第三章 「神の前で、神と共にある、神なし」の倫理学
第二節 神なしの現実
世俗化の本質
われわれが直面している「神なし」の現実とは、社会現象的には「世俗化」の現実を意味している。
だいたい19世紀から今日に至るまでのわれわれが生きているこの時代を、多くの宗教社会学者や歴史学者は、歴史的世俗化過程(secularization)の時代とみなしている。(3)
ただし、そこで用いられる「世俗化」という言語概念の意味は多義的である。
元々、世俗化は、「聖なるもの」に属すると考えられていた場所や空間がこの世の人間的な目的のために用いられることを意味した。
F. ゴーガルテン(F.Gogarten)は、西欧社会の世俗化の開始をルターの宗教改革に置き、宗教改革が修道院的な禁欲生活に抵抗し、中世の「聖−俗」二元論的倫理観を退けることによって、世界観と教会に関する理解を根本的に変革し、教会の各施設を一般の目的のために使用し始めたことに起因すると指摘する。(4)
この指摘の妥当性はともかくとして、今日では、たとえば、カトリックであれプロテスタントであれ、宗教改革以後のキリスト教が導入された日本のキリスト教会では、教会堂は、ただ礼拝のためだけではなく学校や幼稚園の教室や遊び場、地域住民の集会場などといった多面的用途で用いられているし、その事情は、他の仏教や神道の神社仏閣でも変わりがない。
あるいは、かって「聖なるもの」として考えられてきたものは、歴史的遺産として観光資源の一つになり変わっている。
「世俗化」は、第一義的には、聖なるものの俗化という、そうした社会現象を伴う宗教学的概念にほかならない。
しかし、世俗化の概念は、そうした社会現象的な次元の問題以上に、厳密には、西欧キリスト教社会の歴史的没落現象を意味する歴史概念として理解されなければならない。
M.ハイデッガー(M.Heidegger)によれば、それは、超感覚的な世界の優位性を説く伝統的な形而上学的思惟が、近代科学、あるいは近代哲学で主張された人間主義、理性主義の運動のために、次第に勢力を失い、没落過程に入っていること、とりわけキリスト教的西欧文化の崩壊の徴表を意味している。(5)
その意味では、世俗化は、近代西欧史に顕著に現われた一つの歴史概念にほかならないし、西欧キリスト教社会の中での制度宗教としてのキリスト教の全体的没落現象を意味している。
しかし、その現象の根底に、近代的思考の根本としての理性の解放と人間論的転換があることを見る時、この現象が人間と宗教的超越、あるいは聖なるものとの関係の普遍的な現象であることに気ずくはずである。
M.ウェーバーは、世俗化を「世界の非魔力化と合理化の普遍的過程である」(6)と規定している。
つまり、世俗化は、呪縛的であった宗教からの人間の自己解放の歴史的過程に他ならず、より根源的には、人間の理性的判断の領域において、客観性の名の下で、現象学的に現存在を現存在として認識しようとすることによって、あらゆる超越概念を排除し、作業仮設としての神を棄却することを意味している。
つまり、政治、経済、諸科学に内在する事実の構造について、もはや宗教的後見なしに、事柄そのものの現象を解明し、その分析と認識に基づいてあらゆる行為が行われることを意味しているのである。
従って、世俗化の背景には、西欧近代社会の中で押し進められてきた啓蒙主義以降の人間の理性の自由な行使と「自律(Autonomie)」への知的情熱が息吹いているのであり、真の世俗化は、そのことによって、精神的、法的、社会的、政治的なあらゆる特権や差別から、あるいは不正義と感じられてきた支配から自己を解放するものに他ならない。
それ故、「神」という超越概念の名の下で呪術的支配を行ってきた制度としてのキリスト教が無用のものとなり、全体的に没落していくのは、「自律」の必然的過程であり、宗教が、ここで過去の遺物である古い「神」概念を持ち出すことは、無意味であるばかりか有害ですらある。
反世俗的であることと宗教的であることを同義であるかのように考える偽神秘主義的宗教理解は、人間の自立の過程を疎外する。そしてそれはさらに、非キリスト教的で、非聖書的ですらある。
しかし、残念なことに、このことはこれまであまりきちんと整理されてこなかったきらいがある。その無理解が、いつでも、宗教的か世俗的かの二元論的対立を生み、一方では宗教がまったく棄却されるか、あるいは、世俗化が進んでいるアメリカや日本でのように反社会的カルト宗教を生み出すかのどちらかとなってしまったのである。
これらのことは、近代以降の人間が歴史的現象としてたどってきた世俗化過程を、単なる現状是認的な終末論なき世俗主義(secularism)と厳密に区別し、神の啓示の現在化を歴史における超越の内在性として認識することによってもたらされる人間の実存的自律過程として理解し、聖書自身が人間のその自立を促していることを認識することで、いっそう明らかになるであろう。
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