kierkegaard

その38

 さて、いよいよ、キルケゴール自身が、先の『哲学的断片』で約束し、自らの著作活動のまとめとして、そして、この書物をもって1841年から始めた自らの著作活動を終了しようと考えていた『哲学的断片への結びとしての非学問的後書き』に入る。
 この著作の位置づけについて、後に『わが著作活動の視点』(1448年)でキルケゴール自身は次のように述べている。

  「著作の第一部門は美的著作であり、最後の部門はもっ
   ぱら宗教的著作である。この二つのものに挟まって
  『結びとしての非学問的後書き』が転回点として
   横たわっている。・・・・・」

 つまり、この『哲学的断片への結びとしての非学問的後書き』は、キルケゴール自身の思想的転換点に位置する著作である、と言うのである。
 しかし、これは後の視点であり、初めから計画されていたわけではなく、本書を出版するに当たって、キルケゴール自身が決断していたことは、本書をもって、自分の著作活動を終わる、ということであった。
 彼は、この著作を脱稿した時、自分が言わなければならないと考えてきたことを語り終えたという自覚をもっていた。『人生行路の諸段階』の段階で、もはやレギーネとの色恋沙汰ではなく、人間の実存、つまり、今、ここで生きているということを、弁証法的に解明するという自分の課題を明瞭に意識した。そして、これまでの自分の著作活動をその方向へ向かって位置づけなおし、人がその人生において確かなものとして知覚することができる唯一のものとしての実存の形態を解明しようとした。
 彼自身は、その実存の形態として、「悔い改めて信仰に至る道」を選んだ。残された彼の課題は、自分の実際の人生で、それを実現させるだけである。実存の問題は実存によってしか解決しない。生きることの問題は、実際に生きることによってしか解決しない。探さなければ見いだせないし、求めなければ与えられない。生きなければ何も解決しない。それ故、自分の著作家としての幕をこれで下ろし、それから後は、実際の人生の中での生活人として生きる決意をもっていた。『哲学的断片への結びとしての非学問的後書き』は、そのための思想的原点を明確にするものに他ならない。
 それは、具体的には、「田舎へいって牧師になる」ということであった。これは、紆余曲折を経ながらもキルケゴール自身の奥底に横たわっていた願望であり、亡き父ミカエルの期待でもあった。1845年12月に、この著作を脱稿し、翌1846年2月27日に出版されるまでの間の1846年2月7日の日記には「牧師になるために自らを修める」という決意が新たにされている。
 この彼の願望は、ついに、彼の生涯において実現されなかったが、この著作の脱稿は、彼に、人生に整理をつけ、一つの決断をさせるに十分なものだったのである。
 この書物は、前作の『哲学的断片』の「あとがき」という体裁が取られているため、当然、『哲学的断片』と同様に、著者ヨハネス・クリマクス、S.キルケゴール刊行、という形が取られている。しかし、当初考えられていた題名は『論理学的諸問題』という題名であり、キルケゴールはこれを本名で出版する計画をもっていた。だが、これまでの著作に締めくくりをするという意味で、また、「全ての仮名の美的著作をまず自己の基礎にふまえた」ということを示すために、仮名著者を用いた。ただし、この著作の最後の部分で、キルケゴールは、これまでの仮名著作がすべて自分の手によるものであることを、はじめて公にした。
 これもまた、キルケゴールがこの著作に寄せる思いと決意を示すものである。彼のような人間が、自らの姿を公にするということは、並々ならぬ思いが必要なのである。脱稿の時期、諷刺週刊誌『コルサール』との対決が開始され、出版に至る頃には、同誌に掲載された中傷的風刺漫画のおかげで、キルケゴールの細い足とそれを被っている長さのちぐはぐなズボンが、コペンハーゲン中の語りぐさになりつつあった。『コルサール』は、キルケゴールの最初の著作『あれか−これか』を絶賛し、世俗的な興味で著者探しまでした雑誌である。しかし、この種の絶賛は直ちに悪辣な批判へと変わる。歓喜をもって迎え入れる者は、憎しみの叫びで追い出し、甘言をもって近づく者は、その同じ口で裏切りの毒を吐く。1841年以来、キルケゴールは人々の嘲笑の中に置かれ続けた。キルケゴールが散歩をする時、人々は彼を指さして笑った。
 キルケゴールは、その中を、黙々と真理に向かって歩み続けるのである。

