93. デッカードのアパート、ベッドルーム 夜
ベッドの上に本が散乱している。レイチェルが足を組んで座っている。その横でデッカードがレイチェルの優雅な姿を眺めている。
デッカード(VO)
「彼女は自然の景観を見たことがなかった。そういった本も含めて。
彼女は俺の持っている本を読み尽くした。
俺たちはいろんな話をしたが、触れなかった話題、口にしなかった言葉もある。死や、未来、あるいは本物について。
しかし、彼女の好奇心を満たすのは一苦労だ。
彼女は、俺の知っている誰よりも、生き生きとしていた」
レイチェルは、写真の美しさにショックを受ける。言葉は必要ない。目の中に現れている。
レイチェル
「私たち、親友でしょ、ね?」
デッカー度は考える。彼女は彼を見て笑う。
レイチェル
「簡単なことよ」
納得しようがしまいが、デッカードはうなずいた。レイチェルは彼のまじめさに笑った。
レイチェル
「長い間、付き合っていた人っている?」
デッカード
「女性のことか?」
レイチェル
「そう」
デッカード
「長い間ってのはどのくらい?」
レイチェル
「10年」
デッカード
「まさか。そんなに長く俺と付き合える女なんていないよ」
ベッド横の電話のベルが鳴る。
彼は受話器を取り耳に当てる。
デッカード
「もしもし」
ブライアント
「ブライアントだ。一人か?」
デッカード
「ええ」
ブライアント
「彼女は一緒じゃないのか?」
デッカード
「誰のことです?」
間。
ブライアント
「メモしろ。コナプト 1700、十階。オリンピア南の高級住宅地(*)」
デッカード
「書いた」
ブライアント
「よし。その場所で、エルドン・タイレルと彼の家族、それにスタッフの半分が虐殺された。猫がバッグから飛び出そうとしてる。緊急事態だ。
ネクサス計画は廃止された。こいつを終わらせたら、ネクサス・モデル、レイチェルを探し出して、処分しろ」
デッカードは何も言わなかった。
ブライアント
「お前がやらないんなら、こっちでやる。例外は認められんのだ、デッカード。こいつは上からの命令だ。わかったな」
デッカード
「了解」
ブライアント
「よし、行け」
デッカードは受話器をかけ、立ち上がった。レイチェルはベッドから、彼が銃身にをつけ準備する様を見ている。
レイチェル
「なぜ、「処分」なんて言い方をするの? なぜ、「殺す」とは言わないの?」
デッカード
「これは、「殺す」こととは違うからだ」
レイチェル
「殺される側は、そうは思わないわ」
デッカード
「アンディの反応は、あくまでもシミュレーションだ。殺されたときの反応がプログラムされてるかどうかは知らんがね」
レイチェル
「私たちの間のことも、シミュレーションだと思う?」
デッカード
「いや」
レイチェルを見ずに、デッカードは上着を着た。
デッカードは、部屋の真ん中で彼女に背を向けて立っている。振り向くと、二人は身動きせず、向き合った。
デッカード
「ここにいろ。ドアは開けるな。電話にも出るな」
レイチェル
「それで何かが変わるって言うの?」
デッカード
「とにかく、ここで待っててくれ」
彼は玄関に向かう。
レイチェル
「私の考えてること、分かる?」
デッカード
「何だ?」
レイチェル
「この辺りの人たちは、私以上にプログラムされてるわよ」
デッカードは笑った。
レイチェル
「それともうひとつ」
デッカード
「何だ?」
レイチェル
「今日は人生で最高の日だった」
彼は部屋を出る。
(*) この住所、セバスチャンの住所ですね。まあ、来客者を調べるなりすれば、重要参考人としてセバスチャンが浮かぶのは不自然ではないけれど、その辺を説明するセリフが抜けてるようで。
94. セバスチャンのアパート 夜
セバスチャンは、作業机に座っていたが、上の空で、手は小刻みに震えている。
バッティとプリス、メアリーは、部屋の隅で話し合っている。その声は低い。
メアリー
「時間があるうちに行きましょう」
バッティ
「どこに?」
メアリー
「どこでもかまいません」
