原作未読の方へ!
ネタバレな内容が含まれます。いやな方は、ネタバレ抹消バージョンをご用意しています。どうぞこちらへ。
第一幕 女神の陰謀
ややや、ややややこしいや。(←声に出して三回読んでください)
完結編序章、ここに至る経緯を詳しく知らない人には、かなり意味不明だったんじゃなかろーか。
そんなわけで、少々“経緯”と“思い出話”を。
原作「地下帝国ヨミ編」は、アニメ同様009と002の死を暗示して1967年3月終了。『サイボーグ009』という物語はこれにて一件落着、見事に完結した、はずだった。
ところが、終了直後からファンの猛烈な抗議というか助命嘆願が殺到(脅迫まがいのファンレター(?)もあったらしい)して、結局掲載紙を移してあっさり再開。
死んだはずの009と002は、001が間一髪テレポートで助けたことにして、何事も無かったかのように死の淵から生還、当面、ブラックゴーストの残党、個々の“細胞”と戦うことになる。(最初のお相手は、31話の元になった怪人博士達である)
復活を熱望したファンはともかく、「ヨミ編のあのラストを作者自身が否定するのか」という声は多分当時からあっただろうし、そういう声は作者である石森章太郎にとってそれなりのプレッシャーであっただろう。ある意味究極的な悪との決着はすでについちゃってるわけで、再開後のエピソードは、ラスボス倒した後で雑魚キャラと戦ってるような話にしかなり得ないのである。
どう終わるか、は再開と同時に石森に突きつけられた課題であったはずだ。
で、天使編。「究極の悪を超える敵は、究極の善しかない!」と石森章太郎が考えた、かどうかは定かでないが、サイボーグ戦士最後のそして最大の敵として、神、というか、天使の姿をした外宇宙の超知的生命体が登場する。彼ら“天使
”は、遥かなる太古に人類を創ったものの、“成長”した人類は駄作というか失敗作としか言いようが無く、いったん抹消して一から創り直すことに決めるのである。(私も個人的に一から作り直して欲しいモノがあったりするので、その気持ちはよくわかる)
009たちは、全部が全部ダメなわけではないのに全てを否定されるのはまっぴら、最後まで見届けてから判断して欲しい、と“抵抗 ”を決意するのであった。(ん?)
天使編は、スケールの大きな話になりそうだなあ、という期待感を読者に抱かせつつ中断。石森自身が構想をまとめきれなくなったためらしいが、この中断は、『サイボーグ009』という物語が終わることに対して(主に復活を懇願した)読者に心の準備をさせるためのインターバルと受け取れなくもない。
余談だが、外宇宙の知的生命体が人類の進化に関与したという部分で、天使編は A・C・クラークの『2001年宇宙の旅』の影響を受けてるのかなあ、とほんのちょっと思ってみたりするのだが、宇宙の旅シリーズの完結編である『3001年終局への旅』を読んだとき、天使編みたいな話だなあ、とちょっと思った。天使が出したのと同じ結論に、モノリス(の背後にいる存在)も千年後に到達しちゃうんである。(実は創世記の本物の神様も数千年前に同じ結論を出したはずなのだが、今の世の中を見渡すかぎり、あまりうまくいかなかったようである)
さて、天使編の四ヶ月後、石森は、「神々との闘い」で009完結に再挑戦。厳密には天使編のリメイクというわけでもないらしく、作者の言葉によると、「正確にいえば第一部“天使編”」、「第二部は“悪魔編”で、この一、二部をかけあわせたものが「神々との闘い」」なのだそうだが、凡人には意味不明である。断片的なエピソードの羅列である「神々との闘い」を構成し直すと「天使編」「悪魔編」が出来上がる、という意味に取れそうだがよくわからない。
今回のサイボーグ戦士の“敵”は、神々との闘いというタイトルから“神”であると推測されるが、闘っている相手は自分自身のようでもある。004が見るからに宇宙人な宇宙人に遭遇したりもするが、外見から判断する限り“神”っぽくはない。この宇宙人が“敵”そのものなのか“敵”の一部なのか“敵”とは無関係なのかもはっきりしないが、“敵”は確実に存在しているらしく、009が“真相”に迫ることを妨害しているようである。さらに“敵”はギルモアの心をすり替えて00ナンバーを“攻撃”するが、001はギルモアを殺し、メンバーの心をトレーニングすることで“応戦”する。00ナンバーと“敵”との壮絶な“闘い”は、少年マンガの文法に則ることをあっさりと放棄し、さらに、一般的なマンガの枠組みからも逸脱していく。
「神々との闘い」は、読者の支持を得られず結局中断。以後、『009』は約五年間の休眠期間に入る。(この間、石森は、『仮面ライダー』を皮切りに『がんばれロボコン』『秘密戦隊ゴレンジャー』など今も続く特撮ヒーローものの原作者として不動の地位を築く)
1975年、完結編を横に置いたまま、『009』は少女コミック誌上で復活。古き良き冒険マンガだった『009』は、 これ以降、微妙に読み心地が変化している。多分、みんな(作者も含めて)オトナになっちゃったってことなのだろう。(色合いの異なるものを安易にちゃんぽんしたら、構成がガタガタになるのはある意味当然である>平ゼロ)
