ミュータント戦士編

第39話 新たなる刺客




 旧ソ連が軍事利用を前提として実際に超能力を研究していたのは結構有名な話だが、大した成果は生まれなかった。
 結果を出せなかったのは、超能力研究の第一人者であった(と思われる)ガモ博士がブラックゴーストにスカウトされて、研究資料ごと失踪したからなのかも知れないし、当時の“超能力者”の大部分が、“単に手先の器用な人”だったからかも知れない。(当時のソ連では、特別な能力や才能を持っていれば、国家が比較的優雅な生活を保証してくれた。オリンピック選手にはなれなくても、手先が器用なら“超能力者”になれる、と考えた人がいてもおかしくはない)


 さて、日本ではギルモア博士と009たちが、もはやガタガタとしかいいようのないシリーズ構成を糊塗すべく苦悩しているのだが、前回(は回想だったのでその前の回)鷲座流星群を呑気に眺めていたのはごまかしようがなく、かえって傷口を広げている。(この場面自体削っちゃった方がすっきりすると思うのだが)
 一方、張々湖飯店には、00ナンバーの皆さんにロシア観光の招待状が届けられる。“招待状”すなわち“ブラックゴーストに追われていた”男だが、普通に考えればロシアからはるばる日本まで逃げてきたと思えるものの、ミュータント部隊のリーダー格ケインは、どう見ても短気な性格であり、まったりと追跡してきたとは考えづらい。おそらく、ブラックファントムで男を日本まで運んでから、張々湖飯店近辺で解放し(あるいは自発的に逃げるように仕向け)、その上で男を殺したのであろう。涙ぐましいくらい手の込んだ計画だが、普通に『裏切り者のサイボーグ諸君。ロシアのノルシュテインで待っている』と葉書に書いて送れば、よい子のお手本、正義の味方00ナンバーサイボーグが逃げ隠れするわけがなく、(抽選なしで)もれなくロシアに出向いてくれると思うのだが、ロシアは郵便事情が悪いのだろうか?
(この計画、ある意味偏執的ですらあり、計画立案者と思われるガモ博士の人格が如実に投影された計画、と解釈するべきかも知れない)

 ともかく、男は殺されてしまうわけだが、001が何一つ対抗手段をとらなかったのは、001がミュータント部隊の意図(つまりロシアへの招待)を察知し、ミュータント部隊に対して招待を受ける意志を示したことを意味する。なぜなら、男の死を阻止するために超能力を使ってしまえば、何らかの理由で男を殺さなければならないミュータント側も応戦(?)せざるを得ず、この場で戦端が開かれてしまい、00ナンバーがロシアに行く手間が省けてしまうからだ。
 その方が手っ取り早くていいような気もするが、001もたまには故郷に帰りたくなったのだろう。(6以外の他のメンバーは一度は故郷に戻っている。001の場合、一人だと飛行機にも乗れないし、いくらなんでも揺りかごに乗ってロシアまで飛んでくわけにも行かないだろうから、今回のような口実でもないと帰郷の機会がない)

 ちなみに、男が生きのびて余分な情報を00ナンバーに提供するのは“招待状”としての役割を逸脱する行為であり、男の死は必然である。合掌。
 ついでに死体の方も超能力でもって処分してくれると助かったのだが、この件についての深入りは避ける。(深入りすると、中華飯店張々湖のメニューに人◯スープとか○肉餃子など、非常に猟奇的な妄想をしてしまうからである)


 何はともあれ、ロシア、サンクトペテルブルグ。当てもなく観光にいそしむ00ナンバー。この過程で、00ナンバーがロシアの歴史や文化に心打たれたり、今後の展開に関わるような手がかりを発見したり、一万年前の地層で発見されたペンダント、のようなものが美術館に展示されていたり、ということは一切ない。(強いて言えば、感慨に浸っているのは制作スタッフであると推察されるが、どういう種類の感慨なのか、視聴者に説明する気はないようである)
 手がかりになりそうな男の写真でも持ち歩いて、聞き込みぐらいすりゃあいいのにとも思うが、そうしないのは、男が単なる“招待状”であったことを001以外のメンバーも認識しているからだろう。