バッティは笑みを浮かべた。
バッティ
「何のために?」
メアリー
「ここにいたら捕まってしまいます」
バッティ
「もう手遅れだよ、メアリー」
セバスチャンがドアに向かっている。
バッティ
「どこに行くんだ、セバスチャン?」
セバスチャン
「あの、ちょっと……」
バッティ
「だめだ、お前は俺たちとここにいるんだ。外なら昨日の夜に一緒に行っただろ」
全員が見た。
セバスチャンがドアから離れた。
バッティ
「自分を光だと考えるんだ、メアリー。
そいつが消える前に、精一杯輝け」
メアリーは、その論理を受け入れられるほど強くはなかったが、プリスは関心を示した。バッティとプリスは、輝きを保っている。
セバスチャンは窓脇にいた。
セバスチャン
「誰かがくる」
バッティが窓に行き見下ろした。
バッティ
「一人だ。
(笑う)やつは、できそうだ」
メアリー
「すぐに行って殺しましょう」
バッティ
「そいつは、あまりフェアじゃないな」
セバスチャンが飛び出しそうにした。バッティが手を彼に巻き付けた。
プリス
「私がやるわ」
バッティ
「よし。だが殺すな。みんなのために生かしておけ。腕試しにな」
間。
バッティ
「明かりを消せ、プリス」
95. セバスチャンのアパート、外
薄暗い照明の下、デッカードが建物の敷地に入り、立ち止まる。周囲を見回すが、誰もない。
彼はさらに建物に近づき、出入り口の影の中で立ち止まる。
ガラスの割れる音に、デッカードがとっさに頭を上げる。
セバスチャンが9メートルあまり頭上から落下し、舗装に激突する。。
デッカードの目がセバスチャンの落下した放物線をたどり、9階の割れた窓を見つける。
96. ロビー
大したものはないが、フロアを横切りながら、デッカードは何も見逃さない。最も目立たない場所に立ち、周囲を見回す。エレベーターと吹き抜けの階段。
視線を階段の扉に向けながら、壁伝いにエレベーターに向かう。
エレベーターの脇に立ち、ボタンを押す。エレベーターのドアが開く。中に入り、ボタンを押す。デッカードはペンをドアの間に挟み、動作ドアが閉まるのを妨げる。
デッカードは素早くロビーを横切ると、階段のドアの前で立ち止まり、ドアを押し開けると——
97. 吹き抜けの階段
——暗闇の中に足を踏み込む。突然、デッカードは床に転がると、左側の人影に向けて3度発砲する。
男は床につられている。彼の手は手すりに固定され、首は折れている。胸にデッカードが撃った3つの穴。だが、彼は既に死んでいた。
デッカードは死体を凝視する。年老いた警備員、ミスター・ビーチャムである。足下で、死体にかじりついていたネズミが駆け回る。
螺旋階段は十階まで続いている。デッカードが階段に足をかけると、生々しい少女の叫び声が空気を切り裂いた。階下からだ。
その声は金切り声になり、いきなりやんだ。
デッカードはレーザー銃から半分使ったカートリッジを引き抜くと、新しいものを装着して、物音を立てずに、地下に降りていく。
98. 地下
通路がある。小さな機械音が突き当たりのスイングドアから聞こえる。ドアまで行くと、音は、がたがたとした振動音になっている。ドアには小窓があり、デッカードは脇によけて、小窓を覗き込む。
98. 体育館
体育館である。鏡張りの壁は、割れて、すすけている。長い間使われていない。
バーベルが床に沈んでいる。2台のダイエットマシーンがガタガタと動いている。
デッカードの目が、女性を見つける。
彼女は、天井から下がったリングに肩をかけ、宙にぶらぶらと浮いている。
デッカードはドアを押し開け、鏡越しにドアを警戒しながら、ぶら下がっている女性のもとに向かう。
デッカードは冷静だ。彼にとっては、いつものことだ。
彼女の顔が判別できるところまで近づいて、彼は立ち止まった。彼の目には、残酷な死には見えなかった。彼女は天使のように無垢だった。
考える暇もなく、鏡越しに背後のドアが開くのを見て、デッカードは振り向いた。
プリスの足が動き、デッカードのレーザーを叩き落とし、彼の首を締め付ける。
