小松島競輪場。 S級シリーズ金長たぬき杯を完全優勝し永世金長狸となってからは、正面ゲートをくぐる度に、狸の扮装をした私の銅像に出迎えられる。 いつもの銀輪を買う。1センターに腰を下ろして、新聞を開くと、中から紙切れが落ちた。「かっぱちゃんの予想」とある。 「勝負は9R。借金2億円レーサーの藤原克成。1−5、1−8から、広げても1−6まで。ところで伸、4R終了後、初心者コーナーに来てくれ。MAS」 いよいよ自称MASか。世も末だ。それにかっぱちゃんの予想は松戸だ。ツメが甘い。
旧特観で時間をつぶす。晴美は疲れたのか居眠りをしている。石丸は、「勝負車券」とつぶやいて出て行ったまま帰ってこない。 4Rの発走時間だ。見れば、四国自転車競技会のキャップをかぶり、足を大きく開いてスタートのピストルを構えているのは御大MASではないか。 「何やってるんだ。あいつは」 気づくと机の端に落書きがある。 「伸、木を隠すには森だ。MAS」 手の込んだ仕掛けだが、伝えたいことがわからない。
コーナーは意外に混んでいた。といっても、疲れた親父が大勢ソファに座り込んでいるだけだ。「すだちくん」の着ぐるみも所在なげにうろうろしている。連単の説明パネルをぼんやり眺めていると、すだちくんが小声で話しかけてきた。 「伸。きょろきょろするな。俺だ。黙ってろ。奴らに気づかれる。ついてこい」 すだちくんの後ろを男と子どもがぞろぞろついていったら、そっちの方がよっぽど目立つと思うのだが、仕方ない。 私たちは、正面ゲートをはさんで初心者コーナーの反対側にある、関係者控え室に向かった。これがまた遠かった。 「晴美の親父はどこだ?」 がらんとした控え室には、すだちくんの頭を脱ぎすてた増成と、私たちしかいない。
「それよりノートは」 「はい、ここ。お父さん」 晴美が小走りに増成に駆け寄ってノートを渡した。 「ちょっと驚いたか、伸」 「ごめんね、三宅さん」 私は天井を向いて息を吐き出してから言った。 「ということは、大事なのはこの娘の方か」 「ああ。俺の手元では危なかった」 「この娘の秘密は何だ」 「自転車の世界選手権で、日本人でただひとりケイリンで金メダルを取った人間がいるのを覚えているか」 「ああ、確か本田…………まさか」 「そうだ。それがこの本田晴美だ」 「バカな。あの金メダルはもう十年以上前のことだろう」 「そうだ。晴美は生後半年で、世界選手権の金メダルを取った」 「まさか、晴美は」 「そのまさかだ。この娘は遺伝子操作で生まれてきた生物兵器」 突然、壁が轟音を立てて崩れ、例のヒゲのおじさんが現れた。 「増成、娘を連れて逃げろ!」 私は、グレネードランチャーをフルオートで連射した。とても致命傷は与えられないが、時間稼ぎぐらいにはなる。最後には、手榴弾を2、3発投げつけて、部屋から転がり出た。 「三宅さんそこまでです」 石丸がポケットに手を突っ込み、ポーズをつけて立っている。後ろには、お揃いの戦闘服の連中。 「生物兵器はあってはならないんです。日本には。あの娘の存在は危険すぎる」 「なるほど。お前は公安の外事課か」 「あの娘にも、父親にも、消えてもらいますよ。ついでにあなたもね。あなたは多くを知りすぎた」
後ろのドアが開く音がする。重い足音。ヒゲのおじさんの表情のない目が私を見据える。 「やれ、K」 石丸が芝居がかって伸ばした腕の肘から先が蒸発した。彼は信じがたいという表情で、なくなった腕を見ている。 「やるのは俺の腕じゃない!」 次の瞬間、レーザーは石丸の首を消し去った。
戦闘服の連中が一斉に発砲した。全弾命中。だがKは戦闘服を全員なぎ倒し、丁寧に銃弾を撃ち込んでから、2階席に跳躍し、不敵に笑った。 「全て、急所ははずした」 ほとんど眉間と心臓に命中しているようだったがどうなのだろう。Kの腕から超高温の火炎が吹き出す。残った連中はちりじりに逃げながらも、レーザーや高速弾を使い、果敢に反撃している。見上げれば、戦闘ヘリも数台上空を舞い、ひっきりなしに対地ミサイルを発射している。 「伸。聞こえるか」 爆音の中で、場内放送から増成の声が聞こえる。 「競輪場は乗っ取った。奴らが権力でくるなら、俺たちは競輪で勝負だ。バンクを見てくれ」 敢闘門が開き、スモークの中、選手が入場してくる。 「1番車神奈川、高原永伍」 「2番車群馬、白鳥伸雄」 「3番車福岡、中野浩一」 「4番車佐賀、井上茂徳」 「5番車千葉、滝澤正光」 「6番車栃木、神山雄一郎」 「7番車福岡、吉岡稔真」 「8番車ドイツ、フィードラー」 手元の銀輪では、フィードラーのコメントは「三宅君の前から自在に」とある。どういう意味だ。 爆薬の炸裂する中で、悲鳴のような大歓声が沸き上がる。 「9番車岡山、三宅伸」 そういうことか。私は、コートを脱ぎ捨て、バンクに降り立った。 発走台にはプラチナ・シルバーのプレストがセッティングしてある。ピストレーサーに乗るなどいったい何年振りだろう。「構えて!」の声でサドルを握る。背中がきしむ。爆音と閃光の中、号砲が鳴る。 並び←658 12 734 9。そうだ、いつだって私は一人だった。
指定席付近では晴美が反重力擲弾筒で押し寄せる警官隊を吹き飛ばしている。ヒゲのおじさんは、地対空ミサイルを連射し、次々とヘリを打ち落としている。周回する私たちに、まるで花吹雪のように火の粉が散る。 赤板から高原さんが先行する。吉岡は「中野さんのために駆ける」という割には出渋っている。神山は吉岡の出方を見ている。 打鐘。 私はまた9番手だ。間に合わない! 最終ホームで滝澤さんとフィードラーが動く。私も思いっきり踏み込んだ。 最終コーナーの客席で手榴弾が破裂した。 爆風で全員バンクに投げ出される。 しかし、レースは続いている。浮浪者のような老人が何百人も、涙を流しながら私たちにむかって声援を送ってくる。 中野さんはよろよろと立ち上がって、自転車を担ぎ上げた。 高原さんは車輪のとれてしまったレーサーでなおも先行しようともがく。 吉岡は万歳でもするように自転車を持ち上げ、ライオンのようなうなり声を上げて駆けていった。 私も自転車を担ぎ、大急ぎで駆け出した。滝澤さんも、井上さんも懸命に追い込んでくる。
玉野競輪場のドームを揺るがす大歓声の中、ゴールが迫ってきた。 |
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