールはプラトンによって著されたソクラテスの弁論の仕方をずいぶん意識したように見えます。そしてそこで「弁証法」に一つのあり方を見いだしたのではないかと思います。

☆読みようによっては、プラトンはソクラテスを最高の知者として描きすぎているところもありますね。キルケゴールは、もちろん、プラトンだけではなく、その他の人たちのソクラテス像も取り上げています。

☆それについては、次回触れることにしましょう。

☆感想、ご意見、批判などをお寄せいただければ幸いです。