さて、今回新事実がいくつか明らかになった。
アルテミスは、ある種の記憶操作を受け、過去の記憶を全て消去されているらしい。このことから、前回、アルテミスが009の台詞を003のものとして回想したのは、スタッフの怠慢などではなく、記憶操作の副作用として、一種の記憶障害を患っていることを示唆しているのかもしれない。(ホントにそうだったら、わたしゃスタッフの皆様に土下座します)
言われてみれば(誰が言ったか私が言った)、問題の記憶障害場面の他にも、009(というか003?)の言葉に動揺したあげく敵である009を助けちゃう等、アルテミスには情緒不安定と思える面もあり、彼女に対する記憶操作(あるいは洗脳処置)が何らかの理由(多分、体質とか本来持っていた個性による影響)で不完全なものに終わったに違いない。
アルテミスは、過去の記憶を持たないだけでなく、最近の出来事においても誰が何を言ったかを関連づけて記憶することができないに違いない。可哀想な女性である。
ところで、アポロンたちミュートス・サイボーグを改造したガイア博士はブラックゴーストの一員であるようなので、ミュートス・サイボーグは、戦闘兵器を前提として開発されていなければならない、はずだ。ガイア博士が自分の趣味に突っ走ってギリシャ神話をモチーフにするのはいいにしても、パンやカバ男は、兵器として何の役に立つのか分からない(ついでにアルテミスも戦闘兵器としてたいした能力を持ってなさそうだ)。
ミュートス計画自体は、ブラックゴースト壊滅(?)前からあるようなので、今は亡き(?)スカール閣下もこの計画を承認しているはずであり、ガイア博士も処刑のリスクを冒してまでパンやカバ男を作ったとは思えない。したがって、(役に立たないように見える)パンやカバ男もミュートス計画の立派な一員としての目的がなければならないはずだ。
この疑問を解くカギは、アメリカ合衆国、ソビエト連邦(現ロシア)の二大国の対立を軸とした冷戦構造の崩壊にある。
冷戦の終了は、世界戦争の危機感を煽って最新兵器を作っては売り、という軍需産業(ブラックゴーストもその一つ)にも構造改革を迫るものとなった(かもしれない)。ブラックゴーストも含めた軍需産業は、新たな市場を開拓する必要があった(かもしれない)。
一般的な軍需産業における「新たな市場」については放っておくことにして、ブラックゴースト、いや、スカール閣下とガイア博士の見い出した「新たな市場」を開拓する秘策、ブラックゴーストのいまだ明らかにされない極秘作戦、これこそがパンやカバ男に存在意義を与えるものなのである。
すなわち、ギリシャ神話の世界を完璧に再現したテーマパーク、「ミュートス・ランド」開園〜あなたも本物の神々に出会える〜作戦である。
なにしろ、「ミュートス・ランド」に行けば、毎晩火竜(ヒュドラ?)が舞い、月の女神アルテミスが微笑み、ミノタウロスの迷宮を足の赴くままにさまよって、悩みがあればデルフォイ神殿で人生相談もしてくれる。お子ちゃま向けには、「牧神パンと遊ぼう」や「カバ男と跳ねよう」等のアトラクションもあるし(要するに、パンやカバ男は「ミュートス・ランド」作戦には絶対に欠かせないのである)、特別料金さえ支払えば、神々の宴に参列してアポロンたちと談笑できる特典も用意されている。あなたがもし武器商人なら、最新兵器のデモンストレーションも見ることができるだろう。
ディズニーランドやユニバーサルスタジオなんか目じゃない。「ミュートス・ランド」には本物の「奇跡」を起こす神々が待っているのである。
ブラックゴーストにはかり知れない収益をもたらしたに違いない「ミュートス・ランド」作戦がどのような事情で中断されたのか詳細は不明であるが、もったいない話である。
余談だが、SF 映画には、テーマパークをテーマにしたものが以外と多い。
アンドロイドを使って西部劇の世界を再現する『ウエストワールド』(マイクル・クライトン脚本監督)、その続編で未来を再現した『未来世界』、恐竜を再生させた『ジュラシックパーク』(マイクル・クライトン原作)等、枚挙に暇がない。(この三つしか思い浮かばなかったけど)
アンドロイドのガンマンと本物の恐竜の違いはあるが、『ウエストワールド』と『ジュラシックパーク』には共通点が多い。同じマイクル・クライトンが関わっているだけあって、『ウエストワールド』の素材を発展させたものが『ジュラシックパーク』、という見方もできる。
あらゆる方面にアンテナをはり巡らせている(何しろ雑誌『LIFE』も欠かさず読んでいた。観察日記第6話参照)スカール閣下におかせられましても、上記のような映画を見て「ミュートス・ランド」計画を思い付いたのであろう。そういえば、6話に登場した0012が遊園地のお化け屋敷を模倣していたのも単なる偶然ではないかもしれない。(あらゆる事象には意味がある)
念のために書いておくが、私は、25話の感動に水を差す気はない。純粋な論理的考察によって上記の結論が導きだされてしまった、というだけのことである。
前置きはこれくらいにして、24話の感想も少々書いておくと、後半の場面転換が何かギクシャクしていたような気はするが、「弔いの宴」は、ミュートスの「神々」が観客のいない舞台劇を延々と演じているようにも見えて、もののあはれというか、ある種のおぞましさのようなものが感じられて、個人的には、この場面が今回最大の収穫であった。
次回、いよいよミュートス編ファイナル。009vs アポロンの決着は? ミュートスの「神々」、そして、サイボーグ戦士を待ち受ける運命は?
ていうか、もう放送されちゃってますが。