kierkegaard

<その52>

 1846年2月に、大著『哲学的断片への結びとしての非学問的後書き』を出版したすぐ後の3月に、キルケゴールは本名で、『文学評論』を出版した。1843年の『あれか−これか』の出版以来この年まで、彼が自分の生涯のすべてを吐き出すようにして著作活動を行った理由の一つは、彼が自分の運命として33歳までには死ぬだろうという予測をもっていたことが挙げられるかもしれない。キルケゴール家のほとんどの人は早死にし、キルケゴールが20代の時は、毎年毎年、次々と葬式を出さなければならず、喪の開けることのない月日だった。彼の母、兄弟姉妹、そしてその家族が、まるで何者かに呪われているかのようにして亡くなっていった。7人の兄弟姉妹の内、残されたのは、彼の兄のペーターと彼だけであった。キルケゴールは、その呪いが、父ミカエルに由来し、それだけに、自分のまたその呪いの運命の下にあることを確信し、イエス・キリストの年齢(33歳)以上生きることはできないと考えていた。
 愛するレギーネとの婚約の破棄も、キルケゴールがその呪いを知ったことが理由の一つとして挙げられるようである。彼は33歳の誕生日を迎えるまでに、つまり、1846年夏までに、自分のすべてを、「これだけは言わねばならぬ」と思うことのすべてを出し尽くそうと思っていたに違いない。
 実際のところ、キルケゴール自身もあまり健康には恵まれていなかった。子どもの頃に木から落ちて(といわれる)、彼の脊髄は曲がったままだし、成人しても、その背中の痛みを時々覚えなければならなかった。これだけの量の執筆生活で、体力的にも限界に近かったのではないだろうか。おそらく、死力を振り絞るようにして執筆を続けたに違いない。
 こうして、1846年3月末、自分が生きている時代を総括するような内容を『文学評論』として出版したのである。

『文学評論』自体は、ヨハン・ルードヴィッヒ・ヘイベルグ(歌劇作者・随筆家・哲学者)という人が刊行した小説『二つの時代(革命時代・現代)』に関する評論であり、その内容は次の通りである。

 序
 第1章 両部の内容の概観
 第2章 この小説の美学的解釈とその細目
 第3章 両時代の考察から得られるもの
「革命時代」
「現代」

 この内、最後の「現代」は、量的には全体の半分近くを占め、その部分が独立した形で、テオドル・ヘッカーによりドイツ語に翻訳され、1922年に『現代の批判』の表題で出版された。
 それ以来、これを『現代の批判』として独立して取り扱うようになったのである。それは、ここにこそ、彼が自分の生きた時代を鋭い目で総括する意図が明瞭に現れているからであり、『文芸評論』における主旨が明瞭だからである。そしてまた、ここにおける時代批判が、今日でもなお、生き生きとした時代批判として適合する普遍性をもっているからである。
 「批判」というのは、常に、本質的でなければ意味がない。本質的でない批判は、単なる憂さ晴らしか陰口に過ぎない。そして、本質的な批判というものは、自分の身を安全圏に置いて遠吠えするだけの軽薄評論家や三文解説者と違って、自分の身を切る。キルケゴールの「批判」が本質的で普遍的であるのは、彼が自分の身を切っているからである。本書を本名で刊行したのはそういう意味でもある。
 彼は、彼の時代(現代)を、フランス革命時代と対比しながら鋭く批判する。例えば、彼は次のように述べている。

 「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代で、たまに感激に燃え立つことがあっても、如才なく、すぐにもとの無感動にとちついてしまう。(白水社版 キルケゴール著作集『現代の批判』p.191)」

 「革命時代が間違った行き方をすると言えるものなら、現代は悪質な行き方をするといえよう(同書。p.192)。」

 「革命の時代は情熱的であった。しかし現代は情熱のない反省的な時代である。直接的な情熱はしばしば間違いも犯す。しかし情熱がなくて反省的なところからは何ものをも生まれてこない。そのこと自体が悪である。
 分別がありすぎ、利口すぎて、結局はいかなる行為も責任を持って実行することにはならない。すべての人が賢明な傍観者であろうとする。(同書)」