その39

 先の『哲学的断片』において、ヨハネス・クリマクス、すなわちキルケゴールは、実存の鍵が「主体性」にあることを明瞭にした。自分が生きているという実感は、どこまでいっても主体的なものである。人間の認識も判断も、その主体によって行われる。しかし、人間の主体は常に曖昧である。近代から現代に至る人間の営みは、この「曖昧さ」を排除することから始まった。
 啓蒙主義の時代以来、近代思想は、計算できる数理的合理性と、それを計算する人間理性の権利を主張することによって、「客観性」の優位を確立してきた。客観的な考察の代表である自然科学を主軸とする「学問的営み」によって、世界と人間の現実を理性の光に照らして考えようとした。やがて世界は、数学と物理学、理性と学問の力によって楽園と化することができるという楽観的世界観を育みつつあった。「客観性」こそがすべてであり、その客観性によって世界は楽園(パラダイス)に向かう。人間の未来は明るい。ヘーゲルの歴史哲学による思弁はその代表であった。
 「学問」とは、すなわち客観性を意味した。今日でもそれは変わらないし、ますます「客観性」こそが真理である、という認識は広まっている。愚かな学者先生たちは、今も「客観性」にしがみつき、それによって自らを正当化しようとする。その象徴は核兵器であり、遺伝子操作であり、脳死や臓器移植に潜む悪魔的欲求かもしれない。かつてノーベルは自らが発明したダイナマイトが多くの人々を殺傷する事実を見たとき、自らの手が血で汚れているのを深く嘆いた。しかし、今日の科学者に、このノーベルの「悔い改め」はない。核兵器を開発した科学者は、ヒロシマとナガサキの後に、こう語った、「私は、ただ、原子物理学の法則に従って、原子核の分裂を客観的に実証したに過ぎない。これを平気として使うかどうかの問題は、科学者の問題ではなく、政治の問題である」と。彼の言う「客観的実証」が血で汚れていることに、彼は、「自分は客観的な科学者である」ということによって目をつむる。現代の社会的・政治的悲劇の多くは、主観と客観のご都合主義的分離による、主体の埋没によってもたらされた。
 しかし、学問的「理性」が持ち出す実証主義的「現実」に対して、ヨハネス・クリマクスは、具体的な人間の「実存」の問題を「主体性こそ真理である」ということによって突きつけようとした。それ故、彼は、「学問」が主張する「客観性」に対して、自らの著作に『非学問的』という題名をつけた。それは、キルケゴールのユーモアであり、またアイロニーでもある。
 彼は、「主体性こそ真理である」ということを様々な角度から繰り返し語る。言うまでもなく、その命題を巡って論理が展開されるが、ここで目指されているのは、「主体性」と「内面」と「実存」の確立である。それが確立されるところで、人は揺るぎなく、確固として生きることができるからである。

