シチュアシオニスト・オンライン文庫

芸術の消滅の意味


 ブルジョワ文明は、いまや地球全体に拡がり、いまだどこでも乗り越えられるにはいたっていない。しかしこの文明には一つの影が憑きまとっている。すなわち、その文化が疑問に晒されているということである。このことは、現代の芸術におけるあらゆる表現方法の解体という事態のなかに現れている。こうした解体は、まず、近代社会の生産力躍進の出発点たるヨーロッパ、ついでアメリカにおいて明白となったが、以来ずっと西洋モダニズムの基本的真理をなしている。芸術における形式の解放は、どこでも形式の無化を意味した。1947年、W・ワイドレが『カイエ・ド・ラ・プレイヤード』誌第二号に『フィネガンズ・ウェイク』について書いたことは、現代の芸術表現全体にあてはまる。「いとも蠱惑的に身をよじらせた言葉の数々を集めたこの度外れの『大全』、膨大な箇条におよぶこの『詩学』、これは芸術の創造ではない。これは芸術の死体解剖だ。」
 反動派の批評家たちは、美しき過去の様式に回帰しようという馬鹿げた夢物語を唱えるために、当然、ここで次のように指摘することになる。つまり、一回きりしか役に立たない新奇さのインフレ、新奇さの花盛りの背後で、こうした解放の行先はまったくの空虚にすぎないというわけである。たとえば、エミール・アンリオが指摘するのは、「すでに何度も言われてきた文学の旋回、すなわち、ちょうど研究画家のための絵画研究があり、音楽家のための音楽があるのと同じように、今日のある種の文学が、『文学者のための文学』を専門に実践している文学者のための『形式の言語』の方向に立って、自己目的化するにいたったこと」である(『ル・モンド』紙 59年2月11日)。またモーリアックは次のように書いている。「詩の行きつく先はすべからく沈黙であると教える哲学者にいたるまでが、そのことを説くために論文を書き、物語を語ってはならないと証明するために小説を書く、そんな具合である。」(『レクスプレス』誌 59年3月5日)
 こうした嘲弄を前にして、モダニズムの陣営に立つ批評家たちは、芸術の解体があまりに早く進んでしまわないことを望みながらも、その解体の美を称えることになる。彼らは困惑を隠すことができない。たとえばジュヌヴィエーヴ・ボヌフォワは、「死か変容か」というタイトルでパリ・ビエンナーレの不首尾を説明し、憂いありげに次のように結論する。「こうした絵画的言語の『無化』は、ベケット、イヨネスコそのほか、最近の若い優れた小説家たちによる文学上の試みとよく似ているが、果たしてこれが絵画の再生の兆しであるのか、それとも、絵画がわれわれの時代の重要な芸術分野としては消失しようとしている兆しであるのか、それはただ未来のみが明らかにしてくれるだろう。また彫刻は完全な分解状態にあるが、ここではそれについて語るだけの紙幅がない。」(『レットル・ヌーヴェル』誌 第25号) あるいは、諧謔のゆとりなどのっけから捨て去り、時代の貧窮を象徴している点では歴史に残るに値するような文句をもって、声高に無への限りなき接近を支持する者もいる。たとえばフランソワーズ・ショエは、タビエについて評論を、この画家にたいする賞賛をこめて「タピエ、限りなく無に近い神秘家」(『フランス・オプセルヴァトゥール』誌 59年4月30日)と題している。
 モダニズムの批評家たちの困惑にさらに輪をかけた恰好になっているのが、現代の芸術家たちの困惑である。芸術家たちは、あらゆる分野で加速しつつある解体のために、たえず自らの作業仮説の検証と説明とを迫られている。彼らもまた、批評家と同じような混乱のなかで、またしばしば同じような愚かさをもって、その作業に打ち込んでいる。自律的領域、絶対的目標としての表現が挫折し、他のさまざまな次元の活動が徐々に現れてきたことで著しい動揺におちいった意識の傷跡が、現代の創作家たちのいたるところに見出される。
 今日の前衛に課せられた仕事は、こうした現況の全般的批判を試み、さらに新たな要請にたいする最初の解答を試みることでなければならない。
 芸術家は、そもそもは、いくばくかの余暇を美しく満たすのを生業とする芸人であったのが、ゆっくりとした変化の果てに、預言者的な自負を抱くまでになったものである。彼らはさまざまな問いを提起し、生の意味を与えようとする。こうした変化が起こったのは、人間による自然の領有のなかで自由が達成され、その幅が広がるにつれて、生をいかに用いるかという問いがますます現実的な問題になってきたからである。
