第三回『もし奴らが朝、あなたを連れていったら、夜には私たちを連れにやってくる』

 

準決で勝ち上がったのはやはりヒクソンだった。奴は高田、船木、マーク・ケアーを倒し、得意の絶頂であった。だがその後、殆どイグジビジョン感覚で青柳館長戦に臨み、左正拳突き一発で昏倒し、腕ひしぎで何とギブアップしてしまった。これで一挙に評判を落としたヒクソンは、地下プロレスの世界に活路を見出した訳だ。

「あいつが勝ったら、この世界は奴らの思うがままです」滝澤が珍しく声を荒げて言った。

「ああ、勝ち負けも、オッズもあいつらが決めることになる」
「合法だろうが非合法だろうが、八百長は嫌なんです。私はここまで墜ちてしまいましたが、やっぱり八百長は嫌なんです」

私は黙って頷いた。入場テーマがなり始めた。“WAY TO VICTORY ”が聞こえてくる。ゆっくりと控え室を出て、リングに向かう。滝澤と増成が続く。会場に入った。桃太郎コールがホール中に響きわたる。桃のマスク越しにもうるさいぐらいの聞こえている。みんな私に賭けているということだ。

コーナーに腰を下ろすと、増成の声がした。

「伸よ。Kが応援に来よったぞ」

ぎょっとして振り向くと、角刈りのおじさんがいた。思わず身構える。

「ミヤケ。トモダチ」

一千度の火炎を浴びせたり、400ミリ対戦車砲を打ち込んだりするのが友達だというのか。

「伸よ、こいつは明日、科学技術庁のH2ロケットで火星探査に行くんじゃ。もう会えないかもしれんのじゃ」

火星出発

本当にそうなら祝着至極だ。

「モウ一緒にタタカエナイ」

だから「一緒にタタカウ」というのは味方として戦うということだろう。

「心配スルナ。向こうのコーナーには核地雷をシカケタ。お前が負けたら爆発サセル」

もの凄い心配ではないか。私はKの方を見ないようにして答えた。

「爆破はやめろ」
「遠慮スルナ」
「遠慮じゃない」

その時、ラウンド開始のゴングが鳴った。これで本当に負けられなくなった。

  

グレイシーの闘い方は全く単純だ。まずタックル。上になったらパンチ、下になったらガードポジションで粘って、隙を見て首か腕を極める。ただ、単純なだけに対応は難しい。私のレベルでは、グラウンドになってしまえば、勝ち目がない。といって、パンチやキックの威力も大したことがないため、何発か当てても、結局はグラウンドに引き込まれてしまうだろう。

ここは晴美のナノテクに頼りたいところだが、もう懲りた。前陀戦の後、死にかけたからだ。あの解毒剤は毒の効果を遅らせるだけだった。自分の皮下でカプセルを破裂させた私は2週間生死の間をさまよった。

とりあえず細かなジャブで様子を見ることにした。勿論腰は引いたままだ。タックルは切る。倒れても上になる。それで時間を稼ぐしかない。ヒクソンの歳なら、そのうちスタミナが切れるだろう。

甘かった。左右とフェイントをかけ、次の右がカウンター気味に当たったので調子に乗ってローキックを出したら、タックルされた。何とかガードポジションをとったが、身動きがとれない。ヒクソンは余裕たっぷりだ。時間無制限だけに、完全に負けパターンにはまった。

意識が遠のき、神山の顔がぼんやりと浮かぶ。

ゼウスの笑い


「伸、楽な仕事だな」
「ああ」
「だが金にならないな」
「ああ」
何とでも言え。お前と組んでりゃ、こんな苦労はしてないんだ。
   
仕方ない。私は目を狙った。この試合に備えてサミングの練習はさんざんやってきた。偶然に見えて、しかし、大きなダメージを与えるやり方を。どんなやり方をしても眼球は鍛えられない。勿論反則だ。しかし勝つためにはこれしかない。

観客もレフリーも何が起こったかは分からなかっただろう。ヒクソンは顔面を押さえて倒れた。私はすかさず起きあがり、2、3発キックを見舞った。彼は激しく審判に抗議するが、偶然のサミングは警告1回になるだけだ。

ヒクソンはすっかり形相が変わっている。マウントをとられたら、死ぬまで殴られるだろう。

セコンドから晴美の声が飛ぶ。

「組織が動き出しました。武装集団が会場を包囲し始めています。ヒクソンが負けるようなら、無差別に攻撃するようです。今、石丸さんがSWATを率いてこちらに向かってます。それまでは私とバイオさんが何とかします。三宅さん。頑張ってください」
「わかった」
 
軽機関銃の発射音や爆発音が聞こえ始めた。こうなったら早く勝負にでるしかない。私は素早く間合いを詰めてから身体を沈め、両手をマットにつきながら、精一杯身体を伸ばし、右足でヒクソンの足を払った。カポエラ。ヒクソンはステップバックしたが、避けきれず、尻餅をつく。カポエラのキックのリーチは非常に長い。グレイシーには想定外なはずだ。私は頭を狙って続けざまにキックを放つ。ヒクソンは4発目をようやくかわし、よろよろ立ち上がる。私はそれを待っていた。

ジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ。馬場さんの必殺技だ。後頭部に激しい衝撃を与える。私はそのまま上体を押さえ込むと見せて足を狙った。フィギュアフォー・レッグロック。しかし、この技の欠点は、作用点がずれると自分も痛いところだ。ヒクソンも痛がっているが、私も痛い。非常に痛い。

こんどはマタギの顔が浮かんでくる。

マタギ沈黙


「山の話にこんなのがある……
。貧しいマタギが狩りをした。獲物はなかった。次の日も狩りをした。また獲物はなかった。マタギは困った。貧すれば窮す。貧即ち窮」
例によって全く意味が分からない。

私は平気を装いつつ、脂汗を垂らしながら締め続けた。ヒクソンも鬼のような形相で必死に耐えている。3分ほどたったろうか。弱々しいタップ。ゴングが鳴る。勝った。大歓声が上がる。増成はマットに駆け込んできて私を担ぎ上げた。滝澤は涙を流しながら拍手している。

押し寄せる観衆をかき分けながら会場をでると、周囲は焼け野原だった。至る所に焼けこげた死体が転がっている。動くものは何もない。石丸もいた。胸に深々と突き刺さっているのはKの腕だ。Kや晴美の姿はどこにもなかった。

 

一ヶ月ほどたっただろうか。私は茶屋町のヒロシで一人で飲んでいた。

もう9時だというのに他の客はいない。マスターもぼんやりとテレビを眺めているだけだ。火星探査の特別番組のようだ。種子島の管制センターが映っている。閃光が走った。H2がゆっくりと傾き始めている。噴射口付近で何度も爆発が起きる。

携帯電話がなった。

「石丸です。種子島で大規模な戦闘が起きています」
「Kか」
「わかりません。例の組織の可能性もあります」
「すぐ行く」
「助かります」

ドアが開き、増成が跳び込んできた。「伸。準備はいいか」
「えらく早耳だな」
「晴美が知らせてくれた。もうヘリをこっちに飛ばしとる」
「じゃあ行くか。マスター、つけといてくれ」
「そのうち取り立てにうかがうわよ」
「楽しみにしてるさ」
「気をつけてね」

外に出た。攻撃用ヘリの爆音が近づいてくる。また忙しくなりそうだ。 

 競輪探偵三宅伸


競輪探偵・了

●胴体 ●目 ●耳 ●口 ●手 ●太腿 ●骨