讃美歌1954

前書き

 最初におことわりいたしますが、訳者は、新しく刊行された「賛美歌21」に反対する者ではありません。
時代と共に、その時代の言葉で主を賛美するのが讃美歌の役目ですから、新しい世紀には新しい賛美歌が
使われる様になるのは当然の事だと思います。
さて、現在多くの教会で使われている、「讃美歌」は、1954年秋に、5年にわたる編集を経て、
刊行されました。民主日本の黎明期に貧しさと闘いながら、明るい未来を信じて作業を続けた先人たちの
苦労が偲ばれます。
この「讃美歌」の凡例には「讃美歌のような内容本意の、概して荘重な、しかも曲に合わせてうたう歌を
口語体にすることは、少なくとも現在の国語の実状においては不可能である。このことは別にくわしく
説明する必要はないであろう。」と記されています。つまり当時、「リンゴの歌」とか「星の流れに」
などの歌謡曲以外には、歌は文語の物という共通のコンセンサスがあって、あえて口語化をしなかったと
いう事でしょう。日本の義務教育と教養主義の中で、全ての人々は幾分たりとも文語に親しむ素養があって、
「これぐらいは判るはず」という前提があったと思えます。
 しかし40年以上へて、文語を、せいぜい鎌倉・室町期までを高校の古典という、あまり好かれない科目で、
まるで外国語のように学んで来た戦後世代には、確かにこの「讃美歌」は難解になりつつあります。
こうして「賛美歌21」は登場したわけですが、やはり旧讃美歌に親しんできた世代には、違和感があります。
新しく収録されたものには、口語体でもすぐ親しみを感じる反面、旧讃美歌から、一部歌詞を口語的に
変えたものなどは、違和感を強く感じてしまいます。もっとも1954年に、戦前の讃美歌から変わった時も、
違和感を訴える人が多かったそうですから、仕方ないのかもしれません。慣れなのだ、と言ってしまえば
それまでです。しかし私は2つの点で、この違和感のもう少し深い分析をしたいと思います。
 1つは一般的に、曲に日本語の歌詞を付ける時の困難についてです。実は、多くの日本の歌曲は詞が先で、
曲が後(これを詞先と言います)のものが多いのです。これは詩歌を詠じたり、吟じたりする長い伝統があり
明治になってそれらの詩歌の末裔に西洋音階の曲を付ける事が始まったためだと思います。小学校唱歌に
五七調・七五調が多いのは、そういう訳でしょう。最近こそ、いわゆる「曲先(後で詞を付ける)」が
多くなりましたが、曲があり、文語詞のイメージが定まっている讃美歌のようなケースは、新たに口語の
詞を付けるのは、なかなか困難でしょう。
 第2点は、そもそも日本語は文節あたりの情報量が少ないということです。例えば英語を日本語に訳すとき
「I love you」という、英語ではたった3つの音符ですむ情報も日本語では「私はあなたが好きです」
という長い文にしなければなりません。しかも文語より口語の方がさらに情報量が少ないのです。
例えば文語で「○○の××」と書くところを、しばしば口語では「○○になってしまった××」などと
訳さねばならず、字余りになってしまいます。
 というような事を考えながら、ある日「賛美歌21」を歌っていましたら、突然ある考えがひらめきました。
「だったら、最初から曲にのせることは諦めて、純粋に旧讃美歌の
                   [ 口語訳 ]を書けばいいのではないか?」
すぐに旧讃美歌の方を手にとって、「序」を見て驚きました。
なんと1954年に、この讃美歌は出来たのです!!私は1954年4月生まれです。今までゴジラと同じ誕生年
(これもビキニ環礁の水爆実験と第五福竜丸事件の影響で出来た映画ですから、世相を反映していますね)
なのは知っていましたが、まさか讃美歌とも同じとは…。私が学校で学び、世間で常識的な知識を知りながら
生きてきて、その年月で「讃美歌」が今の人々に理解できないほど、難解になったのなら、それをとにかく
今通じる言葉で訳すのは、自分たちの世代の仕事ではないか?
