|
日刊三宅伸であえて児玉を考えることもないんだけど、なんか気になってちょっと考えてみた。児玉のことなんでバックは黒にした(かすこさんのマネだ)。 まず、最初に書いておきますが、児玉って強いと思います。いくらイヤでも児玉は強い。ただその強さとは、世間では「人より劣る体格を頭脳でカバー」みたいに言われてるけど、私は「人から抜きんでた運動能力」なんではないかと思ってます。死ぬほどの猛練習に耐える、ということも含めて、天才型競輪選手なんではないか。彼の足をひっぱるものは、彼のアタマなのではないか(同じ意見の人に会ったことがありませんが)。 さて、児玉の何が気にさわるかというと、発言だ。それにつきる。黙ってりゃいいものを、なんでいらんことをああペラペラと言うかね。児玉に限らず、その分野である程度の力のある人間は、そういうふうになることがある。しょうもないこと言っても回りが持ち上げるから本人もカンチガイする(同種例=中央競馬の調教師の藤澤和雄、文学の町田康、音楽の宮本浩次)。 児玉は「オレは人とちがう」と思っている。そりゃ特別も獲ってるしGPも連続出場だし、他の選手とはちがうけどさ、その「ちがう」は「ただのちがう」とはちがうのだ。「選手として能力がちがう」んじゃなくて「競輪選手とは関係ないところが他の選手とはちがう。そのちがいのすごさが、競輪の能力まで高めている」と思ってるのだ。 「オレの練習はすごい」んじゃなくて「練習に没頭している時のオレって、その没頭の仕方がすごい」なのである。レース前のコメントも常に「そのへんの選手に考えつかないことを言うオレ」「あえて●●なことを言うオレ」「ちょっとアブナイことも言っちゃうオレ」を意識したものになっている。確かに言葉も知ってるし一見理路整然とした珍しい意見を開陳できるから格好はつくが、よく聞けば非常にありきたりだし、意見はコロコロ変わってるし、アサハカである。「オレの魂は云々」という記憶に新しい迷言にしても、いかにも人が食いつきそうなことを言っている。ぜったい「コレはいける」と瞬時に判断して言ったと思うね。 計算でもなんでも、オーディエンスをシビレさせてくれりゃ文句はないのだが、そのうすっぺら加減が「あっちの世界にアコガレてる少年」みたいではダメだろう。そこらへんがたいへんイヤ。さらにそれを持ち上げる世界がもっとイヤ。あっちの世界にいるやつが計算はせんぞ。あっちの世界に行ってる選手なんて私は◯◯選手ぐらいしか思い当たらんが(差し障りあるんで伏せました)。わかりやすいところでいえば売二。吉岡の没頭の仕方もそうだ。 天才と狂気は紙一重みたいな、ガラスの仮面の北島マヤみたいな、ふだんはさえない少女が、いったん演技を始めると別人に……みたいなのを理想としてるのかもしれないが、児玉はぜったいに姫川亜弓のほうのタイプだ。亜弓さんとしてなら私は児玉を尊敬できるんだけどなあ(私になんか尊敬していらんと言われるか)。 ……と、ここまでは実は前置きで、児玉のことを人としゃべってたら、児玉の狂気の世界はホンモノでその狂気は彼の競輪以外の生活まで浸食している、という意見が出た。「ええっ」と驚いたけど、そのへん、どうなんでしょうか。いや別に病気とかそういうんじゃなくて、児玉は天然か計算か、ということなんですけどね。しかしどーして児玉のことをこんなに考えてるんだ私は。
|
|
|