その40

 『哲学的断片への結びとしての非学問的後書き』は、全体としては二部構成になっている。第一部は、第二部の前提、あるいは序章のような役割をもち、後にいくに従って、質、量ともに膨大なものになっていく。しかし、キルケゴールの論理展開が直線的に広がっているのではなく、周辺部分から中心に向けて、いわば螺旋階段のように、ぐるぐる回りながら展開されている。こうした論理の展開は、キルケゴールの他の著作でも見られるが、この著作では、それが顕著である。それは、キルケゴールが、思考の弁証法を著作の構成全体で表現しようとするからである。
 まず、第一部の「序論」で、この著作が、『哲学的断片』の続編であり、『哲学的断片』で提示された「問題」を受け継いでいる、と前置きする。その「問題」とは、「永遠に関わる意識にとって、歴史の中にその起点を見いだすことが可能であるか。そのような歴史上の一点がいかにして歴史的興味以上の関心を引き起こしうるか。歴史的知識は<永遠の幸い>の土台となりうるか」であった。
 これは、より一般的な言い方をすれば、歴史上に起こったある出来事が、普遍的な「永遠の幸い」、「永遠の救い」の出来事となりうるのか、人間は自分の救いを歴史上の出来事に見出すことができるのか、ということである。具体的なものは普遍となりうるのか、歴史認識と呼ばれるある出来事についての知識や出来事そのものは決定的なものとなりうるのか、なりうるとしたら、それはどういう意味でか、ということである。
 この問題で、『哲学的断片』では明言されていなかったが、具体的な視座として据えられているのは、キリスト教である。キリスト教は西欧世界の思想や精神を形成してきたが、キリスト教は、いまから約2000年前の歴史上に起こったイエス・キリストの出来事が人間の救い・永遠の幸いの出来事であると告げる。このイエス・キリストの歴史的出来事の知識が、「永遠の幸い」の土台となりうるのだろうか。歴史と永遠、歴史と普遍はどのように関係するのだろうか。
 ヨハネス・クリマクスは、歴史(時間)と永遠、人間の救いの根拠を問うにあたって、このキリスト教の問題をとりあげる。
 そこで「問題」はまず、二つに分けられる。一つはキリスト教そのものの真理性を客観的に問う問題である。つまり、キリスト教は客観的に真理を示すことができるのか、ということである。そして、もう一つは、キリスト教に対する個人の関わりの問題である。つまり、いかにして人はキリスト教が約束する救いにあずかることができるか、を問うのである。
 キリスト教の客観的真理性の問題を取り上げる第一部は、先に述べたように、第二部の予備的考察であり、キリスト教に関わる個人の問題、つまり真理に関わる実存の問題、主体性の問題が展開されるための基礎的考察である。
 そこで、ヨハネス・クリマクスは、キリスト教を客観的考察の対象とする時の問題から始める。その場合に、彼は、1)歴史的考察、2)哲学的・思弁的考察、の二つの観点から考える。
 初めに、キリスト教の真理性を歴史的な考察の対象とする場合であるが、ヨハネス・クリマクスは、歴史的な知識というものが、たとえどんなに正確な知識であったとしても、歴史の探究者は、歴史的事件や事柄への関心しか持つことができず、自分自身との客観的な関係しかないところでは、その知識は自分の救いの土台とはなり得ない、と言う。彼方の歴史的出来事と、いまここでの出来事には、近似値はありえても、厳密な客観的な差異がある。あるいは彼方の歴史から何らかの教訓めいた教えを受け取ることはありえても、それは一つの教訓であり、自分自身の救いの土台とはなり得ない。歴史的知識は、たとえどんなにそれが正確であったにしても、どこまでも「真理」の近似値でしかないし、真理の近似値は真理そのものとは無限の隔たりがある、と断言する。
 たとえば、キリスト教は聖書をカノン(聖典・基準)とする。それを客観的な真理として主張しようとするなら、歴史的な記録文書としての聖書そのものの歴史的・批評的な検討が不可欠となる。
 近代の啓蒙主義以降、聖書を合理的・理性的に解釈し直そうという神学運動が起こり、特に、イエス・キリストの歴史性を求めて聖書の歴史的批判的研究が行われてきた。そして、現代では、福音書のある部分は真性に歴史的イエスの言葉であるが、ある部分は後代の加筆であることも明確になってきた。聖書神学はそのために膨大な時間と頭脳を駆使してきた。より正確な歴史的知識も増大した。しかし、そうして得られた歴史的イエスの姿は、それがどんなに正確であっても、イエスその人の近似値でしかないのであり、イエスその人とは異なる。
 こうしたことは、すでに、レッシングが明確にしてきたことである(それ故、レッシングに関しては、ヨハネス・クリマクスは後で取り上げる)。
 しかし、こういう歴史的研究に対して、敬虔な宗教家の側から、「聖書霊感説」という教義学的保証が登場してきた。「聖書霊感説」は、聖書が神の霊感によって書かれたものであり、すべてが神の言葉であり、人の目にどんなに矛盾に映ろうとも、神の一貫した救済の言葉である、と主張するのである。
 これに対しても、ヨハネス・クリマクスは、聖書の言葉を神の言葉として受け取るかどうかは信仰の問題であり、信仰の問題は客観的な基準になり得ない、と語る。
 結局、いずれにしても、客観的・歴史的記録文書としての聖書は、キリスト教の真理性の根拠となる理由とはなり得ないのである。
 次に、聖書絶対論がキリスト教の真理性の根拠とならないと分かると、今度は教会の絶対性を主張する立場が現れた。これは、歴史的な史実としてキリスト教会が誕生し、キリスト教を真理の救いとして宣言する教会が、歴史的に存続し、その教会によって現実の人間が救いにあずかっている、と主張するものである。
 キルケゴールが生きていた当時のデンマークでは、こうした主張がデンマークのキリスト教会で、「教会絶対擁護論」としてもてはやされていた。教会絶対論は、聖書という史実の鏡を捨て、史実そのものを現在のものにしたが、さらに厳密な諸規定が登場すると、これも消え失せてしまうものでしかない。
 たとえば、西欧中世のキリスト教会の世俗的権力志向とその支配、近代の植民地主義、人種差別など、歴史的な教会の欺瞞性と誤りが指摘されると、この主張は、教会の欺瞞性を示す以外の何ものでもなくなる。原子爆弾が投下される時、アメリカルター派の教会の牧師は、それが成功するようにと祈った。何十万の人間が原子爆弾の灼熱地獄の中で死に絶えなければならなかったにもかかわらず。そして、ルター派教会はその牧師の祈りを「是」とした。
 教会は歴史的産物であり、信仰者の集団であるとは言え、どのような美辞麗句で飾ったとしても、人間の宗教的組織に他ならない。そして、人間の集団組織は、常に恣意的であり、過誤の危険性を内包している。教会絶対論を唱える人は、キリスト教自体が最も愚かなことと考える人間の絶対化に陥る。
 今日でも、教会絶対論を唱える人々がいるが、愚かしい話である。
 聖書や教会の歴史性を客観的の考察し、そこからキリスト教の真理を導き出そうとすることは、結局は、自己欺瞞的な愚かな行為に他ならない。それは「真理」とは、遙かに遠いものである。人は、客観的考察で、真理の近似値を得ることができても、真理そのものに到達することはできない。
 これが、ヨハネス・クリマクスの一つの結論である。

