kierkegaard

<その51>

 1844年に出版された『哲学的断片』の分量の倍以上の分量となった1846年の『後書き』の最後の部分で、ヨハネス・クリマクスは、具体的なキリスト教の問題を取り上げ、全ての人がキリスト者であるデンマークのキリスト教界の状況を批判する。すべての人が、洗礼を受け、すでにキリスト者であるということに安心しきり、もはやその本来の意味を問うことも、それを真剣に求めることもしなくなって、もはや、キリスト教そのものが失われてしまっている、と批判するのである。
「洗礼(バプテスマ)」というのは、キリスト教徒になる時に行われる儀式で、歴史的には、バプテスマのヨハネという人にまで遡ることができる。ヨハネは、イスラエルのヨルダン川で、「悔い改めの新生の行為」として水で体を洗うことを行い、イエス・キリストは、そのヨハネから洗礼を受け、その活動を展開した。
 以後、キリスト教会は、その入信の儀式として、この「洗礼」を行ってきた。「洗礼」は、信仰の告白であると同時に、「神の恵みのしるし」として、キリスト教の中では最も重要なものとして位置づけられている。 この「洗礼」の意義に関する論争は、16世紀の宗教改革の時に激しく行われたが、要は、洗礼における「信仰の告白」を強調するのか、それとも「神の恵み」を強調するのかの相違であった。
 デンマークの国教であったプロテスタントのルター派は、伝統的に「神の恵み」としての洗礼を強調し、産まれた子供にも、「神の恵み」が与えられるが故に、子どもを育てる親の信仰によって、洗礼を授けるという幼児洗礼を行っていた。
「信仰をもつとはどういうことか」、あるいは、キリスト者に「なる」ことを 課題にしてきたキルケゴール=ヨハネス・クリマクスにとって、「信仰の告白」 なしの幼児洗礼は、その弊害も合わせて、問題だったのである。

 彼は、はじめに幼児洗礼の矛盾を幼子についてのキリストの言葉の解釈を巡ってのべ、キリスト者となることの次の三点の規定を展開する。

彼によれば、キリスト者と「なる」ことは、次のことを意味するのである。
(1)教理を受け入れること
(2)教理をわがものとすること
(3)洗礼を受けること
 しかし、これらのことは客観的には証明することが出来ない事柄であり、信仰は、まことに主観的な事柄に他ならない。それ故にこそ、信仰者は絶えざる自己検証が必要となる、というのである。
宗教改革者M.ルターは「キリスト者の生涯は悔い改めの生涯である」と言って宗教改革を展開したが、まさに「絶えざる自己検証」こそが、キリスト者の姿であることを示そうとするのである。
 これを、もし一般的に言うなら、おそらく次のように考えることが出来るように思われる。つまり、人は何者かになるが、何者かになったからといって、その人が、その後もずっと、その何者であり続けることではない。「何者かである」ための絶えざる自己検証こそが、その人を「何者かにする」のである。
 たとえば、教員免許を取って教師となったからといって、彼が「教師である」のではない。教師としての研鑽や自己検証を繰り返すことによってこそ、彼は「教師となる」のである。
 ひとたび愛されたからといって、彼/彼女は、常に「愛される者」であるのではない。「愛される者」としての努力が、彼/彼女を「愛される者」とするのである。
 人は常に何者かであろうとし続けることによって、「何者かとなる」のである。そして、これが『後書き』の結論である。もちろん、キルケゴール=ヨハネス・クリマクスは、これが結論ではなく、これは問題提起に過ぎないと明言するが。

 最後に、本書の付言として、本書がただ一人の想像上の読者に当てたものだと語る。「ただ一人の読者」、これは具体的には、彼が愛したレギーネ・オルセンであるが、それ以上に、「主体的に生きようとする人」、「単独者」という意味でもあるだろう。
 そして、本書を含めた仮名の著作全体が、自分の手になることを宣言する。これは、本書が最初は実名で書かれることを意図されていたからでもあるし、本書が、これまでの一連の著作の締めくくりとして書かれたことにもよる。
 これまでの一連の著作は、「生成(なること)」で結ばれるのである。

 しかしキルケゴールは、自分は第三者の立場に立つ者であるから、引用などの際には、それぞれ仮名の著者名で引用して欲しいと語る。この明言にも、彼の思想全体が弁証法的に構成されていることが示されているのである。

 キルケゴールの思想は、一応、ここで折り返す。仮名著作は、その後も続けられるが、彼の人生も、彼の思想も、ここで折り返し、絶望についての著作『死に至る病』などへと向かうのである。

目次
 生涯
「あれか−これか」
「おそれとおののき」
「反復」
「初期建徳的講話」と「哲学的断片」
「哲学的断片」(2)
「不安の概念」(1)
「不安の概念」(2)
「序文ばかり」
「人生行路の諸段階」
「哲学的断片への非学問的後書き」(1)
「哲学的断片への非学問的後書き」(2)
「哲学的断片への非学問的後書き」(3)
「哲学的断片への非学問的後書き」(4)
「哲学的断片への非学問的後書き」(5)
「現代の批評」
「死に至る病」(1)
「死に至る病」(2)
「死に至る病」(3)
「死に至る病」(4)
「死に至る病」(5)
「野の百合・空の鳥」
「わが著作活動の視点」

キルケゴールのソクラテス理解
the World of Thought | MailMagazine | Mail
k's Community
All rights preserved by K`s Community