ゆっくりとドアが閉じたが、デッカードに気づく余裕はない。今や、彼の頸動脈は脳に血を送っていない。
デッカードは足を動かし、足首のレーザーに手を伸ばすが、プリスの指が彼の手首を掴む。彼の手が広げられ、レーザーが床に落ちる。
プリス
「いけない子ねえ」
プリスはデッカードを離すが、デッカードが倒れ込む前に、彼の背中を蹴りつける。彼は4、5メートルほど飛ばされ、機械にぶつかり、床に倒れる。
プリスはリングを離すと、彼に迫る。
デッカードはどうにか起き上がるが、既にプリスがいた。プリスは彼の腹を蹴り上げ、彼は再び床に倒れる。
彼女の人差し指がのびて、装置のスイッチを押す。
それは、ベルトが振動するダイエット装置だった。通常なら無害な装置だが、この装置は、モーターのカバーが外れていた。むき出しの機械が軋んでいる。
デッカードの手がそこに入る。大男に立ち向かう8歳の少年のようなものだ。あと2秒もあれば、彼の手は、機械に接触してしまうだろう。彼は、力一杯、手を抜こうとするが、プリスに押さえつけられている。
デッカードの顔が歪み、彼はあらん限りの力を込めて足で彼女の胸を押す。彼女の押さえが外れた。二人がつんのめり、デッカードが床に倒れて喘ぐ。プリスが起き上がって再びデッカードに迫る。彼女が飛び上がる。デッカードが転がってよける。
デッカードが防御のため反射的に手を挙げる。プリスが笑みを浮かべ、彼の足を抱え床を引きずる。彼女に手加減する気はないようだ。二人はまた装置の方に戻ってくる。
デッカードはダンベルの棚に捕まろうとするが、彼は引きずられていく。
プリスは、デッカードの足を持ち上げ、装置に突っ込もうとする。デッカードの手に2キロのダンベルが握られている。彼はダンベルでプリスを殴りつける。彼女はバランスを崩すが、足は離さない。デッカードの大きく振り回したダンベルがプリスの顔を直撃する。
彼女が床に倒れる。デッカードが起き上がり、頭の上にダンベルを振り上げる。彼女の足がデッカードの足を蹴りつけ、デッカードが吹っ飛ばされる。
プリスは激怒し、素早く動く。彼女は鉄の棒を壁から取ると、頭の上に高く掲げ、サムライのように振り回す。
プリスがデッカードに迫るが、彼女の動きが止まる。
デッカードはレーザーの近くに飛ばされていた。彼は、這いずって、レーザーの方に向かう。悪夢のような時間。
ようやくレーザーを手にすると、体をまわして、狙いを定める。プリスは怒りの叫びをあげながらデッカードに迫る。
デッカードはプリスを撃つ。
その一撃はプリスの左腕を肩から切断する。その手は棒を掴んだまま、ぶらぶらと揺れている。。
デッカードの二発目は、プリスの首を貫通した。断続的に血を噴き出しながら、彼女はデッカードの横に倒れ、死んだ。
デッカードは、横になったまま喘ぐ。ゆっくりと、手と膝をついておき上がる。ふらふらになりながら立ち上がる。彼ののどから耳障りな乾いた声が漏れる。それは、そうは聞こえなかったが、デッカードの勝ちどきの声だ。
100. 通路
レーザーを手に、デッカードはドアを蹴り開け、通路に出る。殺気立っている。
101. 螺旋階段
一階の踊り場に来たデッカードは、上を見上げ、さらに上り続ける。何であれ、動くものは撃つつもりだ。
101A. 螺旋階段、2階
2階の踊り場で、彼はドアを開ける。廊下を見下ろし、埃の中に痕跡を探す。何もない。彼はさらに階段を上がる。
102. 9階
9階。デッカードは探していたものを見つける。廊下を半分ほど言ったドアの前まで、行ったり来たりしている足跡。彼はドアの横まで行って立ち止まり、聞き耳を立てる。沈黙。
デッカードはドアに向かって、立て続けに3発撃つ。ドアの反対側に誰かがいれば即死だろう。
彼は、ドアを蹴破り、頭から飛び込み、床に転がる。部屋の反対側の隅に向かって撃つが、部屋は空だ。キッチン・バーと、押し入れとベッドルームのドア、どちらも閉じられている。デッカードの息づかいだけが聞こえる。