 それゆえ、生に意味を与えるという、ブルジョワ社会における芸術家の自負は、彼らの現実面での活動が実践上ゼロまで切り縮められ、拒絶されていることと表裏一体の関係をなしている。これにたいして、あらゆる現代芸術は、パック詰めの一方通行的な表現のために現在さまざまに分化している専門を捨てた上で、もつと別の仕事を求めようという革命的要求なのである。
 われわれの時代において、革命のプロジェクトがどれほど遅延し、どれほど歪曲を被っているかは周知のことである。そのなかで露呈してきた退行は、他の何にもまして芸術において明らさまになった。そこでは古典的なマルクス主義が実質的な批判を展開していないこともあって、なおさら退行は容易だったのである。エンゲルスはその生涯の終わりに、メーリング宛の有名な手紙で次のように指摘している。「われわれはみな、はじめのうちは、政治的、法的、その他のイデオロギー的な諸観念や、また、これら諸観念によって媒介される諸行為を、基礎にある経済的諸事実からみちびきだすことに重点をおいていましたし、またおかざるをえませんでした。そのさい、われわれは内容面に気をとられて、形式面をおろそかにしました。つまり、それらの観念等々がどのようにして現れるかその現れ方をです。」もっとも、マルクス主義の思想が成立した時代には、芸術の解体という形式上の運動はまだ目立ったものとはなっていなかった。同じことは、労働者の運動についても言える。ファシズムが現れたときになって、はじめて労働運動は政治的観念の形式的な「現れ方」という問題に実践的に直面することになったのである。当時の労働運動には、問題を把握するための準備などほとんどできていなかった。
 古典的マルクス主義からは独立した革命思想の代表者理論家たちの場合にも、やはり、今日の文化的研究において十分な役割を果たしていない面がみられる。たとえば(ここ数年の)アンリ・ルフェーヴルやリュシアン・ゴルドマンのような哲学者の思考の進め方は、それぞれ多くの点で異なっているが、次のような点では共通している。すなわち、左翼イデオロギーが、利害関係だけは見え透いた混迷のなかに見失われつつあるなかで、進歩的な真理に立ち戻ることを強く促すものとして、数多くのポジティブな要素をまとめあげてはきたものの、政治的な力の組織化と、文化的活動手段の発見という二つの課題においては、問題への取り組みがみられなかったり、不十分だったりするということである。しかし、この二つの問題こそは、われわれの過渡的活動、すなわち、われわれとの繋がりを欠き、緩慢な未来によってすっかり現在から切り離された外在的イメージとしてルフェーヴルやゴルドマンプラクシスのような哲学者が一般に提示している豊かな実践に向けて現在ただちに実行に移すべき過渡的活動における、本質的で分離不可能な要素をなすのである。
 ゴルドマンは、『弁証法研究』に収められた1947年の未発表論文(「弁証法的唯物論は哲学か」)で、目下の文化的動向が将来いきつくべき結果について優れた分析を行い、次のように書いている。「(……)社会生活の他の領域から切り離された自律的現象としての芸術は、法律、経済、宗教と同じく、階級なき社会では姿を消すことになろう。生はそれ自身、ひとつのスタイル、形式をもち、そこに自らの十全な表現を見いだすだろうから、生から切り離された芸術は、おそらくもはや存在しないだろう」。しかし彼は、弁証法的唯物論の全体的展望に応じた、かくも長期的な見通しを描く一方で、その証明を同時代の表現のなかに見て取ることはしない。彼は同時代のエクリチュールや芸術を、古典主義的かロマン主義的かという二者択一によって判断し、ロマン主義には物象化の表現しか見ようとしない。たしかに、ここ一世紀の詩にみられる言語の解体が、深層を指向するプチブル的で物象化されたロマン主義的傾向に引き続いて起こったこと、またポーランが『タルブの花」で示しているように、そこには表現不可能な内奥の思惟に言葉以上の価値をおく仮定があったことは事実である。しかし同時に、こうした解体が、詩や、小説のエクリチュール、さらにあらゆる造形美術において進行を続けていることが意味するのは、この時代全体が、擬似的コミュニケーションたる芸術表現の無能力を証言しているということにほかならない。つまりこの解体とは、こうした擬似的コミユニケーションが、もっと優れた道具を作り出そうとしながら、自らその道具を解体させていく実践的解体だったのである。
