クソ映画を再び鑑賞する


弟切草

 あれえ?
 意外と楽しめちゃいましたけど。何はともあれ、退屈しなかったし。
 ゲームの内容の映画化ではなく、ゲームそのものの映画化。それならそれで、もう一工夫ぐらい欲しかったけど。
 ところで、弟切草の花言葉“復讐”ってストーリーとどういうつながりがあるんですかね? 実は[ 妹 ]じゃなくて[ 弟 ]だったってのも、だからどうだっちゅうねん?感があふれてるし。ゲームとかやってる人には自明のことなのかも知れんけど(よくわからん)。
 PowerBookが出てきたので10点、緊張の糸がぷっつり切れるどんでん返し(?)に22点、その後に続く最後から2番目の落ちと最後の落ちが全然怖くないのが微笑ましくて10点。計42点。


ドラゴンヘッド

 『弟切草』といい『ドラゴンヘッド』といい、ここ読む限り、ものすごいクソ映画っぽくて、期待に胸弾ませて見たというのに、どこがクソなのかわかりません。原作が一定以上の評価を受けてるだけに相対的に評価が厳しくなってるのか、私の見る目がクソなのか……。ていうか、今後、「『○○』はクソ映画」とか「『××』は最低の映画」とかコメントする人は、『デビルマン』を見てからにして欲しい。『デビルマン』さえ見とけば、そう簡単に「『○○』はクソ映画」なんて言えなくなるはずで……、ああでも『デビルマン』を基準にするのもそれはそれで問題あるか。
 さてこの映画、放射能で突然変異した巨大ムカデなどが襲ってきたりしてお話に彩りを添えるでもなく、主人公が驚異的なバイタリティーでもって危機を脱したりするでもなく、救いもなければカタルシスの欠片もない。とにかく状況が絶望的で、主役二人が閉じこめられていたトンネルから外に出た時点で、これはもうどうにもならないんじゃないか感が漂い、取りあえず東京目指しましょうってことにはなるものの、東京行ったらどうにかなるかも、なんて希望を見てる方がこれっぽちも持てないし、実際どうにもならないという、もう本当にどうにもならない話。
 ただ、間違いなくこの映画の監督はそういう鬱映画を作ろうとしているのだろうし、その点では成功していると言ってもいいのではないか。少なくとも、終末的風景は『デビルマン』の三〇倍は素晴らしい(←だから比べるなってば)。
 瓦礫の山に10点、火山灰(?)でもやった情景に10点、半壊したビル群に15点、火山弾に10点で計45点。 


