注! 現在作業中ですが、自分にハッパをかけるという意味でw、中途半端な状態のまま一部公開します。
訳自体はとりあえず最後までたどり着いて、残すところ、推敲とhtml化、あと、「ワカンネ、メンドクセ」と後回しにした部分(←中盤に結構ある)を残すのみとなっています。
まあ多分GW明けぐらいまでには何とかなると思われますので、乞うご期待。

 ここに掲載するのは、『ブレードランナー』の、ハンプトン・ファンチャー単独名義による1980年7月24日付の脚本を日本語訳したものです。
 原文はここら辺にあります。
 しかるべき筋に話を通したりはしていないので、問題になるようであれば、速やかに削除します。

 私の英語力(と日本語力)では手に負えない部分も多く、セリフ部分に関してはがんばってますが、ト書き部分に関しては、状況設定が理解できればおけ、という方針で、ダイジェスト気味に訳したり、テキトーに端折ったり誤摩化したりしている部分があります。ご了承ください。
 また、キャラクターの口調や用語など、字幕とは異なった独自の表現をしている部分もあります。この点もご了承ください。

 ぶっちゃけ、製作途上の脚本であり、完成品と比べるとやや見劣りするかな、という面もありますが、DVDのコメントや関連書籍で言及されている場面もあるし、スケジュール的に考えると、このバージョン(もしくはこの前後のバージョン)の脚本を元に製作準備が行われているはずで(DVD収録のレイチェルのオーディションでのセリフもこの脚本にある)、ファンにとっては興味深い点が多々あります。
 ま、ブレランは好きだけど英語は嫌い、という方には楽しんでいただけるかと。


 以下能書き。

 後に『ブレードランナー』のエグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされることになるブライアン・ケリーとハンプトン・ファンチャーが、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の映画化権を手に入れたのは1977年。
 何やかやで、脚本も手がけることになったファンチャーが脚本の第一稿を完成させたのは1978年の終わり頃である。当初の脚本は、低予算を想定した室内劇に近いものだったらしい。
 ファンチャーが脚本の改稿を続ける一方、この企画に加わったプロデューサーのマイケル・ディーリーが監督とスポンサー探しに奔走する。
 1980年2月、当時、『デンジャラス・デイズ』というタイトルになっていたこの企画の監督にリドリー・スコットが就任。4月には制作会社が決定する。
 ファンチャーは、スコットの意向に合わせて脚本の改稿を続ける。『ブレードランナー』というタイトルも、この頃考えられた。(ここに掲載した脚本はこの時期のものである)
 ファンチャーは、スコットのアイディアを脚本に取り込んでいくが、スコットの要求のいくつかには強硬に抵抗したらしい。
 最終的にスコットはファンチャー脚本に満足せず、11月になって、デイヴィッド・ピープルス(後にクリント・イーストウッドが監督・主演した『許されざる者』の脚本を手がける)に脚本のリライトを依頼する。
 ビープルスの手がけた(ファンチャー/ピープルス共同名義の)第一稿は12月15日付け。撮影用脚本として使用されたのは、'81年2月23日付けのものである。
 本編の撮影は、1981年3月9日に開始された。

 ちなみに、ファンチャー脚本を切った監督のリドリー・スコットは、後に、「最近『ブレードランナー』をご覧になりましたか?」という質問に答えてこう語っている。
 1995年の中頃、BBCで放送されて、(略)とにかく、いわゆる最終版を見た。
 しかし結局、印象に残ったことは、『ブレードランナー』はハンプトン・ファンチャーの映画だなあということ。ハンプトンの脚本なんだから、彼の功績は評価すべきだと思う。ハンプトンの賛成を得て、デイヴィッド・ピープルスもいい仕事をした。あのふたり、息がぴったりだったな。でも本当、あれはファンチャーの映画だね。
(『メイキング・オブ・ブレードランナー ファイナル・カット』 p.538 より)
 ということで、ファンチャーの『ブレードランナー』をどぞ。

その1(レオン〜デッカード登場〜レオンのアパート〜プリスとセバスチャン)
その2(タイレル社〜デッカードの身体(?)検査〜レイチェルの訪問)
その3(ゾーラの捜査〜 vs. ゾーラ〜 vs. レオン)
その4(ホールデンのお見舞い〜バッティとセバスチャン〜バッティとタイレル)
その5(vs. プリス〜 vs. バッティ〜逃避行)