いろんな方のご協力で、弥彦記念後節の日刊スポーツ新潟版が入手できました。室井コメント拒否のキッカケになったというコラムはこれだ。
『小嶋優位も室井の動きがカギ』
いちおう、この前後にも文章はあるが、室井がらみの文章はこの部分。筆者鈴木保巳。輪界の黄門様である。文面からわかる通り、初日の記事ですね。 いかがでしょうかこれ。一読して思うことは、 「コメント拒否の挙に出るほどの内容だろうか?」 もっとすごいこと書いてるかと思った。おおかみ少年にしたって、「おおかみ少年にはなりたくないだろうから」ってことは、室井がここではキッパリ競る=根性入ったマーク屋であると認定してるわけだろうし。 と、読み返していて、この文章が室井の激怒中枢を突っついたキモは、おおかみ少年呼ばわりじゃなくて、その前段、「室井は顔見せまで神山と競っていたのにいざとなったら何もせず」のほうにあるんじゃないか。 「じゃあ、先行しそうにもない太田の後ろで競れっていうのかよ!」 室井があのコワイ顔で不機嫌になるサマが見えるようではないか。……って、わたしゃ室井じゃないんでわかりませんけど。でも太田が先行しそうもないってのは、地乗りの時にわからなかったのであろうか。でも、まあ、実際のレースになってみなきゃわからんことはあるだろう。 コメントと並びが違うこととか、地乗りとレースで並びが違うこととか、競輪とはそういう「連係のはかなさ=人情のはかなさ」の上に成り立ったチームプレーだと思ってる私は楽しんで見ちゃうもんで、そのあたりで怒る気にはなれんです。 何年か前の富山のふるダビで、小嶋と濱口が最後まで並べないで濱口が逃げるハメになり、レース後、バンクに富山のますのすしが大量に投げ込まれた時も、自分は小嶋=濱口の車券しか持ってないのにすごく楽しんじゃったもんなー。「小嶋が来ないかうしろばっか振り向いてる濱口の顔が印象的!」とかいって。前橋の決勝も現場で見てましたが、室井のことなんかなんとも思わんかったし。
で、問題はコメント拒否問題、なのである。これには「競輪においてコメント拒否していいのか悪いのか」と「抗議の方法にコメント拒否という方法をとってもいいのか悪いのか」の二つの問題があって、前者については「別にかまわんと私は思う」ので、ここでは後者のほうを問題にしたい。 新聞との信頼関係が薄くなってんじゃないか、と前に書いた。現場を知らないんで、現場を知ってる人の話を聞いてみたい、と思っていたら、まさに現場渦中の人からなんともすごい話を聞いてしまいました。 三宅伸選手であります。 「最近、成績は悪いけど、調子はいい」 と答えたそうである。そして翌朝。「おい、お前いったい何を言うとるんじゃ」と言われて新聞を見るとそこには、 「最近、調子は悪いが調子は良い」 と出ていたのである! わはははははは。 と笑ってはイケナイのだが、こりゃー笑い者だよ。これ、宝島の『VOW』にもネタとして投稿されたりしちゃってんですよ(その現物を探したんだが今日は見つからなかった。探索中。いったいどういう短評がついたんだか〜)(見つかったので以下に掲げます。牛窓ホヤさん感謝)。
あ〜あ、すっかりおちょくられている。「言ってもないことを書かれて、それをネタにさらにバカにされた」というこの図式、伸ちゃんが「今後いっさい口はきかん」となっても仕方ない状況である。あ、私ですか? 私はこれ見た時は解釈に苦しみ、「やっぱ三宅伸、禅問答みたいな発言、さすが。人間性の大きさがよくあらわれてる」とかいってムリヤリ納得してたりしたんだ。 「いったいそれ書いた記者とか、自分で書いて、ヘンだと思わんのじゃろか」 と語る三宅伸さん(31)であるが、伸ちゃんによれば「こんなことは多いわ」だそうで、だから「最近は自力主体、としか言わんようになった」そうである。確かに。自力主体、ばっかり見ているような気がする。それから、 「ワシ、コメントは標準語で言うのに、勝手に“ナントカじゃのう”とか書かれるのもイヤ!」 というご不満もあるそうで、私としてはつい岡山弁にして書いてしまう記者の気持ちもちょっとはわかったりもするけど。 むろん、ちゃんと「いい記者もおるよ」とおっしゃり、コメントは聞かれれば答える伸ちゃんであるが、「自力主体、とかしか言わなくなった伸ちゃん」というものが出来てしまったというのは、ファンとしてはつまらなすぎる。調子は悪いが調子はいい、ってアンタ……誤植じゃないんだから。面白かったけど。 