「何ぼーっとしてるんですか」 晴美がディスプレイに顔を向けたまま言った。10年前からここにいるような落ち着きぶりだ。 「何でもない。ノートの件、何かわかったか」 「全国の競輪場の過去5年間の出目と対照しました。ついでに三宅さんの出走全レースの人気と着順とも」 「余計なことはしなくてもいい。結果は」 「全く関連がありません」 「まあそうだろうな」 競輪の出目ごときで「倉敷」が大騒ぎするわけがない。 「日本語の暗号という条件で分析しますか?」 「ああ、無駄だとは思うがな」 電話が鳴る。 「はい玉野競輪場お客様サービスコーナーです」 「冗談はよせ。俺だ」 増成だ。晴美に目を向けると、もう逆探知に入っている。 「生きてたのか」 「どうにかな」 「晴美の親父はどうした」 「大事にしてるさ。俺にはもうこの札しかない」 「取引の潮時だな」 「いや。今は無理だ。こっちは5人殺られて、やっと逃げ切った。今度はそっちに向かったようだ。情報が洩れてる。やばいぞ」 「何なんだ、その相手は?」 「コードネームは bio-ash K らしい」 「バイオアッシュK? ロボット刑事の親戚か?」 「それならまだマシだ。──ありゃバケモノだ」 けたたましく警報が鳴り出した。 「バンク内に侵入者です」 正面の100インチに男の姿が映る。 スポーツ刈りのがっちりした男。口ひげ。ガラス玉のような目。小刻みに首を振りながら、バック線のあたりに直径30センチほどの穴を開け、何やら仕掛けている。 「おいでなすったようだ」 「せいぜい頑張れ。生きてたら逆探知先に連絡してくれ」 「そっちもな」 突き上げるような振動が起こった。 「何をやられた」 「隔壁を突破されました。バンクの表面温度は3千度に達しています」 「核か?」 「リチウム原子弾と見られます」 玉野競輪場もtobatsu-city並になったわけだ。 「それで、その化け物はどうしてる?」 「まもなく施設内に侵入します」 「一応、防護システムを作動させとこう。で、逃げよう」
神経ガスも45ミリ鉄甲弾も高圧電流も全く効果がなかった。通路にまき散らした知恵の輪は、丁寧に全て引きちぎられた(これで10分は稼いだ)。 奴との間にはもう、1枚の強化綱扉しかない(普通はこれで十分なはずだが)。退避にはあと2分ほど稼ぐ必要がある。 私は、暴れる晴美をシューターに放り込み、ドアに向きなおった。 轟音とともにドアが破られる。 「ようこそ玉野競輪場へ」 ゆっくりと奴が姿を現した。 「あなたにはビッグチャレンジのチャンスが3回与えられます」 Kは少し首をひねって、しばらく静止した。これで30秒稼いだ。 「わからない。ノートを・出せ」 「それは三宅に聞いてくれ」 Kはまた首をひねって静止した。表情のない目が不気味だ。しかし、これでまた30秒稼いだ。 「おまえが・三宅だ。ノートを・出せ」 「私は、もう昔の三宅じゃない。変わってしまったというなら、甘んじてそれを受けよう。しかし、仕方がなかったんだ。わかってくれ」 今度は静止時間は短かった。いきなり奴の右腕が伸び、猛烈な炎が吹きつけられた。私は一瞬早く横に転がり、そのままシュートに飛び込んだ。シャトルの発進準備は辛うじて間に合った。
玉野市街が遥か下に見える。シャトルはまもなく成層圏に達するはずだ。 「衛星軌道上から核攻撃しましょう」 近頃の小学生は恐ろしいことを言う。 「おもちゃはおもちゃ箱にしまっとけ。探偵には探偵のやり方がある」 だが、どんなやり方があるというのか。私は青く遠ざかる玉野市をぼんやりと眺めていた。(続く)
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