物音が聞こえたのか、あるいは直感か、いきなり、デッカードは体をひねって押し入れに向け数発撃つ。くすぶっているドアがゆっくり開く。
メアリーがうずくまっている。片手は、怖がりながらボールを受け取ろうとするように伸ばされ、もう一方の手は、ぬいぐるみのサルを掴んでいる。
その顔は恐怖に凍り付き、その体には穴があいている。今回は偽装ではない。
デッカードは、念のため、彼女の首を撃つ。
メアリーは糸の切れた人形のように、床に落ちる。
デッカードは、押し入れの痛ましい姿からはなれ、ソファに座り込む。彼女から目が離せない。
デッカードは、レーザーを脇に置き、自分の手を見る。手を膝に置き、目を閉じて、背をそらす。
天井から叩くような音。デッカードが見上げる。
最後にコンコンというノックの音。そして間。
デッカードが飛び出した。コンクリートを叩く音がして、漆喰がデッカードの座っていた場所に落ちる。天井に直径60センチの穴があいている。梁が壊され、上の階の部屋が見える。
沈黙。
デッカードは、目と口の漆喰を拭って、ささやく。
デッカード
「ハロー、ロイ」
103. 螺旋階段、9階と10階の間
デッカードが踊り場に現れ、最上階への階段を上る。彼はドアの蝶番を撃ち、足でドアを開ける。ドアは大きな音を立てて倒れる。
反響がやみ、静かになる。廊下は空っぽだ。
104. 10階廊下
デッカードは、素早く、だが慎重に、ドアを通り過ぎ、セバスチャンの部屋の上の部屋を見つけ、ゆっくりドアを開く。
105. 10階の部屋
床の真ん中の穴を別にすれば、見るべきものは何もない。壁を背に、デッカードはベッドルームに向かうが、何かのノイズで足を止める。フクロウの鳴き声のように聞こえる音が廊下から聞こえる。
106. 10階廊下
デッカードは玄関ドアから様子をうかがう。
バッティが廊下の反対側にいる。サポーターと運動靴以外、何も身に付けていない。
バッティ
「遊ぼうぜ」
デッカードが撃つ。バッティが素早く戸口によけ、また顔を出す。
バッティ
「丸腰の相手を撃つなんて、フェアじゃないな。君は、優秀だと思ってたぞ。そうじゃないのか、人間君?!」
バッティの顔は、コマンチ族の戦士と女装趣味の中間のようなメイクをしている。彼の筋肉はふくれあがり、興奮に武者震いしている。
バッティ
「こっちでやらないか、若いの!
来いよ!」
稲妻のような動きで、バッティが廊下をジグザグに走って、デッカードの方に向かってくる。デッカードは3発撃つが、バッティは笑いながら左側の壁をぶち壊して消える。
デッカードはその場で、状況を分析し、穴の開いた壁ににじり寄る。
バッティは、彼の背後にいた。
バッティは、デッカードを膝蹴りし、平手で頭を打つ。
デッカードは、膝をつき、倒れ込む。バッティが彼の横に膝をつく。
バッティ
「痛くないだろ、え? 根性入れろよ、でないとお前を殺すぞ。死んじまったら遊べないぞ。遊ばないんなら、お前を殺す」
デッカードは目を閉じ、口は出血している。彼は激して、手を上げて、動き始める。
バッティ
「その意気だ!」
闘牛士のようにバッティは立ち去る。デッカードが立ち上がったとき、バッティはドアのひとつに姿を消している。
デッカードは口の血を拭い、腰を屈め、レーザーを拾い、あざけるような声の方向を向く。
バッティの声
「来いよ、デッカード。お前の実力を見せてくれ! 俺はドアのこっち側だ。だが、しっかり狙えよ。俺は早いからな」
デッカードはドアにたどり着き、ドアを吹き飛ばし、蹴り開けると、バッティめがけて撃った。だが、それはバッティの鏡像だった。
107. 室内
部屋の反対側の大きな鏡が粉々になる。バッティは彼の横にいた。デッカードの手を掴み、一歩近づく。
バッティ
「ちょっとばかり狙いが外れたようだな」
二人は向き合った。
バッティ
「ゲームオーバーのようだな、え?」
大げさに失望した様子を見せて、バッティは首を傾ける。
バッティ
「どうやら俺は見込み違いをしていたようだな。
ハンディをやろう。
俺は今後壁を突き破ったりしない。オーケー?