以上のような状況があって、選手間に火薬が着々と用意され、ハラにすえかねた室井がそれについに火を投じたってことなのか? 私が室井だったらどうするか、考えてみた。まず自分で日刊スポーツに電話して、担当者を出してもらって真意をただす。あるいは文句を言う。サシでケンカする。まずはそれだろうなあ。ケンカなんて苦手だけど、そうするしかないよなあ。 話し合いに応じてもらえない、あるいは話し合いが決裂したら、次の段階として文書による抗議か。ふつうはそこに行くまでに解決するものである。 それでもラチあかなかったら、マスコミに訴える。言い分をガンガン申し述べる……ってのは現実味に欠ける意見である。その顛末が報道されるようなメディアが、競輪には(ほとんど)ないというのがツライ。競輪メディア、ほんとにもうちょっとどうにかしてほしいんだが。競艇……はマクールあるからいいとして、オートのファンなんか「どうにかしてくれ」って思ってんのかなー。 やっぱり、室井竜二さんご本人の話が聞きたいなあ。桃太郎杯で出待ち直撃……は……。
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事実関係でちょっと違うところがある、という指摘を、記者の方(日刊スポーツではない)から受けたので、まず、それを書いておきます。 まず、ウソツキ云々の記事は、前橋決勝の翌日の日刊ではなくて、 「弥彦記念に室井が出走していたときの日刊です」 なので、弥彦の時はコメントもちゃんと出ていた。前橋決勝翌日に問題の記事が出て、怒ってしまったのだとすると、弥彦の時はなんだったんだ、大きなレースの時を狙ってコメント拒否したのか、ということになるので、これは納得できる話である。
「負け犬ってのも初耳です。正しくは“オオカミ少年”です」 「室井は先行の番手と言ったのではなく、“太田の番手”と言ったはずです」 「(室井は)先行の番手と言ったのに太田の番手で競ると書かれた(から怒っている)、とは言ってないです」
こういうことは正確を期したほうがいいので、市内の図書館に7月アタマからの日刊スポーツが保存してあると聞いてそれを閲覧にいってみた。 まず寛仁親王牌決勝の室井のコメント全文。 「前検日は調子悪かったが前々で闘ったのがいい結果につながった。単騎なら神山さんだが、関東連係なので先行の番手を狙う」 そして、問題の弥彦記念中の記事。これが、前検日から決勝翌日まで記事をくまなく見てみたんだけど、とにかく記事自体が小さくて、コメントと予想以外のコラムっぽい記事なんて皆無なんですよ。……東京版だからか。いわゆる「四国瀬戸内レースワイド」みたいなものが、新潟版にはあって、そこにはそれが載っていたのだろうか。 というわけで、「室井、オオカミ少年呼ばわり」の記事は見つけることができなかったのである。念のために前橋決勝翌日の新聞も調べてみようと思ったら、なぜかその日の新聞だけ図書館になかったんだけど……別に関係ないですよね。たぶん新潟版に載ったんだろう。もし現物をお持ちの方は教えていただけるとありがたいです。もし載ってなかったとしたら、なんだったんだ、ってことになる。 で、メールをくれた記者の方は、以下のように書いてくれた。 「(室井は)たまたま展開で番手に行けなかった。じゃあ自力選手は先行する、と言ってまくりに回ったらウソツキなのか、と言ってました。これは他の選手もよく言ってました。“先行するって新聞に出て、先行できないとファンからウソツキって言われる。でもそのレースで先行できるのは一人だけ。だからこれからは自力としか言いません”って」 室井は、コメントは拒否してもそれ以外はたいへん礼儀正しく行動してたそうで、記者さんは好感すら持ったそうなのである。いわゆる「ゴネ得を狙う」ようなそぶりはまったくなかったということだ。 ということは、「おいおいおい」と言いたくなるような選手もいるということで……記者の立場で言うと、選手にテキトーなコメントされてあとで「そんなこと言ってねえよ」とネジこまれたり、そっちはそっちでいろいろあるんだそうである。表沙汰にならないゴタゴタがいっぱいあるんだそうな。なんかだかなあ。で、今回の室井のは、そういう「ゴテてる」感じではなかった、と。 結局は「記者と選手の信頼感」の問題ってことなんだろう。コトバにはいろんな解釈があるし、行き違いだってある。大事なのは、行き違った時にどう対処するかで、そこでどっちかが偏った行動をしたら、そりゃ相手も硬化する。双方が偏った行動に出たりしたらもうワヤである。どっちかに折れろっていうわけじゃなくて、誠意ある対応をしたうえで、それでも相手がスジの通らないことを言ったりやったりしたら堂々と批判するべきであろう。ありきたりな結論だけど。なお、コメント拒否、という方法についての私の考えは、きのう述べたことと考えは変わってません。 でもやっぱり、今度の件は室井本人にいろいろ話を聞いてみたいよ。何にどう腹をたてて、それでどう考えてあのような行動に至ったのか、ということを。それで、ああいう行動をとって、どんな反響だったか、きちんと聞いてみたい。 |