 アンリ・ルフェーヴル(『総和と余剰』)は、ここで次のように問うまでにいたっている。すなわち「哲学の危機とは、哲学としてのかぎりにおける哲学の死滅と終焉を意味するのではあるまいか」と。もっとも彼は、『フォイエルバッハ・テーゼ』第11テーゼ以来、それが革命思想の根本にあった考えであることは忘れているのだが。また『アルギュマン』誌第15号で、彼はさらにラディカルな批判を提出し、人間の歴史とはさまざまな領域的世界を次々に横断し、またそれを放棄していくことであるという見方を、小している。その領域とは、宇宙的領域、母性的領域、神的領域であり、さらに哲学、経済、政治、芸術、すなわち「人間を定義するのにその眩惑的な閃きをもってし、人間性を定義するのに、そのさまざまな例外的瞬間したがって人間解放への努力においてみれば、いまだ外在的で、疎外を引き起こすような瞬間をもってするような芸術」である。しかし、これはつまるところ『アルギュマン」誌が唱道する革命的SFのひとつにすぎず、こうしたSFは、人類数千年の歴史を一括するほどに大胆な反面、今から世紀末までの時間的枠組みにたいして何一つ新しいことを提案できず、理の当然として、現在の昼日中に新修正主義の最悪の亡霊に魅せられている。ルフェーヴルは、それぞれの領域的世界は、その自己開示とともに没落するということをはっきり見て取っている。それは、それぞれの活動領域が、その潜在能力とその帝国主義をとことんまで貫徹したとき、つまり「人間の尺度における(したがって有限な)全体性を自任するようになったときにほかならない。こうした展開をとおして、そしてこうした空虚で行きすぎた主張がなされるにいたって、はじめて、この世界のうちにずっと以前から宿されていた否定性が顕在化して、この世界を否認し、侵食し、破壊し、打ち砕くのである。ただ実現された全体性のみが、全体性の全体性ならざることを明らかにできる」。むしろへーゲル以降の哲学にあてはまるこの図式は、見事なまでに現代芸術の危機を規定している。現代芸術の極端に走った傾向、たとえばマラルメからシュルレアリスムにいたる詩を検討してみれば、それは容易に確かめることができる。すでにボードレール以来、こうした状況は支配的なものとなっていたが、ポーランはそれを「テロル」と呼んでいる。ただしポーランは、それをあくまでも偶発的な言語の危機として考えており、同じ状況が、芸術の他のあらゆる表現手段にも及んでいることは考慮していない。ところで、ルフェーヴルの視野の広さというものも、いざ彼自身が詩を書く段にあたっては何の役にも立っていない。その詩たるや、時代的にいえば1925年の歴史的モデルを踏襲し、出来栄えからいえば「下の下」という評価がぴったりである。また彼が、現代芸術についての着想(革命的ロマン主義)を提起するにあたって芸術家に勧めるのは、この革命的ロマン主義………あるいはもっと旧式の表現様式………へと立ち戻って、生の内奥の印象を表現すること、そしてその時代の進歩した人間にあらわれた矛盾を表現すること、ということはつまり、彼ら芸術家自身の矛盾も大衆の矛盾も区別なしに表現することなのである。こうした印象や矛盾がすでにあらゆる現代芸術によって表現されてきたこと、そしてまさしく表現の破壊にいたるまで表現され尽くされてきたこと、それをルフェーヴルは知らないですませたいのである。
 革命派には後戻りなどありえない。表現の世界は、内容のいかんを問わず、すで時代遅れとなっている。それは恥知らずな反復を繰り返しながら、支配的な社会がその統治の時代錯誤的な条件をなす剥奪と希少性を維持している間は、自らも生きながらえようとしているにすぎない。しかし、この社会を存続させるか転覆するかという問いは、すでにユートピア的な問いではない。それは今日、事を決する重大な問い、他のすべての問いの上に立つ問いとなっている。ルフェーヴルは、同じ論文のなかで自ら提出している次のような問いから出発して、さらに反省をおしすすめるべきであった。すなわち、「偉大なる芸術の時代とは、それぞれ、失われた時間を称える葬送の儀式であったのではないか」というものである。同じことは個人のレヴェルでも真であって、ここでは、おのおのの作品が人生の失われた時間に対する葬送と記念の儀式をなしているのである。未来の創造は、こうした「例外的な瞬間」を創造し普及させることによって、直接に生を形成するものでなくてはなるまい。ゴルドマンはこうした飛躍の難しさを見積もって、「われわれは、直接に情動的なものに働きかける手段をもっていない」(『弁証法研究』注、144ぺージ)と指摘している。こうした手段を発明するのは、新しい文化の創造者たちの仕事となろう。