約束する。今後はドアを使う。オーケー?」
デッカードはバッティを見返すが、答えない。突然、バッティは怒りに駆られ、デッカードをドアに投げつけ、殴りつけ、襟を掴み、頭を壁に押し付ける。
バッティ
「いいか、もっと知恵を絞れ!」
108. 廊下
バッティは、デッカードを廊下に引きずり倒し、再び壁に頭を打ち付ける。
バッティ
「考えろ! ここらでは、ちょっとばかり復元力が必要だぞ」
バッティは強くデッカードを引っ張り、また頭を打つ。
バッティ
「タマはあるのか?!
ちょっとは根性を見せろ!」
怒りの発作が収まる。
デッカードは、洗濯カゴのようにバッティにつり下げられている。
バッティ
「我を失ってしまった。スポーツマンシップに反するな。二度としないよ」
バッティはデッカードをおろす。
バッティ
「お前の準備ができるまで、下がっていよう」
バッティは歩き去ってドアのひとつに消える。
デッカードは膝立ちになり壁にしばらくもたれ、それから、拳で壁を打つ。
ヨロヨロと立ち上がり、息を整え、聞き耳を立てる。音はない。バッティの気配は何もない。レーザーが近くに転がっている。
デッカードは迷わなかった。
デッカードはできるだけ静かに廊下を戻る。彼には仕事があり、それをやり遂げたかったが、愚かではなかった。踊り場まできて、振り返る。
階段を一歩下りて、デッカードは立ち止まる。バッティが下の踊り場で、デッカードを見上げている。
バッティ
「どこに行く?」
バッティは、ちょっとの間、デッカードの返事を待つ。
バッティ
「ズルはするな。約束は約束だ。ハンディはやったが、遊ぶのはその階だけだ。レーザーを取りにいけ。
俺が行くまで少しだけ時間をやる」
デッカードが廊下に引き返す。バッティが笑みを浮かべる。
デッカードが廊下を走る。
バッティの声
「ひとつ!」
廊下を半分ほど行って、デッカードはレーザーを見つける。
バッティの声
「ふたつ!」
デッカードは近くのドアに入る。セバスチャンの部屋の上の部屋だ。床に穴があいている。デッカードは考える。
バッティの声
「穴から飛び降りるのは、反則だぞ。そんなことすると怪我するぞ! ——三つ!」
デッカードは廊下に戻る。別のドアを選び、中に入る。
109. 室内
デッカードは、使えそうなものを探して周囲を見る。
バスルーム。配管は取り外され、裸の壁。釘が突き出ているが、小さすぎる。
バッティの声
「四つ!」(*)
(*) 実は原文にはこのセリフ無いんですが、私(azinori)の一存で付け足しました。サービスってことでw
110. 階段
バッティが上がってくる。
バッティ
「五つ!」
111. 部屋
デッカードは角を探す。—部屋をカバーできる場所。
彼は、ドアを狙える位置を選ぶ。
112. 廊下
バッティが中央にやってきて、ドアの様子をうかがう。
バッティ
「六つ!」
113. 部屋
デッカードは隅にかがんで、狙いを付ける。手が震えている。
バッティの声
「七つ!」
114. 廊下
バッティがドアの前に立って、聞き耳を立てる。
バッティ
「おっと、あいつはどこにいったんだ? ここじゃないみたいだな。
——八つ!」
彼は次のドアに行く。
バッティ
「ここかな? 違うようだな。
——九つ!」
バッティは次のドア、デッカードのいる部屋のドアに向かう。
115. 部屋
デッカードは体を低くして構える。息を潜め、引き金を引こうとする。
バッティの足音が遠ざかっていく。デッカードが周囲を見回す。後ろの壁に手を当てる。
足音が再び戻ってくる。
間。
バッティ
「十!」
ドアが吹っ飛ぶ。
影が部屋を横切る。デッカードは、その影を追って素早く撃つ。テレビである。
振り返るが、既にバッティが彼のそばにいる。バッティの手が彼を捕まえる前に、一発撃つ。
バッティの右目に穴があく。彼の顔に血が流れ、デッカードにもかかる。バッティの顔の右側はうまく機能しなくなる。口の端がきちんと閉じない。不明瞭でうつろな声が出た。
バッティ
「よし、お前のポイントだ」
怪我は、バッティの能力を衰えさせることはなく、彼はかえって凶暴になっている。
バッティはデッカードを壁に投げつける。デッカードが撃ち、バッティの肩にあたる。
バッティ
「ホー、ホー! もう一度やってみろ!」
バッティはデッカードに迫り、コブラが威嚇するように、急に後ろに下がったり、フェイントをかけたり、左右に体を揺すったりして、興奮しした叫びを上げる。。
デッカードは銃を撃ち続けるが、弾がなくなる。血まみれのバッティは、デッカードを詰め寄る。
バッティ
「どうした? 俺のことが嫌いか?