今回の異変に気づいたのは、全日本選抜競輪の初日。といってもレースぜんぶ終わって帰りの電車でスポーツ新聞を読み返してたら、特選の室井のコメントが「ノーコメント」となっていた。 「おいおい、児玉みたいなことやってるよ」 と笑いながら、もう一紙あったスポーツ新聞を見ると、それも「ノーコメント」。でもべつに「あ〜、そんなこともあるんでしょうね」ぐらいの気持ちですぐに忘れちゃってた。レース後に気づくってことはつまり、新聞見ないで競輪打ってたってことか<私。 その日の晩だったか、競輪関係のHPを見ていたら、どっかに「室井はなんか新聞記者とトラブルがあってノーコメントしてる」と書いてあったのである。「へえ〜」 その時の感想は、「ま、そういうこともあるだろうな」程度のものであった。たいした問題じゃないと。むしろ野次馬なもんで、最後までコメント拒否を貫いてほしい、そしたらどうなるかな〜(わくわく)なんてしてたわけだ。 しかし翌日ぐらいから、いくつかのHPで「室井けしからん」という論調の意見を見ることになる。「今、このような(競輪がひどい不況にさらされているような)時期に、こんなことやってたら競輪が潰れる日も近い」なんてことまで書かれてしまった。伊集院静も「地乗りを見られない電投客が迷惑する」と室井の行動を批判してた。 ま、そういう意見もあるだろう。でもなあ、とここで私は思ってしまったのである。 「室井はじゃあ、いったい何を怒ってんの? トラブルの内容、どっかの新聞に書いてあった? まずそれを聞かせろよ。そっちのほうが興味あるよ〜」 ラジオたんぱの競輪フラッシュでは、そのトラブルの内容にちらっと触れた、というようなことは聞いた。でも競輪フラッシュなんていったい何人が聞いてるのさ。 室井選手が怒っていた理由というのは以下のようなものである。 「寛仁親王牌の決勝で、先行の番手とコメントしたところ、先行=太田、先行の番手=神山と競る、ということにされてしまった。決勝は太田が先行しない体勢だったので当然、神山と競るようなことにはならなかった。それを翌日の日刊スポーツに、ウソツキとか負け犬とか書かれた」 そんな、あまりに理不尽な仕打ちに、ハラにすえかねて、その記事書いた記者に謝ってもらわなかったらコメントは拒否する、ということであったらしい。 以上の話は「室井ばっかり悪者になってるのは納得いかないので、以上のような理由をせめてネットの上でも書いてほしい」という現役選手からの投書によるものであります。 名古屋では「室井、ようやった。お前の気持ち、ようわかるで!」という空気が選手の間には流れていたそうで、つまりそれだけ「記者にはそういうたぐいのメにあってる」ってことらしい(むろん、「あれはいかんね」と言ったという児玉みたいな考え方の選手だっていただろうが。しかし児玉はいつでもものすごい児玉っぷりを発揮してくれる。児玉のプロだ)。 コメントをテキトーに解釈されて、勝手に翻訳されて新聞に載せられるとか、あと「失礼なこと言われる」ってのもあるそうだ。もちろん信頼できる記者もちゃんといるらしいが(いなきゃ困るが)、「室井の気持ち、わかるで!」という選手がいっぱいいるという状況は、これは相当にマズイではないか。 知ってる競輪記者の人に聞いたら室井はふだんたいへん礼儀正しい人だそうで(顔からは想像つかないが……それは余計か)、そんな室井がこのような挙に出たというのは、相当にせっぱつまってたんではなかろうか。「今度という今度はもうガマンならねえ!」。 ここまでは、選手の側に立ってみた意見である。 これを客側から見れば「職場放棄。コメントないと並びわかんねえから困るんだよ!」という人が出てくる。競輪関係ホームページで怒ってる人は主にこの理由による。 でもねえ。職場放棄、ってのは、ズボラ競輪客の私の意見を言わせてもらうと「室井一人のコメントがなくても打てるだろう〜。