第一章 キリスト教倫理の構造
第一節 倫理の概念的命題(3)
しかし、倫理学の基本問題が最も顕著に現れるのは、西洋思想史、とりわけ倫理学の究極的目標と前提としての絶対的超越を提示してきたキリスト教思想史においてであると思われるので、そこから「倫理」概念を明らかにしていく必要がある。
西洋言語の「倫理(英語ではEthics,ドイツ語ではEthik)」の語源であるラテン語のEthicaはギリシャ語の「エティケー」に由来し、このエティケーはさらに、人間の「性格」や生活の秩序としての習俗を意味する「エートス」に基づいている。
そして、このエートスは習慣や慣習を表す単母音の「エトス」に由来している。
つまり、エートスは習慣や伝統的習俗であるエトスによって形成される人間の性格を意味し、倫理(エティケー)はその性格の形成による人間存在の確立を意味しているのである。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の中で「卓越性には二通りが区別され、知性的卓越性と倫理的卓越性があり、知性的卓越性とは、その発生も成長も大部分教示に依存し、その故に経験と歳月を要する。
これに対して倫理的卓越性は習慣づけに基づいて生じる。」(5)と語り、倫理が実践的な自己形成であることを明確にしている。
しかし、古代ギリシャにおいては、この自己形成はあくまでポリス(国家)に役立つ有為な人間の形成(パイディア)を意味しており、その意味で、キケロがギリシャ語のエートスをラテン語に翻訳するときに、習俗や人間の行為を表すMoralia(Moral−道徳)という言語を倫理に当たるものと考えたのは当然のことであった。
従って、エティケーで表されるようなギリシャ思想における「倫理」概念は、人間の自己形成という面が強調されたとは言え、この点においては、日本語の「道徳概念」とほとんど同義のものであると言える。
理性による自己吟味と真の徳行への勧告をもって「よりよい自己」のための愛知(philo-sophia)を主張したソクラテスは、その哲学(philo−sophia)にもかかわらず、国家の法に従って毒杯を仰がねばならなかったが、そこにエティケー概念の限界があったのである。
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