お前がやったんだぞ」
116. 廊下
バッティは、デッカードをドアから押し出す。
デッカードがつまずいて倒れる。その顔に恐怖が浮かぶ。それまでの強靭さはなく、何かが壊れかけている。
バッティ
「どうした?
早くてデカイのが好きなんだろ?」
デッカードは床を後ずさる。
バッティ
「さあ、死ぬ時間だ」
デッカードが銃を投げつけるが当たらない。
バッティが頭をのけぞらせて笑う。突然、彼が止まる。彼の目が壁を見上げる。
バッティ
「おっと!」
バッティは手を伸ばし、何かを掴み、口元を引き締めて、壁からそれをつまみ出す。小さな釘だ。
バッティはデッカードに釘を投げる。デッカードが受け取る。
バッティ
「お前にやるよ」
バッティの顔半分が下品に笑った。
バッティ
「そいつを耳に突っ込んで押し込め。
それで駄目なら、目で試せ」
デッカードは手の中の釘を見る。そして、処刑人を見上げる。
バッティ
「冗談で言ってるんじゃない。俺がこれからやろうとしていることに比べれば、ずっとましだぜ」
バッティはデッカードを見る。この挑発で、犠牲者が行動を起こすことを期待して。
だが、その様子はない。
バッティ
「どうだ?」
デッカードはぱっと立ち上がって、逃げ出した。だが、階段には向かわず、すぐ側のドアに飛び込む。
117. 第2の部屋
挑発が効いた。バッティは笑みを浮かべ、悠々とドアに向かう。
デッカードの恐怖の叫びをとガラスの割れる音に、バッティが一瞬立ち止まり、急いで部屋に入る。
窓枠が外れ、カーテンがはためき、風が入ってくる。
バッティ
「クズめ」
バッティが窓に行く。壁からデッカードが現れ、バッティの背後に近づく。両手でレーザーを握り、バッティの後頭部を狙う。
バッティは窓から身を乗り出そうとするが、下を見る前に、気がついて、振り向き……
デッカードが撃つ。命中した。バッティが床に倒れる。
デッカードは震え始める。頭を反らせて、目を閉じ、ようやく息をつく。
床のバッティの手がデッカードの足首に近づく。
いきなり、デッカードがひっくり返る。
恐怖にこわばった顔で、デッカードは、バッティの体に向けてレーザーを撃ち尽くす。しかし、バッティの手は離れない。
デッカードは悲鳴を上げて、レーザーを落とし、バッティの指をかきむしる。だが、指は固く閉ざされている。
デッカードは、バッティを引き離そうともがく。這ってドアを抜けようとして、つっかえる。
118. 廊下
デッカードは、バッティを引きずりながら、廊下にでる。
彼は倒れ、片足で立とうとしてまた倒れ、這いずりながら階段に向かう。
119. 螺旋階段
デッカードはうめきながら、バッティの体を踊り場の端まで引きずっていく。息を継ぎ、仰向けに寝っ転がり、バッティの肩を足で押し付ける。ちょっとづつ、バッティの体が踊り場の端までずれていく。
唐突にバッティの体が落ちる。しかし、その手は離れず、その体重がデッカードを引っ張る。デッカードが引きずられ、手すりにつかまる。
地上から90メートルのところで、デッカードは宙づりになる。彼の指に、彼自身とバッティの、180キロ近い体重がかかる。
デッカードは自由な方の足で、バッティの指を蹴るが、うまく行かない。デッカードの指が滑り始める。
苦悶の表情を浮かべ、デッカードは、バッティの親指を引っかけようとする。ありったけの力を右足に込めて、バッティを押す。
ようやく親指が緩み、バッティが落ちる。
バッティの体が地上に激突する音がするが、デッカードに気づく余裕はない。
デッカードの体勢も危険な状態だ。彼は右手を離し、左手と交差させ、左を向き、体を半回転させる。
最後の悪あがきでもするように、デッカードは、体を持ち上げ、踊り場の端に足をかけ、体を揺らして、踊り場の硬い鉄の上に這い上がる。