「無感動、無情熱、賢明な傍観者」。これはまさに、現代の私たちの姿そのものではないだろうか。

<その53>

 キルケゴールが『現代の批評』で取り上げた現代人の「無感動、無情熱、賢明な傍観者」の姿は、そのまま、150年後の現代日本の人間の姿にも当てはまるかもしれない。本当は感動することは山ほどある。小さな花が咲いたとか、空が青いとか、誰かのふとした思いやりのある言葉とか、歩けるとか話せるとか。だが、何をしても無感動のままに人生を過ごしていく。
 先日、「クラブ」と称する踊り場で踊っている人たちの姿を見た。踊っている本人の気持ちは別にしても、それは、幽霊かゾンビの集団に思えるときがある。「感動」のない日常が、彼らを駆り立てるのかもしれない。あるいは、あまりにも「無感動」なために、さらなる「刺激」を求めて行動する。
 フランスの実存主義の作家アルベール・カミュの有名な小説『異邦人』の書き出しは「昨日、ママンが死んだ」であり、自分の母親が死んでも、何の感情も起きず、ただ、「太陽が暑かったから」という理由で人を殺す主人公。「無感動、無情熱」で、「出口なし」の状態と「衝動的行動の状態」。これはまさに現代の状態そのものではないだろうか。
 そして、多くの人は「賢い傍観者」となり、何も「一人で」決断し、行動しようとしない。トイレに行くのも、大学の研究室を訪ねるのも、仕事をするのも、誰かと一緒に連れ添う学生や青年たち。誰かに相談して賛同してもらわないと行動しようとしない人間。レストランで、自分の食べる物さえ決めることができない人間。「みんな」が同じようにするマニュアルがないと、何一つできない人間。具体的な人間が個人の責任において主体的に何事かをするということがなくなってしまった現代。
 もし、人が個人の具体的な責任を負う姿を失えば、抽象性が幅を利かし、幻のように具体性のない「公共−みんな」が一切を支配し、個人は「公共−みんな」によって首根っこを押さえられてしまう。自分では何一つ責任を負おうとせず、 絶えず責任転嫁を他の誰かにおこない、幻に過ぎない「公共−みんな、あるいは常識」を担ぎ回っているのは、最も愚劣、卑しいものである。常に公共とか大衆とかの名の下に下劣なことを行う現代のジャーナリズムは、その典型かもしれないし、「流行」という名目でそのジャーナリズムに踊らされるのは、さらに愚劣である。人間はただ数において評価され、個人の範疇は捨てられ、社会性の範疇のみがのし歩く。
 この内面性的な質が顧みられないところでは、個人は集合して数の大きさによって価値を認められようとする。今日では、それは「民主主義」という美名の下で平然とおこなわれている。民主主義では常に、「より多い方」が正解となる。それは「人間平等」の名の下に「水平化」を行う。水平化は、常に、優秀なものを引き下ろして低い水準で同等意識を持つことに努める。
 たとえば、現代日本の教育の根本の問題は、この「悪しき平等主義」である。「平等」あるいは「みんな」の理念の下で、学校教育は個人の差異を認めない。異質なものを排除し、「いじめ」を繰り返す。生徒間の「いじめ」よりも、教師による「いじめ」の方が、はるかに多く、また陰湿である。「常識」を振り回して、自分の低い水準にまで相手を引きずりおろして喜ぶ精神は、本当に卑しい。
 キルケゴールは、このように「現代の人間のすがたを批判」し、一方に、情熱、個人性、主体性、積極性を置き、他方に、反省、社会性、客観性、消極性(否定性)を置き、両者の人格的統一を試みようとするのである。

 彼が『現代の批判』で、評論として取り上げた『二つの時代』という小説は、匿名で出版されたもので、その著者は、1822年に『毎日の歴史』を表した人物と同一人物としてしか知られていなかった。キルケゴール自身もその作者については何も知らなかった。ただ、刊行者は、ヨハン・ルードヴィッヒ・ハイベルグ(歌劇作者・随筆家・哲学者)であった。しかし実際の作者は、ハイベルグの母ギュレムブルク夫人であった。
 小説の内容は以下のとおりで、フランス革命とその後の時代を生き抜いたある家族の物語である。
 1790年代、ロベスピエールの失脚と死の時代に、青年革命家ルサールとその恋人クラウディネを中心に物語は進められる。クラウディネは孤児で、伯父の大商人ワルレル家に引き取られ生活していく。彼女が身を寄せたワルレル家の夫人は夫の他に恋人をもっている。伯父フェルディナン・ワルレルは、クラウディネを愛し、その生活の援助を惜しまないが、やがてルサールと愛し合うようになったクラウディネは、ルサールの子を身ごもって家を出る。すぐに貧困の生活が始まったが、クラウディネは独力で子どもを育て上げ、やがてフェルディナンの純粋な愛の介添えで、正式にルサールと結婚する。
 それから50年、1840年代、ルサールとクラウディネは、幸福な後半生の後死去し、その息子シャルルが遺産を継ぎ、40代半ばとなって、世界を漫遊している。そしてデンマークの母方の親類から適当な相続人を見つけようとする。彼は自分の両親のことを知り、フェルディナン・ワルレルの孫ベルグランにその遺産を相続させようとベルグランを捜す。しかし見つからない。そこで、昔のワルレル家の今の住人である商業顧問官一家と近づきになり、その娘マリアンヌを気に入り、この娘と結婚する者を遺産の相続人とすることを決める。幸運な偶然から、マリアンヌと結婚したのは捜し求めていたベルグランであった。

 二つの時代を経て描かれた物語はこうして、ハッピーエンドに終わる。キルケゴールはこの小説に描かれた時代を、それぞれ比較して、現代の人間の姿を「時代批判」という形で展開したのである。

 彼は、この出版の後、やがて、33回目の誕生日が来ても、まだ、自分の命があることに驚き、自分の出生日を確認しに行くほどであったが、この誕生日が過ぎた後、彼は自分が本来書くべきであると思っていた「建徳的講話」へと集中していく。この「建徳的講話」の代表作となったのが、絶望を取り扱った『死に至る病』である。

目次
 生涯
「あれか−これか」
「おそれとおののき」
「反復」
「初期建徳的講話」と「哲学的断片」
「哲学的断片」(2)
「不安の概念」(1)
「不安の概念」(2)
「序文ばかり」
「人生行路の諸段階」
「哲学的断片への非学問的後書き」(1)
「哲学的断片への非学問的後書き」(2)
「哲学的断片への非学問的後書き」(3)
「哲学的断片への非学問的後書き」(4)
「哲学的断片への非学問的後書き」(5)
「現代の批評」
「死に至る病」(1)
「死に至る病」(2)
「死に至る病」(3)
「死に至る病」(4)
「死に至る病」(5)
「野の百合・空の鳥」
「わが著作活動の視点」

キルケゴールのソクラテス理解
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