 見出さなければならないのは、いつの日か、階級なき社会の全体的生の諸側面がそこに溶け合うことになろう包括的実践(プラクシス)と、今日の個人的実践、すなわち「私」生活がその貧困な芸術その他の手段をもって行っている個人的実践との問を媒介する操作の道具である。われわれが、構築すべき状況と呼ぶのは、移ろいゆくさまざまな部分的現実の弁証法的組織化の探究であり、アンドレ・フランカンが個人的「実存の計画化」(『非一未来の批判』)として示したもの、すなわち、偶然を排除せず、逆に偶然との「再会」を果たしつつ行われるような、個人的「実存の計画化」なのである。
 この状況は芸術作品の反対物として理解される。芸術作品は現在の瞬間を絶対的な価値へと高め、それを保存しようという試みである。あのマルローの美的洗練で塗り固めた俗流文学がその見本であるが、これについては次のことを書き留めておかねばなるまい。すなわち、今日、まったく唾棄すべき、愚劣この上ない政治的ペテンのトップにマルローが立っているのを見て腹を立てている「左翼知識人」たちも、以前は彼のことを真面目に受け取っていたのだということ、こうして「左翼知識人」たちは自らの破産を自己暴露しているのだということである。おのおのの状況は、どんなに意識的に構築されたものであっても、自らの否定を含んでおり、不可避的におのれ自身の転覆へと進んでいく。個人的な生の導き方についていえば、シチュアシオニスト的行動が基礎をおいているのは、進歩という合理主義的な抽象的観念(デカルトによれば「われわれを自然の主人にして所有者にすること」)ではなく、われわれを条件づける環境をアレンジする実践である。マルクスの言葉を借りていえば、状況を構築する者は、「その運動によって外的自然に働きかけ、外的自然を変化させることによって(……)、同時に自己自身の自然を変化させるのである」。
 SIの創設を導いた一連の会談のなかで提出されたアスガー・ヨルンのテーゼは、1930年頃、それまで同盟していた前衛芸術家と革命的左翼との間に生じた分断に終止符を打つためのプロジェクトであった。問題の根本は、1930年以来、もはや時代の可能性に見合うだけの革命運動も、前衛芸術も存在してこなかったということである。両者一致した問題と解答のもと、必ずや新たな出発が、革命連動の側からも前衛芸術の側からも、なされるだろう。
 シチュアシオニストの運動は、何かまったく違ったことをやる準備のできた芸術家たちの関心の的となりながらも、そこにはある種の曖昧さがつきまとっている。この曖昧さは、今日性(アクチュアリテ)という明らかな障害物によって引き起こされている。さしずめ、国家=民族を前にしたプロレタリアの理論上の振る舞いと同じく、シチュアシオニストは文化の戸口に陣を張る。シチュアシオニストは文化のなかに身を落ちつけることを望まない。シチュアシオニストは現代芸術のなかに穴の形で自らを刻みこむ。シチュアシオニストは、ブルジョワ批評家が、いつも期待を裏切られながら、いまかいまかと登場を待ち構えている美的前衛の不在を組織する者である。こうしたシチュアシオニストの態度には、さまざな退行的な解釈を受ける危険が付きもので、そうした危険はSIの内部にさえある。解体派の芸術家たち、たとえば、ヴェネツィアでの最近の見本市に集まった芸術家たちは、すでに「状況」について語っている。何事につけ古くさい芸術の用語でしか理解しない人々、つまり、取るに足らない駄作を売りつけるための毒にも薬にもならないような御託でもって物事を考える人々は、SIのことを、すでに一定の成功を博し、すでに評価を得たものと見るかもしれない。それというのも、彼らは、われわれがまだこれから行うべきどれほど大きな転回を前に結集しているかを理解しなかったからである。
 芸術の諸形式の衰退(=消滅)は、その創造的再生が不可能であることに表れているが、もちろん、それはただちに実際上の消失をもたらすわけではない。芸術の諸形式はさまざまなニュアンスを伴って反復されることもあろう。しかし、すべては「この世界の動揺」を示している。『精神現象学』序文のヘーゲルの表現を借りていうなら、「現存するものの中にはびこっている軽率と退屈、未知のものに対する定かならぬ予感などは、なにか別のものが近づいているという前ぶれである」。
 われわれは、現代の文化や文化の否定にはいささかも拘泥することなく、さらに先へと進まなければならない。われわれが力を尽くすことを望むのは、世界の終焉のペクタクルのためではなく、スペクタクルの世界の終焉のためなのである。






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