商人は不正な利益を貪るフリーライダーか?


 「士農工商」などといって商人を一段下の存在としてみていた江戸時代ならいざ知らず、現代において商人のこのような活動をネガティブに捉える見解はついぞ見ることができませんでした。しかし、最近になって、商人の基本的な機能をネガティブに捉える見解を発見することができました。しかも、その見解は、政界、財界、学会を代表する「有識者」からなる首相官邸直属の組織──知的財産戦略本部──によって発表されたのです。

 同じ商品が異なる場所で異なる価格で取引されているときに、取引価格の安い場所でその商品を仕入れて、それを取引価格の高い場所に持ち込んで、仕入価格よりも高い価格で販売する。これは、古今東西、商人の基本です。これにより、当該商品は、それをより必要としている人々に供給されることになり、社会全体の便益を向上させます。このような商人の活動が活発になされ、またこれにかかる費用が低廉化していくと、同一の商品に付けられる価格は、地域間で均一化していきます。

 「士農工商」などといって商人を一段下の存在としてみていた江戸時代ならいざ知らず、現代において商人のこのような活動をネガティブに捉える見解はついぞ見ることができませんでした。しかし、最近になって、商人の基本的な機能をネガティブに捉える見解を発見することができました。しかも、その見解は、政界、財界、学会を代表する「有識者」からなる首相官邸直属の組織──知的財産戦略本部──によって発表されたのです。

 知的財産戦略本部は、日本国外で適法に流通におかれた音楽CDを現地価格で仕入れて、これを日本国内に輸入して販売する行為「不正」還流と位置付け、この「不正」を取り締まるために、商業用レコードについて輸入権を新設することを提唱しました 。すなわち、日本政府は、商人が「安いところから仕入れ、高く売れるところで販売する」ことにより、「同一商品に関する価格の地域間格差を縮小する」という、商人の持つ歴史的に本来的な機能を発揮することを「不正」と評価したのです。何のことはない。日本国政府のの認識は、商人を一段下の職業とみなしていた江戸時代に逆戻りです。

 そういえば、商人の有する社会的価値を一切認めようとしない言動は、そう遠くない昔にもありました。ゲームソフトに関して、消費者から遊び飽きたソフトを買い受けて、そのソフトを欲している消費者に販売するいわゆる中古ゲーム店を、あたかもゲームメーカーが作り出した価値に「フリーライド」して不正な利益を貪っているかのように非難する人たちがいて、ゲームソフトの中古品の売買を法的に禁止してゲームソフトの価格を高値で維持しようとしてみたり、又は、ゲームソフトの中古品を遊び飽きた消費者から仕入れて遊びたいと思っている消費者に売却することによって得た利益を搾取しようとしてみたりしてきました。しかし、ある商品を、異なる価格が設定されている2点の間を流通させることによって、その差額の一部を利潤として獲得する商人の活動を、ただ乗り(フリーライド)として、これを禁止したり、利潤をはき出させたりするということは、近代経済学の基本原理である「市場」という考え方すら否定するものと言わざるを得ません。

 レコード輸入権導入を支える思想も、中古ゲーム販売規制を支える思想も、根本において、市場原理を否定するものに他なりません。構造改革や規制緩和を唱える小泉内閣の下で、このような市場原理を否定する思想が大手をふるって政府によって採用され、法案化されようとしているというのは、正に喜劇そのものです。政府は、商業用レコードを市場原理の枠外においた後、次はどのような商品を市場原理の枠外におくのでしょうか。市場原理を担う商人の基本的な活動を「フリーライド」なり「不正」なりと評価してしまった以上、商業用レコード以外の商品についても、そのような不正なフリーライドを取り締まる方向で法改正を続けなければ、論理的一貫性を保てなくなります。あるいは、政権政党への献金額や中央官庁の天下り受け入れ状況次第で、その商品を市場競争の枠外に置くことができる不道徳な国家に成り下がるかですね。そのような国家が、どのような顔をして、教育基本法を改正して「道徳」を子供たちに教え込もうとすることができるのか、不思議ではあります。
 

Posted: (水) - 12 10, 2003 at 12:37      


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