FINAL FANTASY

 うげえ。こっちは予想以上にきつい。
 技術的には確かにすごいことやってるとは思うんだよね。肌の質感はリアルだし、動きなんかも多分、本物の人間の細かい動作を再現しようとしてるんだろう。ただ、そういうリアル指向が見る側にとっては、逆効果になってしまっているのではなかろうか。
 例えば、勘の鋭い人っていうのが世の中にはいて、そういう人って、声の抑揚の変化とか目の動きや微妙な動作なんかから、相手の嘘を見抜いたりする。具体的にどこがどうだとか本人が意識してなくても、無意識のレベルで「何かおかしいぞ」と警報を出すわけ。
 で、この映画、意識のレベルでは「これはCGであって本物の人間ではない」ということは明らかで、だから、動きが多少ぎこちなくても「所詮CG」で済ませられるんだけど、無意識レベルでは、リアル指向が仇となって、「こいつは何かおかしいぞー。本物の人間じゃないぞー。偽物だぞー」という警報を発してしまうのではないかと。これがおもちゃとか熱帯魚とかデフォルメの効いたキャラクターなら、無意識レベルでも「人間ではない」とわかるので警報機能は抑制されるのだろうが、一見すると本物の人間に見えないこともないような気がしないでもないこの映画の登場人物に対しては取りあえず本物の人間と見做してその動作を判定しようとしてしまうのではなかろうか。だって、見ててイライラするし、異様に疲れるんだもの、この映画。
 ――別な言い方をしてみる。
 コミュニケーションは、主に言葉を介して行われるが、実際にはその時のしぐさや表情、まばたきの回数など(強いて言えばボディランゲージということになるんだろうけど、もっと些細なもの)によって言葉以上の情報を(無意識レベルで)やり取りしている。リラックスしてるとか、怒ってるとか、あなたを愛していますとか……、体全体の些細な動作の積み重ねが、そういう、意識のレベルでは雰囲気とか空気感などとして受け止められることになるメッセージを発しているのだ。何気ない動作にも(無意識レベルでは)意味があるのである。もちろん、こういう無意識的なメッセージの意味を適切に解釈できないこともあって、その場合、不安に駆られたり、イライラしたりして、「こいつ、何考えてるかわからん」とかなったりすることもあるし、逆に、そういう人が「空気の読めない人」と見做されたりもする。
 この映画の3D-CGキャラクター達は、しきりに体を動かして、無意識レベルのメッセージを発しているかのように振る舞うのだが、受け手である観客の、無意識レベルでのメッセージを解釈しようとする試みのほとんどは徒労に終わってしまう。彼らは、人間ぽい動きを再現しようとしてはいても、ただ動いているというだけで、その動作の大部分からは(多分)何のメッセージも発していないからだ。結果的に、リアル指向な動きは、逆に、観客に妙なストレスを与えてしまう。
 まあ、別に無意識の話なんか持ち出さなくても普通にぎこちない動きではあったのだけど、私自身は最後までこの動きに馴染めなかったもので、技術的な限界云々とは別の問題があるんじゃないかと考えた次第です。
 CGは『デビルマン』に比べれば以下略。とにもかくにも技術的にはすごいなあとは思うので19点、ストーリーは、ええと、とっさには思い出せないぐらい印象に残らなかったので以上。


APPLESEED

 “クソ映画”の文脈で紹介するのは少々気が引けるが、ついでということで。
 実際の人間の動きをキャプチャーして作った3D-CGをアニメ風に処理、ということなので、“動き”に関しては、『FINAL FANTASY』の後継者と言っていいかもしれない。
 んで、その“動き”だが、アクションシーンはいいんだけど、動きの少ないシーンになると、FF程ではないけどやっぱり微妙に違和感がある。上で“何のメッセージも発していない”と書いたが、そんなことも無いのかなあ。微妙なタイミングのずれなんかが、(無意識レベルで)ノイズとして捉えられてしまっているとでも言うか。
 この映画に対して、『イノセンス』の押井守監督が「モーションキャプチャーなんかしちゃいけない」という趣旨の批判をしていたらしいけど、なるほど、と思う。
 慣れの問題もあるだろうし、手描きアニメ(つまり、ごく一般的なアニメ)だと作り手と受け手の間に表現上のお約束が成立していたりもするので、単純には比較できないだろうが、この映画を見ていると、キャラクターの感情表現に関しては、手描きアニメの方が上なのではないかと思えるのだ。
 手描きアニメは、基本的に動かない。だから、無意識レベルでの意味のないメッセージを出すことはないし、その動作と動くことによって発せられる無意識レベルメッセージは、演出家やアニメーターが意識的無意識的に取捨選択することで適切にコントロールされることになるはずだ。
 3D-CGの動きと手描きアニメの動きを機械的に判定したら、3D-CGの方が“人間らしい動き”なのかもしれない。が、人間にとっては、同じ人間のフィルターを通して簡略化され再構成された手描きアニメの動きの方が、より自然な“人間らしい動き”と感じられるのではあるまいか。
 機械的な人間の動きの模倣=人間が自然に感じる動き、ではないのである、多分。
 ということで、とにもかくにも技術的にはすごいなあとは思うので19点、原作は面白そうだなあ、今度原作読んでみよう、と思ったので20点、計39点。


(2004/11/28)




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