その41

 主体的実存の問題に至るための予備的考察としての客観性の追求の第二番目は、真理の思弁的な考察についてである。ここで言われている思弁哲学の立場とは、ヘーゲル哲学、特に当時のデンマークにおけるヘーゲル主義的な神学者の立場のことである。
 ヘーゲルは、歴史の弁証法的運動の彼方に、キリスト教を置き、これを受けて、当時の神学者たちは、キリスト教が最高の真理を提示する思想であり、歴史はキリスト教に向かうと主張した。神学者たちは、ヘーゲルの威を借りて、歴史的絶対宗教としてのキリスト教を標榜したのである。
 こうした神学の護教的思想傾向は、ことさら19世紀のものというのではなく、すでに初期キリスト教時代の2世紀の弁証家たちの主張でもあったが、ヘーゲルの歴史的弁証法の楽天的進歩理論は、一方では、神学者たちに宗教の絶対性を主張させ、他方では、宗教を根底から批判するK.マルクスの唯物史観を生んだのである。
 歴史の客観性を求める思弁的考察は、あらゆる出来事や思想、キリスト教を歴史上の一事象として把握する。歴史上の一事象は、他の事象と比較検討することができる。そこでキリスト教は一事象としてふるいにかけられ、最終的には、キリスト教が永遠の思想そのものであるという結論を引き出そうとする。比較宗教学はこうして生まれ、また「いろいろな宗教があっても、結局は同じ」といった安直な宗教理解がこうして生まれる。
 それは、先の聖書絶対論や教会絶対論という前提をもたないが、人が救われたいと願う「信仰」の事柄、としてではなく、一つの歴史的思想現象として、しかも最高の思想としてキリスト教を客観的に位置づけようとするのである。
 しかし、もしキリスト教が本質的に客観的真理であるとすれば、これを捕らえようとする者は、客観的・普遍的視点に立たなければならない。思弁哲学は、全てを客観性の領域内で理解してしまおうから、この立場に立つ者は、歴史全体を客観的に俯瞰する場所に立たなければならない。しかし、これを問う者自身も、自らが、絶えず変化の過程にある歴史の中にいる。このような歴史の中にいる人間に歴史全体を正確に俯瞰するような視点をもつことはできない。壁をなでて、これを「象」だと主張するようなものである。彼の客観性は、彼の生の限界性によって限界づけられている。
 そこでは、問う者自身の主体性の問題が置き去りにされている。「自分の永遠の救い」に無限の関心と情熱を傾けている主体は破棄される。
 キリスト教は、常に、「自分の永遠の救い」を問題にする。それ故、キリスト教は、思弁哲学や歴史の客観性の網では捕らえることができないのである。なぜなら、キリスト教は主体的真理に他ならないからである、とヨハネス・クリマクスは言う。
 それでは、キリスト教の真理性に対する主体的関わりとは何か。そもそも、主体性とは何か。あるいは、主体的であるとはどういうことか。この問題を考察することによって、ヨハネス・クリマクスは、この著作の本論へと進む。

目次
 生涯
「あれか−これか」
「おそれとおののき」
「反復」
「初期建徳的講話」と「哲学的断片」
「哲学的断片」(2)
「不安の概念」(1)
「不安の概念」(2)
「序文ばかり」
「人生行路の諸段階」
「哲学的断片への非学問的後書き」(1)
「哲学的断片への非学問的後書き」(2)
「哲学的断片への非学問的後書き」(3)
「哲学的断片への非学問的後書き」(4)
「哲学的断片への非学問的後書き」(5)
「現代の批評」
「死に至る病」(1)
「死に至る病」(2)
「死に至る病」(3)
「死に至る病」(4)
「死に至る病」(5)
「野の百合・空の鳥」
「わが著作活動の視点」

キルケゴールのソクラテス理解
the World of Thought | MailMagazine | Mail
k's Community
All rights preserved by K`s Community