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■2002/05/05 マン・マシーン・システム■
「流星号」ことうちの206は、相変わらず快調だ。この間、ステアリングを握っていたら、突然「マン・マシーン・システム」という言葉がポッと浮かんできた。そして、反射的に頭の中で往年のドイツのロックバンド「クラフトワーク」の作品の一つ、「マン・マシーン」の機械的なリズム音が鳴り響いた。この曲が出てから、もう20数年たった。あの頃、クラフトワークを聴いているなどというと、ロックファンの間でも変わり者扱いをされた。その後、YMO(いも)などというバンドが人気を集めたおかげで、これらひっくるめて「テクノ・ポップ」などという存在感の希薄なジャンルに十把人からげにされてしまったのだった。お粗末。
などという話はおいておいて、マン・マシーン・システムとは、人間と機械とを一つのシステムとして考えることだ。「人間と機械とを一つの目的遂行のための有機的結合を持った構成要素ととらえること」だそうだ。そこでは、人間と機械とが相互に補完しあって、全体としてバランスの良いシステムを構成することが求められる。
206のステアリングを握っていると、いつの間にか機械である206と一体となったような気がしてくることがある。ステアリングは、フロントタイヤを通して路面状況を的確に伝えてくるし、こちらが思ったとおりに車を曲げてくれる。ボディは、ゲンコツをぎゅっと握りしめたような凝縮感がある。お尻からは、リアタイヤの様子がびんびんと伝わってくる。車の四隅まで、状況をストレートに感じとることが出来る。エンジンの反応も機敏だ。アクセルとエンジンがダイレクトにつながっている感じがする。ギア・シフトも、シフト・アップ、シフト・ダウンともに、スパッときまることが多い。ダブルクラッチやヒール・アンド・トウもよくきまる。アルファロメオに乗っていたときより運転がうまくなったような気になってしまう。
この一体感が続くと、自分が肉体の限界を超えて、解放されたような自在感を感じる。206は、マン・マシーン・システムのマシーン側の相方としてよく出来たやつなのではないだろうか。
わしが以前乗っていたゴルフは、しっかり者で、忠実なしもべだった。アルファロメオは、伊達男だ。ただし、油断していると快楽の地獄に突き落とされるような危ないやつだった。そしてプジョーに乗る今、わしは、このからくり仕掛けとの一体感と解放感に浸っている。
■2002/05/22 NO LOGO■
こぞうにつきあって、映画「スパイダーマン」を観てきた。豪華な映像は、観ていて楽しかった。しかし、スパイダーマンが手から糸を発射するのを見て、クモの遺伝子と融合してスパイダーマンになったのに、なぜ、尻から糸をはかないんだろうと気になって仕方がなかった。見終った後で、こぞうにこの疑問をぶつけたら、「ばか」と言われてしまった。ケツから糸を吐いていたんではヒーローになれないそうである。
などということはともかく、その帰りに、206のライオンマークを見ていたら、いつぞや、商品テストで有名な雑誌「暮らしの手帖」に、「NO LOGO」という記事が載っていたのを思い出した。カナダ人の女性ジャーナリストが、「NO LOGO」というタイトルの本を書いたそうで、その概要が紹介されていたのだ。一言で言って、企業がブランドのシンボルとして使っているロゴマークに対してアンチを唱える内容である。様々な国際的な企業のロゴマークと企業の活動実態を取材したようだが、「暮らしの手帖」の記事では、ナイキの例が詳しく紹介されていた。
記事を要約すると・・・
アメリカで、貧しい少年がナイキのシューズ欲しさに別の少年を殺すという事件があった。ナイキは値段が高い。しかし、貧しい家庭の少年でもナイキを欲しがる。すると、母親は、貧しいのに無理してでも子供にナイキを買い与えてしまう。こうした母親を愚かだと非難するのはたやすい。しかし、殺人ざたまで引き起こした一番の原因者は、マイケル・ジョーダンなどのスーパースターを使って、購買欲をあおったナイキではないか。彼女いわく、これがナイキの搾取行為の第一である。
ナイキの第二の搾取は、その生産現場だ。ナイキはブランドメーカーであって、自らは生産工場を持っていない。したがって、最大限の利益をあげるべく、コストの安い工場に生産を依頼する。生産拠点は、安い方へ、安い方へと移動していく。労働者も、労賃の高い男より安い女へ、そして、大人より子供へシフトしていく。ナイキは、貧しい地域の子供を安い労賃でこき使って生産しているのだ。
