現代キリスト教倫理
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第一章 キリスト教倫理の構造

第二節 キリスト教倫理の形成と超越(2)

 しかし、こうした中世カトリック的倫理の二元性は、社会構造が聖俗二元論的に静的に固定した存在の秩序として受け入れられている場合には有効であり得たかもしれないが、社会全体においても教会自身においても、ある種の歴史的必然としての世俗化が、初めは物理的経済的に、やがては存在論的精神的に進行するにつれ、社会構造の急激な変動とともに、それを位置づけていた枠組みそのものが崩壊し、せいぜい極端な保守主義と制度化された教会のゲットー化を生み出すぐらいにしか意味を見いだせなくなるのである。

 M.ルターの宗教改革は、そのような宗教的功利主義の枠組みに入れられていた倫理の二元性 を破棄することから始まった。

 聖−俗の枠組みを外して、「聖書のみ」、「恵みのみ」、「信仰による義」といったような信仰告白的標語が次々と語られ、「義人にして同時に罪人」という逆説的表現の中で、罪のゆるしと和解をもたらす神の恵みの福音への信仰は、人を罪の領域から愛と信頼の領域へと導き、その信仰によって、人は神と隣人への愛へと促されるのであり、そこですべての世俗的目的と秩序とから自由であるという「キリスト者の自由」においてすべての人に愛をもって仕える義務を負うという新しい「愛の倫理」が語られようとした。

 この神と隣人への愛という動機によって、社会的、政治的、法的実践が基礎づけられ、福音理解に基づく人間の現存在の倫理的要請が再解釈されたのである。

 信仰によって神から与えられた良心に基づいて行為する自由な人間、行為の責任を負う責任主体としての人間の形成が説かれ、その自由と責任の根源としての神の愛についての教説の中で、あらゆる倫理的な事柄が新たに理解されようとした。

 そこで、倫理学はいつでも福音理解に基づいて神と世界と人間と救済の概念を示す教義学の中で取り扱われ、その結果、キリスト教倫理学の古典的な問題が再登場したのである。

 つまり、信仰と信仰共同体である教会に集中しつつ、国家、法、戦争、教育、哲学を含めた芸術や科学、この世の財、身分、職業などに対してどのような態度をとるべきかという問題である。

 そして、ここに至って、神の超越性はその超越性を保持しつつ見事に内在化しようとしたのであり、近代哲学者のカントの人格理念に基づく倫理学もそこから生じたと言えるのである。

 しかし、宗教改革後の西欧プロテスタント正統主義は、そのことによってかえって、宗教改革的「愛の倫理」を徹底させるのではなく、科学者や哲学者や法学者がそれ自体の学問的追求との関連で導き出す客観的事実の主張の中で、信仰を主観の領域に限定する傾向から、キリスト教倫理学をただ教会内の、あるいはキリスト者の個人的私生活の在り方を道徳的に問うものへと限定していったのである。

 「十戒」と「山上の説教」は内面化され、アブラハムの神は哲学者の神とは異なり、中世カトリックの二元論的構造とは異なった倫理の二重構造がキリスト教倫理学を宗教的特殊倫理学の中に限定していったのである。

 人は、個人として与えられた境遇の中で信仰深く、まじめで、誠実な服従心をもって、神の召命に基づいて、自然法的諸要求、つまり国家組織や経済組織の要求に従うことを最善のこととし、あらゆるところで、その自然法的諸要求が先行する中で、神の超越性はただ個人の内面にのみ存在するようになったのである。

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