 008「向こうから見つけてくれる」
 ていうか、それなら日本で待ってても向こうから来てくれるんじゃ……、と突っ込んでは001に気の毒か。
 ていうか、ミュータント部隊も、新たなる“刺客”の分際でターゲットである00ナンバーに自分たちを探させるってどーよ。
 ていうか、そもそもロシアに招待したことにどんな意味が……。
 ていうか、計画立案者はガモ博士だった。単に“ロシア”をキーワードに、ギルモア博士(と001?)に自分の存在を想起させるという、ガモ博士の歪んだ自己顕示欲以外の意味はないのだろう。つくづくまどろっこしい計画である。

 00ナンバーが一通り市内観光を済ませた頃を見計らって姿を現わす敵――。
 取りあえずの降伏勧告はただの外交辞令である。戦争回避の道を探るというポーズを見せつつ、無理難題をふっかけて開戦に持ち込む、という手法は特に珍しいものではない。真の目的は、自分たちの正当性(あるいは、非悪役性)を対外的に主張することにある。(009の側も、過剰と思えるほど正当性を主張するが、裏を返せば、自己の“正当性”に自信がないのかも知れない)

 001の物真似(テレパシーの物真似はSF史上前例がないと思う。快挙なのか暴挙なのかよくわからないが)で誘き出される00ナンバー。普通に「ノルシュテインで待っているぞ」とか言えば、00ナンバー的には逃げも隠れもしないはずだし、一ヶ所に集めるよりも個別に叩いた方がいいと思うのだが、ガモ博士に常識は通用しない。ブラックゴーストの“対00ナンバー用マニュアル”にも、『彼らのチームワークは脅威である』とは書かれていないようだ。(マニュアル執筆者が脅威を感じなかったのもわからなくはないが、タテマエでいいから書いといて欲しかった)

 マニュアル執筆者がこだわったのは、チームワークよりも“加速装置の使用限界”を蒸し返すことであった。どっちかっていうと、涼しい顔で無かったことにしといてくれれば、見る方としては第3話だけ我慢すれば済むのに(というかフツーの視聴者は忘れてると思うし)、ここで蒸し返したおかげで結果的に第4話〜第37話まで延々と苦い思いで見返さなければならなくなってしまった。(個人的には、DVD収録時に3話の使用限界云々の台詞を差し替えて、文字通り無かったことにするべきだったと思う)

 さて、009対ケインの戦いは、見た目、サイボーグ同士の加速戦と対して変わらない。009の進行方向に超能力で見えない壁を作って動きを阻むとか、創意工夫の余地はあったと思うのだが、おそらく、超能力エネルギーの使い方は、使う側の想像力に依存してしまうのであろう。(余談だが、筒井康隆の『七瀬ふたたび』では、万力を想像して敵の頭を潰す超能力者が出てくる。結局“力”に形を与えるのは、想像力なのである)

 ミュータント部隊は、超能力を使い過ぎると急速に老化してしまうという弱点を抱えているのだが、一方の001は同じ超能力者でありながら老化どころかほとんど成長しない。超能力発現のきっかけは異なるかも知れないが、基本的には同種の能力のはずで、この差はどこから来るのだろうか?
 ていうか、“老化”の弱点を抱える、要するに持久力のないミュータント部隊が、加速装置の使用限界まで待つ、という持久戦に持ち込むのは、どうかと思うのだが。

 ともかく、フィルの老化で、00ナンバーを圧倒しつつも撤退するミュータント部隊。撤退するのはいいのだが、2〜8は息も絶え絶え、この機会にブラックファントムにテレポートとかしちゃったりとして、洗脳とか再改造とかすれば、非常に効率的な作戦だったとも言えるのだが、ガモ博士には(表向きはともかく)そんな気はこれっぽちも無かったらしい。
 そういう意固地な性格だから、ブラックゴーストに軽んじられてしまうのである。


(2002/8/9)


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