こうした工場では、ナイキだけでなくほかの様々なメーカーの製品を合わせて一緒くたに作っている。そして、最後にロゴマークをつけて、あるものは「ナイキ」になる。
・・・以上が記事の要約だ。
つまり、ナイキは、貧しい地域の子どもを使って、製品を安く作る。そして、製品に幻想を与えて、高い値段を付け、貧乏人の子どもまでが欲しがるよう購買欲をあおり、金を絞りとる。この二重の搾取の結果、ナイキはぼろ儲けをしていると言うのだ。
確かに、ナイキはイメージ戦略に成功した。あのロゴマークの向こうに、スポーツ界のスーパースターの幻覚が見えるように人々を洗脳した。ナイキの定番スニーカーのかかとには、これ見よがしに、エアクッションが見える。実は、わしも昔ナイキのズックを持っていた。「エアマックス」になる前のただの「エア」というズックで、かかとに風船を入れたのの元祖だった。わしは、その頃、よくロードを走っていたので、かかとに出来るだけ衝撃がなさそうで、かつ反発力があるというそのコンセプトが気に入って買ったのだ。当時は、マイケル・ジョーダンも何もなく、ナイキと言っても特にあこがれの対象ではなかった。値段も数千円だった。それが、ジョーダンに履かせた途端に高級品に化けた。アメリカでは、ナイキの二重の搾取が問題になり、抗議行動が起こったそうだ。
でも、わしは、ナイキにあこがれる少年を笑えない。わしがアルファ・ロメオを買ったときも、往年のレースチャンプとしてのイメージと、ヴィスコンティ家の家紋に心を奪われていたからだ。あの車の値段は、わしにとっては、エンジン代とエンブレム代だったと言ってもいい。アルファ・ロメオには、あの家紋とロゴがクルマの前後、窓ガラス、ドアステップ、ステアリング、オーディオ、シート、エンジン、計器類・・・とあらゆる個所についていて、アルファ・ロメオに乗っていることを否が応でも意識させられた。今乗っている206にしても、ライオンマークが意識的に使われている。
わしの脳みそは、これらのロゴマークや紋章に侵されている。特に、アルファ・ロメオの場合それが顕著だった。あの紋章のないアルファ・ロメオは考えられないし、あれがなかったら、買ったかどうか疑わしい。自分でもしょうもないとは思うが、もはや正気にかえれそうもない。わしには、かろうじてロゴマーク欲しさに人殺しまではしない程度の自制心があったに過ぎないのだ。
■2002/05/23 人間のLOGO■
▼ワールドカップ
いよいよ世界中から「かっぺ」が集う「ワールドかっぺ」の開催だ・・・と言ったら、かみさんに「バカ」と言われた。
などということはともかく、各国代表チームのキャンプ地の中には、予定日になっても代表チームが到着せず、困惑しているところもあるようだ。その村では、村長が記者会見をする騒ぎになっていた。村長が代表チームの管理をしているわけでもないし、興行主でもない。それなのに気の毒なことである。村は、困っているのだ。マスコミは、その様子を見て楽しそうである。村人にマイクを向けてはしゃいでいた。いったい何をしゃべらせたいのだろう。この村には、マスコミが大勢群がっている。ヒマとゼニが余っているのだろう。めでたいことだ。
代表チームのキャンプ地をめぐっては、日本では、自治体が激しい誘致合戦をした。何やらお祭り騒ぎと金もうけの機会と思ったらしい。誘致に当たっては、互いに競い合ってゼニカネ出します合戦を繰り広げた。そして、物欲しげな態度がミエミエだったため、代表チームから足下を見られた。その品のなさと卑屈な態度には、泣けてくる。ただのキャンプ地だ。楽しめれば良し。見返りなど求めてはいけない。
▼人間のLOGO
ロゴマークは、ナイキだけでなく、人間の背中にもついているのかもしれない。職業や勤務先がステータスになったりする。旦那がそうだとかみさんまでその気になったりしている。人生のうちたかだか数年間を過ごした学校が学歴として一生ついて回ったりもする。
学歴と言えば、わしらがガキの頃に比べると、我が子の受験に熱心な親が増えたと思う。近所でも、子供を一流ブランドに入学させようと必死の親が多い。自分がしたこともない努力を自分のガキに押し付けている場合もある。でも、この親たちは、一流大学に入ることがどういう結果をもたらすのか分かっているのだろうか?
