ミュートス編1

第22話 神々の襲来

 
 

 わははははははははははははは、は、はは。
 なんじゃこりゃ。
 いや、別に可笑しくはないのだが、テンションが高過ぎてひっくり返りそうになったぞ。さては先週まで見ていたのは悪夢であったか。何はともあれ、実に長い悪夢であった。(悪夢が終わったわけではないと思うが)

 どうやら平成版『サイボーグ009』というのは、行き当たりばったり、というより、各話を任された脚本家(と演出家?)が毎回好き勝手に自分的『009』を追求するシリーズのようであり、見る側も毎回過去のエピソードを忘却の彼方に追いやった上で見なければならないらしい。(時々発作的に過去を思い出すこともあるので油断は禁物だが)
 
 作戦指揮・遂行面では今まで無視されてきたように思えるギルモア博士が唐突に「監督」として位置付けられていたりして、レギュラー陣の描き方が前回までの流れを考えると「あれ?」と思えたりするのも、今回の脚本担当小林靖子女史的『009』を追求した結果なのだろう。
 どっちかっていうと、平成版004は誰が何と言おうとシリーズを通して甘ちゃんキャラなのだ、みたいな気概の一つぐらい見せてもいいんじゃないの、と嫌みの一つぐらい言ってみたくもなるが(勝算のない戦いに挑んでどうにかなると思ってる辺り、甘ちゃんと言えないこともないか)、面白けりゃ何でもいいや。キャラの性格付けが毎回違うぐらい、面白さの前では些細なことである。(ていうか、「今までと違う」というより、「今までが違ってた」と思わせるだけの力のある脚本だったというだけのことか)

 平成版っていうのは、毎回異なった手法異なった才能(……)でもって毛色の異なるエピソードを描き出していく、ある種のオムニバス的シリーズを目指していたように思える。試みとしてはアリだと思うし、歯車が噛み合えばかなり見応えのあるシリーズになっていた可能性もあったはずだが、脚本(家)の質(才能?)に振り回されて、ものの見事にずっこけちゃったのは残念なことである。(振り回されたのは脚本家の方だった可能性も否定はしない)
 『トワイライト・ゾーン』だの『世にも奇妙な物語』だのならともかく、オムニバスだろうが何だろうが、固定したレギュラーがいる以上、揺るぎない世界観やキャラ設定というのは必要だったはずで、脚本云々以前に、その辺が確立していなかったことがシリーズがガタガタになってしまった原因ではないかと邪推する今日この頃である。(別に脚本(家)に責任が無いと言いたいわけではない)
 すでに22話。半年のアニメなら最終回間近で盛り上がってる時期だったりするのに、「今回は良かったけど次回は大丈夫?」みたいな声もチラホラあったりして、いまだに作り手と視聴者の間に、ある種の信頼関係すら確立されていない。(一旦信頼関係が確立してしまえば、多少の粗相は大目に見てもらえるものだし、愛があればアバタもエクボに見えてたかもしれない)
 ぜひともミュートス編をステップに「参りました。ごめんなさい」と言わずにいられないぐらいの化け方をして欲しいと切に願っているのだが、ミュートス編以降は大丈夫でしょうか?

 それにしても、アニメの「監督」や「シリーズ構成」という職業が具体的にどういう仕事をしているのか(しなければならないのか)よく知らないが、最低限、前の回との整合性を保つぐらいの仕事はしようよ。思わせぶりな前回のメンバー全員集合が、思いっきり今回の足を引っ張ってるんですけど。(多少の不整合は話が面白ければさほど気にならないことに今回気が付いてしまったが、さすがにこれは酷すぎないか?)
 もしかして、003の誕生パーティー(何歳だ?)とか、ブラックゴースト壊滅一周年記念パーティーとか、そんなんで集まっただけだったのだろうか?
 

 さて、演劇などの分野で、行き詰まった物語を急転直下、唐突に終了させる神(のような存在)のことをデウス・エクス・マキナという。町を丸ごと消滅させて戦争を終結させたアポロンとその仲間たちは、戦争の当事者たちにとって文字通りのデウス・エクス・マキナであろう。
 余談だが、『サイボーグ009』という物語にデウス・エクス・マキナが降臨するのだけは勘弁してね。
 これは誰に祈ればいいのだろう? やっぱり神か……。

 圧倒的な能力でサイボーグを打ちのめした神々の皆さん(余談だが、ポセイドンの場面で008を登場させるべきだったと思う)であるが、問題はその去り方である。
 アポロンは光り輝く空飛ぶ馬車に乗って去り、他の神々も霧の中に消えたりして姿を消すが、牛頭のミノタウロス、ジャンプして画面の外に出るだけで、実際に姿を消したわけではない、はずだ。おそらく、困惑するサイボーグたちの前をスタコラサと(欽ちゃん走りで)走り去ったに違いない。ちょっとカッコ悪いぞ。

 なお、ドルフィン号のレーダー(?)で神々の行方を追跡できていたので、(自称)神々(の少なくとも一部)は、物理的存在として物理的移動手段を用いたものと考えられる。だからあーだこーだ言いたいわけではなく、それだけのことですが。
 

(2002/3/23)




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