現代キリスト教倫理
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第一章 キリスト教倫理の構造

第一節 倫理の概念的命題(1)

 学としての倫理学そのものは、長い歴史的過程をもつ学問であり、その倫理学の目的の位置づけから、人間がおかれている歴史的状況における現存在の諸概念の根本的「綜合」という新しい倫理学の建設のための課題を明瞭にするために、その倫理学の根源にさかのぼり、歴史的遺産を継承し、再解釈し直すことは、建設作業の第一段階として必要なことであろう。

 倫理学の大まかな枠組みは、「倫理」概念によって明白になる。

 「倫理」とは、日本語表現においては、「共同社会における他の仲間とのあるべき姿の道筋」を意味している。

 元々、古代日本社会においては、倫理道徳思想と呼ばれるような思想的な自覚以前に、人々は単純に自己が属する共同体を保持するために素朴な自然的感情に従って「ヨシ、アシ」を決めていたと思われる。(2)

 感覚的に美しいものや快いものを「ヨキ」とする道徳的感情の「清浄感」は、やがて「赤心」(日本書紀)や「あかき心」(万葉集)といった自覚的表現をうみ、そうした道徳的感情が日本文化独自の倫理観として指摘される「恥の文化」形成へと繋がっていったと考えられる。

 そして、その古来の道徳的感情に倫理思想として多大な影響を与えたのは仏教と儒教であるが、儒教の伝来に続く6世紀中葉の仏教の受容は、聖徳太子の十七条憲法に顕著なように、共に国家社会的な意義における受容であり、国家的理想が社会的倫理観を規定していくという構造が生み出された。

 この構造は、やがて封建制の主従道徳と結びつき、無意識の倫理的支配構造となったために、倫理的諸問題を自覚的に体系づけようとする努力は、厳密には16世紀まで現れなかったと言って良いかもしれない。

 従って、日本語の「倫理」という言語概念によって理解されることは、まず、共同体、国家、社会の問題であり、日本社会においては、人は個人として存在する以前に、社会に帰属するものであるという関係の認識が先行したのである。(3)

 仏教はその宇宙観全体において、儒教は「有徳」の思想において、徹底して人間が関係存在であることを認識させた。

 そして、国家が中央集権的封建制を確立し、社会の基本構造としての封建制が、貴族政治や武家政治という形態を変えながらも継続していく中で、社会や共同体の問題を取り扱う倫理的な事柄と個人の在り方を問う道徳的な事柄とが徐々に区別され、個人の人間関係の在り方だけを問う道徳的な事柄だけが倫理的諸問題の主流となっていったのである。

 つまり、日本人の倫理観は、その根底において、社会的、共同体的な現象の中で人間関係がうまく確立されることを志向することによって形成されてきたのであり、「幸せ(仕合わせ)とは、物事がうまく合わさっている状態」であり、共同体内での関係がうまくいっていることをいうようになったのである。

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