学歴ヒエラルキーの頂点に君臨しているのは、単純化して言えば、東大である。東大の中でも法学部は、自他共に認める東大の中の東大だ。そのキング・オブ・キングの卒業生の典型的な行き先は、官僚(国家公務員のキャリア)だ。東大を始めとする旧帝大系は、もともと官僚養成の予備校だ。その官僚の所属先である省庁にもヒエラルキーがあり、財務省が頂点に君臨している(最近は、内閣府という話もある。)。財務省の官僚は、他省を「二流官庁」と呼んではばからない。官僚になった後も、競争から逃れられない彼らは、熾烈な出世競争を繰り広げる。途中で敗れた者は、次々に野に下る。天下りである。最後に残った勝者が事務次官となる。
先日、テレビで個人情報保護法案を始めとするメディア規制三法案と呼ばれるものについて、ゲストを招いて討論をやっていた。法案に反対する側として、大学の先生とマスコミ関係者の二人、法案を提案した側として内閣府の役人(年格好からキャリアと思われる。)が一人来ていた。人数的には2対1なのだが、議論の勢いは、国の役人の方に分があった。この役人は、反対側から何を言われてもへのかっぱなのだ。ああ言えばこう言う。全く動ずることがない。そして、いつの間にか、「先生の考えと我々の目指すものは同じですよ。」などと奇弁を弄していた(これは、官僚がよく使う手なので気をつけたほうが良い)。また、反対側が、逆に突っ込みを入れられて、固まってしまう場面すらあった。うっかりするとだまされそうになってしまう。たいした口先と、心臓である。
実は、これがキャリアに最も求められる能力なのだ。相手に何と言われようと、自分が所属する組織の考えを押し通す。これが出来ないと出世はおぼつかない。頭の良さなどより、ツラの皮の厚さと詭弁力(そんな言葉があったか?)が大事なのだ。良心に左右などされてはいけない。情にほだされるなどもってのほかだ。優秀なキャリアとは、ああ言えばこう言う鉄面皮なのだ。
この鉄面皮軍団の労働環境は、あいにく最低だ。多くの省庁の事務室は、スラム化している。書類の山で人が埋もれている。そして、きたない。給料は、安い。わしの住んでいる地方の地方公務員の例だが、その役所の東京事務所に派遣された職員が調べたところ、自分がもらっている給料だと、東京都の生活保護の対象になる水準だったそうである(実際は就職しているので生活保護の対象にはならないそうだ。)。国家公務員のキャリアといっても、出世が早いだけで、給料は地方公務員と同様だ。家族で海外旅行するのもままならない。第一、暇がない。行けたとしても、せいぜいエコノミーだろう。これが日本のエリートの境遇だ。
それでも、鉄面皮軍団は、馬車馬のように働く。終電で帰れないことなど常識だ。にかかわらず、予算がないとかで残業手当てはほとんど出ない。国は、自ら労働法規違反をしているのだ。これで、せめてエリートとしてのプライドでも持てれば救いようがあるが、今や官僚の地位は、地に落ちてしまった。これでは、出口のない虎の穴だ。最近は、中途退職するキャリアが多いと聞く。
こんな劣悪な環境にかかわらず、彼らは何のために身をすり減らして働くのか。けっして国のためではない。ましてや、わしら市民のためなどではない。彼らが目指すのは、組織の維持・拡大だ。そういう観点に立つと、彼らの行動が見えてくる。キーワードは、権限、予算、ポスト、メンツだ(ヤクザと同じ)。その結果、組織は、際限なく増殖しようとする。まるで癌だ。この癌は、省内だけでなく、外部にも増殖する。そこで、外務省が「シエン委員会」を切り捨ててみせたところで、いつのまにか「ゴエン委員会」に化けて増殖し続けるのだ。癌のキャリア(運び手)と化した彼らキャリアは、現役引退後、天下り先に次々と転移して退職金稼ぎをする。そして、日本経済をむしばむシロアリと化す。
これがロゴマーク獲得レースの行きつく先だ。ロゴマークを欲しがるなら、その正体を知っておいたほうがいい。わしの親は、じぇ〜んじぇん知らなかった。わしも何も知らずに、目の前に競争があるから、そこに突撃していった。親子そろってマヌケだったと思う。
■2002/05/24 ワールドカップ■
ワールドカップの日本代表メンバーが発表されたとき、トルシエ監督は、選考の理由を明らかにしなかった。そのことについて、マスコミは、「説明責任を果たしていない」などと非難した。「説明責任」とはいうものの、トルシエ監督は、公僕ではない。彼を雇用しているのは、日本サッカー協会だと思うが、だとすれば、彼はサッカー協会との契約内容に責任を持っているに過ぎない。彼は、法的にも道義的にも、マスコミや日本国民に対する説明責任などないのだ。それに、マスコミは、他人には「説明責任」を求めるが、自分らの報道内容について、説明責任を果たしたのをみたことがない。
マスコミが選考理由を知りたがるのは分る。興味本位に知りたいのだろう。特に、フリーキックの名手や帰ってきた中盤の名手が外れた理由を言わせたいのだろう。わしは、トルシエ監督のシンパでも何でもないが、理由を言わなかったのはもっともだと思う。だいたい、言えるわけがない(ナカヤマの選考理由は、ベンチの景気づけですなどと口がさけても言えない。)。誰にでも納得のいく説明などあり得ないのだ。言えば、必ずもめる。いやでもマスコミがもめさせる。その結果、チームに悪影響を及ぼす。試合にも影響しかねない。だいたい、選考に漏れた選手のことをどう説明するのだ。彼らには将来があるのだ。どうしても聞きたかったら、わしがかわりに答えてやる。フリーキックの名手の落選理由は、前髪がうっとうしいからだ。もう一人の中盤の名手の落選理由は、顔が陰気くさいからだ。
選手のルックスと言えば、イタリア代表は、美男子軍団だ。ヘアスタイルからして違う。色男然としている。ジャパンは、色とりどりだ。顔で勝負できるのは、ディフェンスの秋田ぐらいか。なにせ、秋田は、顔が恐い。普段から目が据わっている。秋田が唐突に選ばれた理由は、顔が恐いからだ。そう言えば、前回のワールドカップで岡ちゃんこと岡田監督も試合中目が据わっていた。そして、仁王立ちになったままじっと動かなかった。あれは、目を開けたまま気絶していたのである。 |