 こうして、音符にのらなくても良い。長さもまちまち、とにかく今通じる言葉で…という、訳詞作業が
始まりました。2001年の1月、時間の余裕が出来た私はこれに取りかかり、3月始めに完成しました。
1日10曲のペースでした。途中2日だけ、どうしても神様に感謝出来ない日があり、その時は中断しましたが
主が、その苦しみに慰めと導きを下さったのも、またこの作業からでした。
 この讃美歌の歌詞を訳しながら、先人の篤い信仰と、新しい時代への希望を感じました。平和への願い。
地動説などの科学を歌ったもの、本当に日本が生まれ変わろうとしていた時代の熱い思いが沢山入っています。
確かに「不快語」もあります。数年前に書き換えられた歌詞は、ほとんどが不快語の持つ差別的な要素を
全く別の歌詞にすり変える書き換えが主でしたが、今回の訳では、例えば
「賤の女」は「全く無名の女性」に、
「愚かなる人」は「自分は利口だと思っている愚か者」
「高きも低きも」は「貧富や身分など関わらず誰でも」
としました。書き手の思いを尊重しながら、他の人を傷つけないためには、現代語はこれだけの字数を
要してしまいます。
また、神道の祝詞を連想させる、「大御神」などは「偉大な神様」となり、御手など「御(み)」の着く
言葉も、三位一体を表す「父・御子・聖霊」以外はなるべく使わないようにしました。
「おくつき(墓)」の様に今全く使われない言葉は、意味が分かればむしろ楽ですが、同じ言葉でも、
今と意味が違う場合は困難でした。実は「賛美」を意味する「ほめる」は現代語では、立場が上位のものが
下位のものの成果を評価するときしか、使われません。上位のものを「ほめる」と「ほめ殺し」になって
しまいます。ですから「神をほめる」のは現代語にはない語感です。「神をたたえる」にしましたが、
元の歌詞が「神をほめよ、神をたたえよ」などとなっていると、訳者は行き詰まるわけです。
あと讃美歌の尊敬語と謙譲語は独特で、現代語の様に整理されていません。
「下りしイエスよ」などと結構「タメで」話しかけているかと思うと、
「下りたもう主なる御神の御前に我らひれ伏し」とかすごいのもあります。
また、選民思想があまりにもでている「御民」などは「主を信ずる人々」と訳しています。
この辺は自分の信仰に基づいています。
国家や民族も「浮き世」のものと思っていますので、拘りませんでした。
 かなり意訳した解釈もあり、私の訳に納得がいかない方も居られるとは思いますが、
とりあえず問題提起のつもりです。何気なく歌って居るうちに、もうすぐ「賛美歌21」にとって変わられ
多くの曲が消える「讃美歌1954」の本当の意味を、考えながら歌う事のきっかけになればと思います。
そして、私の拙訳で無くても、これからも、時々この旧讃美歌を、現代語訳を司会者が朗読した後で
歌うようになるといいな…というのが、私の見た幻です。

最後に、私を支えてくれた「妻」と「I先生」を、私に送って下さった主に感謝します。

   「泣きながら、主を見上げれば
            主イエスもまた涙を流しておられる」(讃美歌256番、私訳より)

2001年3月
                            日本キリスト教団 広路教会員
                                           矢野克郎
                              メールアドレス belushi@mac.com

注:1954年「讃美歌」は日本基督教団 讃美歌委員会の出版物ですから、この「讃美歌1954」も
 一次著作権をそこに持つ以上は、発刊後50年を経るまでは、営利目的には使えません。あくまでも
 私的なHPへの掲載と読まれた人の私的な使用に限ります。ただし二次著作権は訳者が保有します。
 もちろんキリスト教関係の礼拝・集会での使用は今も、2004年秋以後も自由です。
 リンクも御自由にどうぞ