
十一月の冷たい雨の中、私は茶屋町の駅から「ヒロシ」まで歩くはめになった。 アストロは小松島でワイパーとタイヤをやられ、修理中だ。安物のスニーカーの中には泥水が容赦なく滲みてくる。全く気分走快だ。 石丸はもう来ていた。奥のボックス席にどっかり座ってチューハイを飲んでいる。私はそっちを見ないようにして、カウンターに腰掛けた。 「ドライマティニ」 親父はグラスに氷を入れ、棚のベルモットにちらっと視線を向けてから、タンカレーを手に取り、軽くうなずいてから手元に置いて、グラスを軽くステアした。「氷だけじゃないか」と口に出さず、グラスに手を伸ばす。健康にいいカクテルではある。 「三宅さん。怒ってるんですか」 石丸が肩をもみながら話しかけてくる。いつもながら馴れ馴れしい奴だ。 「いいネタが入ってるんですよ」 「公安のネタは信用できないな」 「かみやまゆーいちろー」 私はグラスの中身を石丸の顔にあびせた。どうせ氷と水だから惜しくない。石丸はハンカチで顔をぬぐいながら悪びれずに言葉を続ける。 「海の向こうから情報が洩れてきましてね」 「なら、何故お前が動かない」 「あっちの警察の協力が得られません」 なるほど、また国際問題がらみか。 「それでどうしろと言うんだ」 「これを見てゆっくりと考えて下さい」 石丸は1枚の顔写真をカウンターに投げ出した。間違いない。あの時ボツアナでちらりと見た日本人だ。 「裏にそいつの住所が書いてます。少なくとも半年前まではそこにいたはずです」 「マティニ、お代わり致しましょうか?」親父がグラスを拭きながら尋ねる。 「ああ、だが今度はジンもベルモットもちゃんといれろ」 親父は一瞬表情を硬くしたが、「承知しました」とつぶやき、素早く作り始めた。 私は写真をゆっくりと裏返した。アルスター。北アイルランドだ。
機内食は大好きだ。特にアエロフロートのファーストクラスは絶品だ。 がっちりした体つきのスチュワーデスがにこやかに問いかける。 「ビーフ・オア・チキン・オア・ターキー?」 凄く豪華な取り合わせだ。イエスとうなずいて親指を突き出す。どういう訳かスチュワーデスは首を捻ってもう一度問いかける。 「ビーフ・オア・チキン・オア・ターキー?」 大満足だ。イエーと叫んでガッツボーズをして見せる。彼女は怪訝な顔つきになり、妙なアクセントで問いかける。
「ビーフ……オア……チキン……オア……ターキー?」 勿論OKだ。「アイライキット」とスマートに答え、にっこり微笑む。 彼女は首を振りながら戻っていった。英語が少し苦手なのかも知れない。
アムステルダムといえば飾り窓の女だ。 勿論、そういうのは私の趣味ではない。しかし、その街の情報を収集するためには、まずそこの女を買うというのが探偵の鉄則である。金髪がどうの、華奢な子がどうの、はっとするような美人がどうのなどといったようなことは、全くどうでもいい話だ。要は探偵の鉄則だ。情報収集だ。 あくまで気は進まないが、重い体にむち打って、少々目についた店に足を踏み出した。 「何してるんですか、三宅さん」 足がもつれてひっくり返りそうになり、「わーっ」と大声で叫んでしまった。近くにいたサラリーマン風の日本人は驚いて運河に飛び込み、交差点にいた警官は発砲した。 「なぜお前がここにいる?」思わず声が荒くなる。 「修学旅行です」 玉野女学院初等科の制服を着て、にっこり微笑んでいるのは、本田晴美である。 「近頃は小学生がヨーロッパにまで来るのか?」 「オプショナルツアーで。お父さんがデルボーを見てこいっていうんです」 増成富夫とデルボーか。シュールにも程がある。この山も一筋縄では行きそうにない。 |
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