以下、手当たりしだいに八つ当たりしてます。そういうのが嫌いな方は不快かもしれません。
ご了承ください。m(_ _)m
と言いつつ、とりあえず懺悔。
第7話に引き続き今回、神父殺しの真相が明らかになった。すいません、懺悔します。意味がわからない人は、……世の中には知らない方が幸せなこともあります。
過去を振り返るのはやめましょう。ハンフリー・ボガートも「昨日のことは覚えてない」と言っています。そもそも、私自身、今まで書いた記事など怖くて読み返せません。
さて、神父が、騙されていたとはいえ人身売買に関わっていた、というのはかなり意表をつく展開で、「騙されていた」というのも含めてこの真相に文句をつける気は全くない。
でも、どっちみち神父(または教会)絡みのエピソードはもう一回出てくるわけで、「騙されていた」という部分は謎のまま引っ張てもよかったんじゃなかろうか。009がブラックゴーストに闘志を燃やす動機付けなら、0013とのはかない友情を描くだけでも充分だし、神父殺しをからめちゃったことで、逆に0013の死の意味が軽くなってしまったように思える。
「神父も騙されていた」という部分を引っ張っとけば、009の中で、「信じていた人に裏切られていたのだろうか? 信じたい、でも……」という葛藤が生まれるし、時々「ブラックゴーストの人身売買」ネタをエピソードに絡めれば、その度に苦悶する009なんていう、女性ファンが放っとかないシチュエーションも(楽に)作れたはずだ。
誰よりも003が放っとかないだろうし、他のメンバーも、
など、色々リアクションしてくれたはずである。
おいしいネタだったと思うのだが、実に勿体無い。
ていうか、004のエピソードも5話でケリつけちゃったように見受けられるんだけど、深みのあるドラマってやる気ないんだろうか。
009と0013の加速戦について。
雨が白々しく降り始めるのは置いといて、雨粒がシャボン玉にしか見えないのも置いといて、雨の中での加速戦ってアイディアはいいし、0013が分身を始める所もかっこいい。
が、009の「加速性能が僕を上回っている」の台詞から、「おぉ、0013ってあの体型のくせに009より能力が上なのか! しかも0013、残像効果で分身までしやがる。こんな分身の術なんか使われて、009に勝ち目があるのか? 009の方が劣勢だぞ。頑張れ、009!」と思わせて欲しかったのに、そのヒマもなく0013がレントゲンにバッサリやられちゃう。ずっこけちゃったんですけど。
この場面って、今回最大の見せ場のはずだし、作り手にとっても一番やり応えのある部分のような気がするのだが、何でこんな中途半端なものになっちゃったのか。ハラハラドキドキの(見る側にとっても作る側にとっても)絶好の場面での素っ気無い仕打ち。不適切な例かも知れないが、これじゃまるで、……(不適切なので自主規制)。
身も蓋もない言い方をすれば、演出っていうのは、画面を通して視聴者の感情の流れをコントロールするってことじゃないか。プロに対して失礼かもしれないが、そういう計算がまるっきりできてない。回想シーンなんか入れてないで、こういう場面をきっちり見せて(魅せて)くれないものか。(ラストだって引き立つと思うのだが)
原作における0012〜0013のストーリーは、誘拐されたコズミ博士を追う009の文字通り疾走感あふれる展開なのだが、アニメ版の一話完結のフォーマット(前後編でも一旦話が切れる)で流れが分断された上に、意図不明な改変を加えた挙げ句、不自然な展開になってしまっている。「原作をもとにした大胆なアレンジを加える」とプロデューサー氏が言っていたようだが、「中途半端なアレンジ」にしかなっていない。ていうか、いろんなアイディアを詰め込み過ぎて三十分にまとめ切れてない。一話完結でやるならやるで、「コズミ博士誘拐」のプロットそのものを削るぐらいの思い切りは必要なんじゃないか。
半端に原作をリスペクトするぐらいなら(リスペクトにもなってないと思うが)、原作を徹底的にぶち壊してくれた方がまだマシだ(あきらめもつく)。
余談だが、原作では、他のメンバーが0013ロボットを追って009と合流、0013の死に立ち会うことで、009のブラックゴーストへの怒りをメンバー全員(001除く)が共有する。第8話を見て、原作が周到に練られたプロットの元に描かれていたことを再確認してしまった。
原作の凄さを原作ファンに認識させるためにアニメを作ってるわけじゃなかろうに。
何よりも不幸なことに、私は第4話を見て、『サイボーグ009』が、上質のエンターテイメントとしてハリウッド映画にも比肩しうる素材だということを確信してしまったのだ。(言い過ぎ?)