以後『009』は各誌を転戦、二度目のTVアニメ化に至る。
さて、私が雑誌に連載されている『009』をはじめて見たのはこの時期、マンガ少年の「海底ピラミッド編」だった。すでにコミックスは揃えていたが、『009』は“過去のマンガ”
というイメージを漠然と持っていたこともあって、現在進行形の『009』は嬉しいオドロキだった。
で、この連載をまとめた「マンガ少年別冊 サイボーグ009 海底ピラミッド編 PART-1 」の裏表紙に過去の名場面(?)がコラージュされていたんだけど、その中に見たことも聞いたこともないカット――9と4が牛面の男(ミノタウロス?)と対峙している場面――があったのである。なんだこりゃ? 秋田書店サンデーコミックス全十二巻(当時。後に海底ピラミッド編を加えて全十五巻)にはどこを探してもそんな場面はないし、海底ピラミッド編にもそんなヤツは出てこない。ついでに、この時点では影も形もない小学館の少年サンデーコミックス全十二巻にも登場しない。
009の熱烈なファンを自認する私に、知らない場面知らないエピソードが存在するなどという屈辱が許されていいのであろうか? よくないんである。
その後、風のうわさに「神々との闘い」なる未知のエピソードが存在するという情報を掴んだ私は、あの謎の場面が「神々との闘い」の一場面であることを確信、暗躍する黒服の男たちの追跡を振り切り、野を越え山を越え風に飛ばされ川を流され、銃弾の嵐をかいくぐり地雷原を踏み越えて、行く手は嵐だ吼える海、涙で渡る血の大河、今日も走り出して、水行十日陸行一月、二つ目の信号を右に曲がって三軒目、ついに、「神々との闘い」を完全収録した『サイボーグ009 その世界』の入手に成功するのであった。(注:一部、誇大な表現が含まれています)
「神々との闘い」は、何が何だかよくわからない(今読み返すと、理解しようとしなければそれほど難解ではない)こともひっくるめて強烈な印象を残した。例の場面の出所は判明したものの、ミノタウロス(?)は正体不明のままだし(今でも「神々との闘い」で真っ先に思い浮かぶのはこの場面だ)、001は妙にコワイし、なにやらシゲキ的な場面はあるし(当時小学生でした)、時間の進行とコマの進行は一致してないし、“あとがき”で触れられる完結編の構想(前述の第一部天使編云々)が期待を煽るし(当時の私にとっての完結編への期待とは、要するに、このわけのわからん話をわかるようにしてくれることへの期待だった気もする)、etc.
etc.
さらに、この本が当時の私の本棚の中で一番高価(2,900円)かつ豪華(箱入りだったのは『その世界』と国語辞典ぐらいなもんである)だったことも相まって、
私にとって「神々との闘い」は、文字通り神々しいまでに特別な存在だった。これって、全二十二巻とか全二十八巻の中の一冊として「神々との闘い」を読んじゃう今の読者には味わえない貴重な感覚だよなあ、と意味不明な優越感に浸る今日この頃。
でも、サンデーコミックス六巻(ヨミ編後半)を読み終わって「早く七巻が読みたい」と思った私には、リアルタイムでヨミ編に立ち会った人たちの感動、その喪失感は決して決して決して味わうことは出来ないのだ。
'81年3月、週間少年サンデーの「ザ・ディープ・スペース編」をもって、『009』は再び休眠。
'85〜86年に「時空間漂流民編」が発表されるものの、やがて、石森章太郎は石ノ森章太郎になり('86年)、『HOTEL』('84〜'98)がヒットして、『マンガ日本経済入門』('86〜'88)がベストセラーになり、『マンガ日本の歴史』全55巻('89〜'94)という大事業に挑む。そういう“活躍”を横目で見ながら、自分が好きだった頃の石森マンガはもう読めないのだろうなあ、と一抹の寂しさも感じずにはいられなかった。
時は流れ、完結編のことなんてすっかり忘れていた(←ファン失格) '97年、この年4月に出版された『石ノ森萬画館』だったかに(実はパラパラと立ち読みしただけなのでうろ覚え)「近いうちに完結編を発表する。ついでに映画も同時公開(“ハリウッドで”と書いてたような気もする)」みたいな景気のいいことが書いてあるではありませんか。(今思えば、これって残された時間が長くないことを意識し始めていた時期のコメントのはずである)
ホントかよ、と思いながらも(「近いうちに」というのは『その世界』でも書いてるし)、こりゃあホントに「近いうちに」完結編が読めることになりそうだ、となんだか嬉しくなって、久しぶりに原作でも読み返そうかな、と思ったが、よく考えたら夜逃げ(←?)のドサクサで古いマンガはごっそり処分されていたのだった。しくしく。(←やっぱりファン失格)
石ノ森章太郎死去のニュースが報じられたのは、翌年の一月のことである。
つづく
(2002/11/4)