それにはっきり位置を言わない、というコメントだってあるんだから別にいいよ」だ。(職場放棄っていうなら吉岡だろうとK坊がチャットで言ってて、それは笑っちゃったな) それに新聞で全員のコメントが載ってないことなんかいくらでもあるじゃんか。三宅伸のコメントが割愛されてることがよくあるんだよ。あれ、いちおうコメント言わされて、それでカットだったら哀しかったりするんだろうか。「またワシ、カットじゃ……」とかって。 話がそれましたね。前にも書いたことだけど、「命の次に大切な金なら博打なんかに賭けるな」というのが当方のスタンスですんで、コメントないぐらいで打てない、というほうが私には理解できん。それぐらい楽しめんでどうする。今回のことなんてのは職場放棄のうちにゃ入りません。私にとっての「競輪選手の職場放棄」は、しょうもないレースをするとか最後の直線でバック踏むとか、そういうモノです。それに、なんだかんだいってもみんな室井のレース、打ったでしょ。コメントなくたって。
次は、ちょっとひっかかる問題である。 今回のことを報道の側から見ると「コメントを人質に取られた」ということになる。 悪意の解釈をすれば「お前ら、コメントないと困るだろう。これからオレたちのコメント欲しかったらとにかくオレたちに都合のいいことばっかり書け、と選手が要求している」ととることだってできるわけだ。その方面から室井の批判をしているHPもあった。それを書いた人は競馬ライターで、競馬の世界にはとんでもない高飛車な常識の通用しない騎手が、御用マスコミを配下に置いてやりたい放題やってるのを私も知らんではないから、そのライターがそっち方面に気を回したのもわからんではない。 でも今回は……違うでしょ。だって室井だもん。これで既得権益を手中に収めようなんて計算してるとは思えんもん(かえって失礼な言い草か?)。怒り心頭に発して、そういう方法でしかできなかっただけだと思うよ。 それでも、やっぱり、コメント拒否、という方法はやめといてほしかった。こちらに理があればあるほど。正しい主張してるのに「コメントを人質に取る」なんてそこだけ突っつかれたらシャクではないか。そんな、つけこまれるようなことをしては、もったいない。 じゃあ、どうしたらよかったのか。 間違ったことを書かれたら、その記者に抗議する権利はある。謝罪を要求することはできる。室井が件の記者に直談判というのが穏当な解決方法なんだろう。でもそれじゃ、仮に謝罪をさせたとしても、室井竜二個人の問題として終わってしまったろうしなあ。今回のことが、ニッカンはキッカケであって、「新聞に対する不信感」の表明だったとしたら、そんな解決ではほとんど意味ないしなー。 とにかく競輪にはメディアが少なすぎるのが致命的。選手が何か表明しようとしてもその場所がない。そもそも今回のことも、新聞は2日目まで「コメント拒否」で、3日目からはまったくなんの注釈もなくコメントが載るようになって、「??どうなってんだ?」。何か説明あったか? まあ、最初っから説明無しだから、ノーコメントの意味すら知らない人もけっこういただろう。 いちばんの疑問はさ、室井が異議を唱えた記事について、日刊スポーツと当該記事の記者は何か意見を表明したのだろうか。競馬でも、たまに新聞と騎手の対決、というのがあって、そういう時は双方の言い分が、紙面や、紙面じゃなかったらどっかの雑誌にいっぱい載って、いくら騎手が高飛車だからっていっても新聞に理がないとなればその新聞の読者が減るなんていう事態も起こるわけだ。でも競輪のあのスペースの狭さじゃそんな余地もない。ただ、「室井がなんか知らんけどコメント拒否してるらしい。日刊スポーツに不満があるらしい」がおぼろげにわかるだけだ。事実の検証のしようがない。 結局、どうしたらいいのかよくわからんような話になってしまいましたが、「特別競輪の冠レースで選手がコメントを拒否した」という事実は残ったわけである。これを、ただのアクシデントですまさないでほしいわけです。これによって、新聞は選手のコメントを粗雑ではなく大切に扱ってほしいし、選手のほうも「競輪が楽しくなるようなコメント」を積極的に発してほしいものである。で、なんかあったらきちんと批判をしあうことができる場としてのメディアができてほしい……がこれは望み薄か(泪)。
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