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ここのページを見て、たまにメールもらうんです。その中で興味深いのが、選手の行状についてのタレコミメールである。おい●●! あんたマジメそうな顔してそーとーなことやってるそやないか、……って、やってるとこ見たわけじゃないからホントかウソかわかんないんですが。でも、ウソだとしてもあまりにもよく出来た話だと、「ウソでもいい! その話を私の心の中だけでも信じさせて!」って気にさせられる。よく出来た話ってのは、ある意味で、その人物に対する批評になりうるほどのものなのである。 四国で活躍するラジオパーソナリティーに聞いたネタで、輪界のスーパースター▲▲がタレントの◆◆とつきあってた(過去形)、というものがある(伏せ字にする必要もないか。でも、ま、お会いした時にでも直接)。ラジオパーソナリティー氏の同僚女性が◆◆の友達の友達で、そこから流れて来た話なんだそうだが、この世界(に限らぬが)、“友達の友達が言ってた話”ぐらいアテにならぬものはなく、この話もたいへん眉唾モノである。 しかし▲▲が◆◆に電話して「オレがなんのために走っとるか知っとると?! お前のために走っとるたい!!」と言った、という話がくっついた瞬間、「ウソでもいい。私は信じる!」と叫んでしまった。だって言いそうなんだもんそういうコト。◆◆相手に。ホントかウソか知らないが、ウソでもいい、わたしゃこの話、心の中で信じることにした。 それに対して、ある地区で局地的に人気のあった(過去形)■■という選手がセクシータレントの▼▼にフラレた、などという話はあまりにもつまらんね。いや、このつまらなさが現実ってもんかもしらんけど。でも私は「ホントかもしれないが、信じない」。これって、■■のファンが「イヤ! ■■クンはそんなことしない!」って言ってるみたいだな。そういうんじゃないんです。カップリングおよび物語の完成度の高さを問題にしてるんです。選手のスキキライには関係ない。 ……なんてことを言ってる私は、カンペキに競輪選手を「物語の中のヒト。ステージの上のヒト」だと思ってるってことだな。選手というものに対する時にいつまでも棒呑んだような、背中がつっぱらかったような気分になるのは、好き勝手なこと言ってても選手をエライと思ってるからである。そんなアガッてつっぱらかって「ふぁふぁふぁファンです」なんてやってたら選手も引くよな。ちがうか、いくらリラックスしてたって、私だとダメか。それだけのことか。 |
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