5、6、8話(7話は前後編の前編にあたるのでパス)では、上質のエンターテイメントの可能性を垣間見せつつ、可能性だけで終わってしまった。0011のオーバーライド、指輪を使って銃を撃つ場面、神父殺しの真相、透明ロボット、ブラックゴーストのデモンストレーション、雨の中の加速戦、0013の「名前を聞かせて」などなど、アニメオリジナルのアイディアで、「おぉっ」と思わず感嘆するようなものも多い。それだけに、そういう要素を生かし切れないウカツな脚本やガサツな演出には、勿体無いを通り越して腹が立つし、なんか悔しい。悔しさ三倍腹立ち二乗(このフレーズよくない?)。
突然、話題が変わる。
『アトランティス』のことである。
一部で話題になっているが、予告のわずかな映像を見るだけでも、なんか見覚えのある世界が広がっている。
日本のアニメはジャパニメーションとか呼ばれて、海外でも高く評価されてる、なんて話を聞くことがあるけど、結局はナメられてるだけなんじゃないのかい。ディズニーなんて、『ライオンキング』の時の手塚プロの弱腰対応(色々事情はあるんでしょうが)で完璧に味占めちゃったように見えるんだけど。(ジャパニメーションていう言葉自体はとっくに死語らしい。なんでも、日本人の蔑視表現であるジャップ+アニメーションと受け取られるかららしいが、肝心の日本で喜んでこの言葉が使われてるあたり、用語規制って物の何ごとかを如実に示しているような気もする)
オシイとかミヤザキとかポケモンあたりはともかく、和製アニメに注目してるのは、ごく一部のマニアとハリウッド関係者(もちろんパクるためである)ぐらいだったりしそうな気がするんだがどうなんだろうか。(エラソーに書いてますが、詳しいわけじゃないです)
日経B2Oの記事を見る限り、『009』の海外輸出も検討されてるらしいが、今の(ここ数話の)レベルの物を持っていってもパクリネタにされてお終いじゃないのか。
数年後に、金も時間もたっぷりかけたディズニー製の『009』パクリ映画を悔し涙に暮れながら見るのなんて勘弁して欲しい。(さすがにディズニーは作らないか)
上記記事によれば、「所属アーティストの海外展開につなげる」そうですが、原作のネームバリューに寄り掛かって、甘い汁を吸わせて貰いましょうとか安易に考えてるように見えるんですけど、エイベックスさん。(主題歌にしても、オープニングはともかく、エンディングの作品の世界観を無視した歌詞ってどういうつもりなのか。「009ファンなんぞに俺の音楽を聞いてもらうつもりなんかない」と拒絶されているみたいに聞こえる。(買ったけどさ) ていうか、大胆なアレンジって、エンディングのことだったのか?)
別に「利用するな」なんて言うつもりはないが、利用するなら利用するでもっと気合いを入れた利用の仕方をして欲しい。
「気合い」が感じられないというわけではないのだが、こうも詰めの甘いものを見せられると、最初からやる気のないものを見るよりも辛い。時間が無いのか金が無いのか才能が無いのか全部無いのか、私にはわからないし、ここでこんなこと書いたところでどうなるものでも無いだろうけど、切実に何とかして欲しい。
何よりも、一年後、第4話を見たのは不幸なことだったと思いたくないです、作り手の皆様。(泣)
蛇足。
透明ロボットが電線に触れた時に影ができてるけど、影って反対側にできないか、普通。