リベリオン
ガン=カタ――過去のデータを統計的に分析し独自の型を身に付けることで銃撃戦において相手より従来比120パーセント増の優位性をうんたらかんたら……、要するにガンアクションと格闘技を融合した独自のスタイルのアクション――が“売り”の映画、ということで見た。
が、冒頭でモナリザの微笑が燃やされた時点で「あれ?」と疑問がよぎり、話が進むにつれ疑問は確信に変わり、ガン=カタなんてどうでもよくなってしまった。(これはこれで面白かったんだけどね)
舞台は、第三次世界大戦後の“感情”が禁止された世界。人々は、薬品によって感情を抑制される一方で、強い感情を引き起こすアイテム――文学、音楽、絵画、ペット等の所有が禁じられている。主人公ジョン・プレストンは、ガン=カタのエキスパートにして、優秀な“感情”取締官――クラリックだったが、“感情”の素晴らしさを信じる一人の女性との出会いをきっかけに“感情”に目覚めていく。
って、この話、レイ・ブラッドベリの『華氏四五一度』そっくりなのである。
『華氏四五一度』の舞台は、近未来の“本”が禁止された世界。人々は、四六時中流されるテレビやラジオ放送で“考えること”を抑制される一方で、本を読むこと、本を所有することが禁じられている。主人公ガイ・モンターグは、火炎放射器のエキスパート(火炎放射器でアクションするわけではなく、見つけた本を燃やすだけだが)にして、優秀な“本”取締官――焚書官だったが、“読書”の素晴らしさを信じる一人の女性との出会いをきっかけに“読書”に目覚めていく。――てな具合である。(ちなみに焚書官は、英語だとFireman、つまり消防士。作中に「昔の焚書官(Fireman)は、火を点けるのではなく火を消すのが仕事だった云々」というセリフがあったりする)
この程度の類似は特に珍しいことではないし、物は書きよう、書き手が偏向していれば、ある程度印象を操作できてしまうと思われるかもしれないが、『華氏四五一度』自体情報操作を扱っている作品だったりもするので大目に見て欲しい。
類似点は他にもある。ジョン・プレストンが机の上の小物を気にする場面はモンターグが初めて本を読む場面を彷彿とさせるし、冒頭のモナリザが燃やされる場面や(『華氏四五一度』にはモナリザは出てこないのだが、ブラッドベリの作品に“モナリザの微笑”が主役(?)の短編があったりする)、ヒロインの処刑場面(『華氏四五一度』のヒロインは処刑されないが、これとそっくりの場面がある)などなど、ブラッドベリ・ファンが思わずニヤリとしてしまうような場面が多く、『リベリオン』は、紛れもなく『華氏四五一度』のパクリ(というかオマージュ?)、いや、パクリとかオマージュの域を超えてほとんど『華氏四五一度』そのものの映画化作品とさえ思えてしまう。
いや、別に非難しようとしているわけでは全然ない。
この映画の“原作”、『華氏四五一度』が発表されたのは1953年、'66年にはフランソワ・トリュフォーによって映画化されていて、どっちもSFの古典的作品である。ちなみに、華氏451度は摂氏にして約233度、紙が燃え始める温度である。最近話題になったマイケル・ムーア監督の『華氏911』のタイトルはここから取られているが、この件では
一悶着あったりする。
さて、何年か前、メル・ギブソンがこの小説の映画化権を取得して自ら監督して映画化する、という話が流れたことがあった。その後、『グリーン・マイル』のフランク・ダラボン監督がこの企画を引き継いだらしいが、現在どうなってるのかはよくわからない。
この話を聞いた時、元ブラッドベリ・ファンだったりする私としては、嬉しい反面、首を傾げずにはいられなかった。だって半世紀も前に書かれた小説である。時代を超えた普遍性というべき部分もあるにはあるが、この小説のキモである“本を燃やす”という要素はあまりにも古臭く、イマドキの映画として通用するとは思えなかったのである。ディスク一枚に数百冊分の本のデータが保存できちゃう時代に、ちまちまと紙媒体の本を狩り集めて燃やすことに何の意味があろうか。(CDやらDVDのディスクを燃やすのは、有毒ガスとか発生しそうなのでお勧めできない)
『華氏四五一度』映画化は、原作に忠実にやれば時代錯誤なものになるだろうし、現代的にアレンジすればそれはもう原形をとどめない別物にしかならない。
とまあ、映画版『華氏四五一度』の行く末を案じて、眠れぬ日々を過ごしていたところに、『リベリオン』が登場したわけである。
これが例えば「『華氏四五一度』の完全映像化!」などと謳っていたりすれば、こんなの『華氏四五一度』じゃないやい、と腹のひとつも立てたかもしれないが、ブラッドベリの名前も『華氏四五一度』のタイトルも一切表に出さない控えめ(?)な態度が功を奏したと言うべきか、『華氏四五一度』の映像化(違うけど)として、フェイント気味に私のハートを射ぬいたのであった。
こういうリメイク(違うし)の仕方もあるのだなあ、と。
表面的には確かにアクション映画の体裁を取ってはいても、その根底には紛れもなくブラッドベリの原作(違うから)のスピリットというべきものが流れている。何というか、原作(違うよ)に対する愛を感じてしまうのである。
思わぬ拾い物というか、人間長生きはしてみるものである。(しみじみ)
ただし、ラストはイマイチ。
終盤の二転三転する展開は楽しめたし、この手の映画としてはああいう終わり方が妥当な線かとも思うのだが、原作(違うって)通りとは行かずとも、それなりにブラッドベリっぽさを感じさせる終わり方で締めて欲しかった。
残念。
残るは、『華氏四五一度』“公認”映画版なのだが、さて、どうなることやら……。
(2004/11/9)