その場に横たわる。体が断続的に引きつり、震える手を握ったり開いたりする。ほてった頬に当たる金属の床が冷たい。
めまいと息切れでよれよれになりながら、デッカードは足を前に踏み出し、階段を下りる。
120. ビルの外 夜明け
ゆっくりとドアを押し開け、デッカードがでてくる。日は昇りきっていないが、空は白み始めている。夜明けの灰色の空は快適とは言えなかったが、デッカードの気分はいい。
しばらくの間、頭をそらし、息を吸い込み、疲れきった足取りで歩き出す。
デッカードは車に乗り込み、シートにへたり込む。
121. デッカードのベッドルーム 夜明け
デッカードが薄暗い隅の椅子に座り、窓からの灰色の光を見る。聞こえるのはベッドからの静かな寝息だけ。
静かに彼は立ち上がり、ベッドに行く。レイチェルが眠っている。繊細な腕がシーツの外に出ている。
デッカードはそこに立ち、レイチェルを見下ろす。
時が過ぎ、彼は、優しくベッドの端に腰掛ける。
レイチェルが目を開け、彼を見上げて微笑む。
122. 田園地方(モンタージュ) 日中
デッカードの車が、細い高速道に浮いている。デッカードとレイチェルがフロントシートに座っている。二人の顔は、静かだ。時折日差しがよぎるのを別にすれば、二人の顔は、夢の中の温度のない光の中に浮かんでいるようだ。
雲が柔らかくすぎていく。
デッカード(VO)
「彼女は、俺の知っている場所に行きたがった。
街の外。彼女が見ていた写真のような。
人工物に侵されていない森の中」
通り過ぎる森を見るレイチェルの顔。
デッカード(VO)
「俺たちは、すばらしいひとときを過ごした。
彼女が他愛のない話をし、俺は彼女に歌を教えた。
猿と象の歌だ。
俺たちは歌えなくなるほど大笑いした」
123. 森(モンタージュ) 日中
デッカードとレイチェルが歩いている。雪が積もっている。
カエデとブナの並木道を下っていく。枝の間から、冷たい光が射す。
足下には、青白い雪が所々溶けていて、茶色い地面がツギのように露出している。
レイチェルが立ち止まり、デッカードを見る。彼女の口から漏れる息が白い。彼女は、はかなげに雪の上に立ち、デッカードを見つめている。
彼女の目には固い決意が浮かんでいる。
124. 森 日中
デッカードが雪の上を歩いている。一人だ。
彼は、冷気の中、ゆっくりと機械的に歩いている。その顔はうつろだ。青ざめたほおを涙が伝う意外には、何の感情も表していない。
固い雪を踏む音の他に、何も聞こえない。
デッカードが雪景色の中に消える。
125. 高速道路 夜
デッカードの車が、金属の動物のように震え、走る。ヘッドライトが闇の中の平坦な道を照らす。空気がうなり、タイヤが軋む。
沈黙。
それから、銃声。
126. 車 夜
ハンドルの後ろのデッカード。影の中の顔。目はまっすぐ前を見ている。
デッカード(VO)
「俺は何度も自分に言い聞かせた。
俺がやらなくても、奴らがやる。
俺は街には戻らない。あの街には。
もう、仕事に戻る気にはなれない。
生きていることのよさは、選択できることだ、と彼女は言った。
そして、彼女は選んだ。そして、俺もそれに従った。
彼女は行っちまったが、これで、奴らは彼女には触れられない。
タイレルに関して言えば、彼は殺されたが、しかし死んではいない。長い間、彼を殺したいと思っていた。
だが、それでどうなる?
タイレルはいくらでもいるが、レイチェルは一人だ。
多分、現実と非現実の間には、境界なんてないんだ。
秘密を見つけることはできない。
だが、俺は、彼女と過ごすことで、そこに近づいた。
彼女は長いこと、俺と一緒にいた。
俺たちは、お互いの現実を作り上げたんだ」
デッカードの車のライトが闇に消える。
おわり
translated by azinori
(2008.5.18)